Blog: Sato Site on the Web Side

「幻滅のたびに甦る期待はすべて、未来論の一章を示唆する。」(Novalis)

中条護「ねじ式と性欲、国とマスキング」

2008年12月13日 | DIRECT CONTACT
お待たせしました。今後、投稿頂いた批評文を続々紹介させてもらいます。まずは、中条さん(第二席:大谷)。

□ 中条護「ねじ式と性欲、国とマスキング」

講評(大谷、木村の順)

大谷能生
 今回舞台で自分が見たものを、自分がこれまでに見てきたものと接続させることによって考えてゆこうとするそのプロセスが繊細に展開されている前半はとっても良いと思います。一文ごとにきちんと思考が先に展開してゆく文体もいいですね。その後、ステージ上の出来事を「夢」と結びつけて語る部分に、一瞬転調感というか、再び一般論として、ある作品というものが「夢を見た/夢から覚めた」ような印象を与えるとするならば、それはどういった条件が必要であり、どのような形式が必要であるのか、ということの考察を挟んで、その後に再び、では目の前の作品はどのようなものなのか。具体的なメソッド分析などを通して自分の印象を伝えるほうが良かったでしょう。
 後半部分、出来事の描写とそれから得た感想がきちんと伝わるように書かれており感心しました。ただ、最後の「マスキング」からの話が分かりにくい。ここできちんともうひとふんばり要素を加えて論旨を展開できる足腰の強さを求む。

木村覚☆☆
 中条氏は、批評文を類比(アナロジー)をもって進めようとする。大橋作品にはつげ義春『ねじ式』を、秋山&中村作品には「国土」を重ね合わせる。類比は、説明しにくい対象を説明しやすいものにする。ただし、説明しやすくなることで、誤解が発生することもあるし、対象から文章が逸脱していってしまう危険もある。類比の関係に置かれた二つのものは、決して同一ではない。そのことがきちんと明瞭にされていることが重要であり、なぜ(例えば)大橋作品と『ねじ式』とが類比的だと考えたのかということが、大橋作品の評価そのものにも反映し、また批評文そのもののクオリティにも反映する。大橋作品の今日的意義、また中条批評文の今日的意義がそこに賭けられている(さて、、、)、と読まれていくはずだ。そう考えて、『ねじ式』とのアナロジーは適切だったか、と中条氏に聞きたくなる。「各コマの背景を無理やり借景して繋ぎとめた」という点において『ねじ式』は、大橋作品のあり方と類似的だとする見方は、さほど無理がない。けれども「月島のTEMPORARY CONTEMPORARYであの日に立ちあがった余白は、まさしく夢のようであったのだ」以降、『ねじ式』を夢のような世界とみなすことで、大橋作品もまた夢のようであるとするのは、明らかに飛躍があると思う。それは類比が自動的に生み出した思考であって「それらの動作は、普段の生活では無視されるものが夢の中で主権を握ったように振る舞いだしたよう」という文は作品から離れてしまっていて、その手前で「ひとつの文脈のための動作がそこにあるのではなく、すべての動作に固有の文脈があり、それをつぎつぎに見せられているような気持ちになる」と、せっかく作品と向き合い豊かな混乱の状態にあったのに、そこから離れきわめてわかりやすく作品を片付けてしまった。
 秋山&中村作品を「国土」と呼ぶ試みは、反対に、「国土」から出てくるイメージを十分に生かせていないのが残念に思う。「秋山徹二、中村としまる両氏の国土を片鱗ながらも紹介されていくかのようだ」というイメージが「彼らの演奏を披瀝していくことによって彼らの演奏はマスキングされてしまう」という「マスキング」(相手に覆いをかける)というイメージを生み出しているのだけれど、せっかく「国土」という言葉をおいたのだからそこから引き出されてくるイメージでつないでいった方がよかった。また「国土」と呼んだことが、音楽を「地政学的」「地理学的」、、、に見る視点へと発展していくなら、すばらしい類比の呈示となっただろう。
 中条氏のじっくり作品とつき合うさまは「このとき、NIMの轟音の波を潜り抜けてきたように淡く響いてくるアコースティックな音色を耳が捉えたときの気分というのは何とも気持ちのよいものである」や「NIMのブラックボックス性」などの言葉に十分にあらわれている。こうした着眼点をじっくりと考察することで、出てくる文章をこそ読みたいと思う。


本文 中条護「ねじ式と性欲、国とマスキング」
 Direct Contact vol.2にて発表された、大橋可也&ダンサーズによる『Black Swan』で立ち昇っては消えていく音はほとんどがロードノイズだ。このロードノイズと照明の明度がダンサーたちの外部であり、もしくは内面の意図的なタイムラグを含む描写だ。私はコンテンポラリー・ダンスというものを全く知らなかったし、今回の公演を見ただけではコンテンポラリー・ダンスのことは何も分からないままだ。主催者大橋可也の意図どおり、そもそもダンスとは何か、Black Swanという公演は果たしてダンスの公演だったのかということを考え出してしまう内容のものを私は体験した。それは体を動かして何かを表現する、ということの極端な分かりやすさと謎が迫ってくる内容のものだった。この演目に明確なストーリーや情況を観客に説明する場面は、一切ない。男2人と女2人が現れ、「踊り」、終わる。Black Swanの説明は以上の一文で事足りる。しかし、この舞台において「踊る」とは何ぞ、という問いかけの複雑さ、難解さ、こう言ってよいなら豊穣さは他の舞台と比べたときに差がつくのではないだろうか。私はこの舞台を見た後、新国立劇場で「DANCE EXHIBITION2008」を観に行ったのであるが、これはコンテンポラリー・ダンスを扱っているといわれれば大抵の人は納得がいくものだったはずだ。もっと単純に、出演者は踊っていたかと訊かれれば私ははっきりと踊っていたと応えることができる。しかし、Black Swanの出演者は踊っていたかと問われれば、一瞬間を置くか、語調をやや変えて確かに踊っていましたと今なら応えるだろう。体調や相手によっては踊っていたと思います、と曖昧な返事になる可能性は十分にあるのだが。前出の新国立劇場で見たダンスは、なぜ、今この踊りをするのかという自問自答にある程度回答を導き出せるものだと思う。作品にはタイトルがあり、ダンスらしいと感じるダンスでそのタイトルとストーリーを遂行するための演出を施していく。形式がかなり自由だとは雖も、何をしているか、何が起きているかは大体見当がつく。しかし、Black Swanはタイトルがあるが、何が起きているのかそして何をしているかがわからない。もしかしたら何も起きることなく、何もしていなかったのかもしれないと思わせるものである。そこではっきりと分かることはただ2つ、舞台の明度と音量の変化のみである。そこで男女各2人が飛び跳ね、ある動作を繰り返し、固定し、空間を痙攣させ、笑い、歌い、転げまわる。ものを食べたり相撲をとったりもする。こう書き出してみると分かりやすい動作をいくつかやっているようにも思われるかもしれないが、前後の文脈があるようでないので安心してみるわけには行かない。それぞれの動作が、ひとつの文脈に回収されるのを拒んでいるようだ。あるいはこう言い換えられるかもしれない。ひとつの文脈のための動作がそこにあるのではなく、すべての動作に固有の文脈があり、それをつぎつぎに見せられているような気持ちになる、と。ダンスのミュージック・コンクレート。ダンスだと呼べる動作、ダンスとは呼べないが日常に常駐する動作、そのどちらでもないある具体的な動作、それらあらゆる動作を次々に並べて時間と空間を埋めていく。それは普段の生活では得られない余白をそこに立ち上げることだとも言える。月島のTEMPORARY CONTEMPORARYであの日に立ちあがった余白は、まさしく夢のようであったのだ。気付けば男が右腕で左腕の二の腕辺りを抑え、体の軸がぶれないように直立の姿勢を保ちながら一箇所で旋回している。それを見て私は、ああなんかこれねじ式みたいだなと思った。思えばねじ式は作者つげ義春の夢の中の出来事を基に描かれたもののようである。あの話も、各コマがひとつのコンテクストの組成に用いられているというよりは各コマの背景を無理やり借景して繋ぎとめたような印象を人に与える。夢は作者の手に負えない。そして誰の名を出すまでもなく夢は多分に性的なものだ。男が急に駆け出しては急に立ち止まり、女は突然居眠りから目覚めたように動き出し、男は椅子と絡み合いながらしばらく微動だにせず、女は神経質に掌を洋服で拭い続ける。それらの動作は、普段の生活では無視されるものが夢の中で主権を握ったように振る舞いだしたようで、その多くが静的/性的な印象を与える。ほぼ全編に亙って舞台の人物が直接関わりあうことはない。みな思い思いに振動する分子のように不干渉(不感症?)なのであるが、舞台の最後のほうで、女が一人消えたところで、椅子と絡み合っていた男をもう一人の男が引きずり出す。2人の男は喧嘩なのか何なのか相撲を始める。引きずり出された男はまるで相手にならない。男2人の間で女が1人歌いだす。家にロケット花火を打ち込まれた、あいつに特大の線香花火を落としてやる、とかいう歌。ひとしきり歌い終わった女は相撲で挑み続ける男の邪魔をする。ただでさえ勝てないのに男はなお惨めになって終わる。こうして夢から醒めるのだ。この舞台は即興ではない。徹頭徹尾筋書きのあるものを再現している。この正確な再現に私は夢を見たような気持ちを得たのだ。
 もうひとつの余白は、秋山徹次と中村としまるによって作られた。秋山はアコースティックギターをPAに通さず生の音で鳴らし、中村はノー・インプット・ミキシング・ボードをスピーカーに通して鳴らした。演目名は「The Stake (for acoustic guitar and electronics)」である。中村のノー・インプット・ミキシング・ボードとは以下のものを指す。「市販の小型オーディオ・ミキサーに無理な結線を施し、ノー・インプット・ミキシング・ボードと名づける。それを用いて即興演奏をおこなう」(以上、中村としまる日本語ホームページより:http://www.japanimprov.com/tnakamura/tnakamuraj/index.html)。今回のこのライブで筆者がまず驚いたのが、アコースティックギターがアコースティックギターだったということだ。それはPAによる一切のアンプリファイが為されていないことを指す。ライブ会場の広さを考えれば、これは珍しいケースではないかと感じた。ノー・インプット・ミキシング・ボード(以下NIMと略記)はスピーカーがなければ意図する音が鳴らない。このNIMは自身の音を出すものとしてスピーカーしか舞台上にはなかったので、意図的にアコースティックギターの音を増幅するシステムは現場になかったといってよいだろう。この、電気的な音の増幅の有無がある2つの共演自体が興味深い。会場にいた人間は、みなアコースティックギターそれ自体(と、その周辺の空間)が作る音と、NIMがつくったある電気的な信号の電気的な処理が行われた音を一緒に聞いていたことになる。端的に言って、NIMのほうがより大きい音を出せるし、実際に出していた。アコースティックギターとNIMが同時に音を出してしまえば、アコースティックギターの音はかき消されてしまって、一定以上の音量を出されてしまえば全く聞こえなくなってしまう。実際にこの状態になることがしばしばあった。しかし、このことはアコースティックギターが鳴っていないことを指すわけではない。秋山氏はアコースティックギターを鳴らし続けていた。鳴らし続けていたのだから、秋山氏には自身のギターの音が聞こえ続けていたのかもしれない。更に言えば、他の観客には聞えていたかもしれないギターの音、あるいは聞かれることのなかったギターの音は無数にあるはずだ。こういった状況でギターの音色を聞き分けようとすると聴覚に意識を集中させていくより他ない。このとき、NIMの轟音の波を潜り抜けてきたように淡く響いてくるアコースティックな音色を耳が捉えたときの気分というのは何とも気持ちのよいものである。一方、NIMの音色は一言で言えばノイズである。無理な結線から導かれる雑音の粒はしかし端整である。聞きやすいノイズといえるかもしれない。そもそもはミキサーから出てくる音だから意外と調整が施されている可能性もある。ところで、このNIMの操作方法を知っていて、なおかつ使いこなせる人間はどれほどいるのだろうか。私はこのライブでNIMのブラックボックス性にも興味を覚える。観客として、あのNIMという「楽器」の操作方法はあまり見当がつかない。ミキサーのつまみをいじって音を調整しているのだろうかなどと想像するが、実際のところは誰にも分からない。ここで私は、中村氏がNIMを楽器として演奏していたのかと疑問を抱くことになる。これはラップトップミュージックのライブパフォーマンスにも言えることなのだが、操作方法が判然としない楽器によるパフォーマンスは演奏か否か、ましてやそれが即興演奏か否かを観客が判断するのは容易ではないと思われる。ある一連のプログラム、シーケンサーを出力しているだけでパフォーマーはスイッチの切り替えをしているだけという可能性を排除することはできないのだ。このような楽器NIMと、アコースティックギターが共演することが違和感を醸し出すことなく調和しているのは、演奏家2人のキャリアによるものであろう。2人とも世界各地で演奏してきた即興演奏家であり、実績を残してきた証拠がこの共演から感じ取ることができる。そこでは秋山徹二、中村としまる両氏の国土を片鱗ながらも紹介されていくかのようだ。国土の成り立ち、現在の地形や歴史、そしてたった今何がそこで起きているか。大仰な比喩ではあるが、従来の楽曲や音楽といわれるものよりも何か大きなものを扱う演奏している印象を受けたのも事実だ。しかし、彼らの演奏を披瀝していくことによって彼らの演奏はマスキングされてしまう。一方は共演者の演奏によって、もう一方は自らの演奏によって。だがしかし、そのマスキングが、恐らくは意図的に完璧なものではないために一層彼らの演奏は印象に残るものとなる。聞こえなかった音、見ることのできなかった演奏によって両者の演奏はよりよく聞かれ、これからも見ていくことができるのだろう。
 ロードノイズのごとく、現れては消え、あまりにも普段気に留めないものに焦点を当て、その豊穣さを(再)認識していく。今回のDIRECTCONTACTは、まさしくすべて平等に感じるため、同じ空間に置かれた演奏行為と身体表現を行い、その目的を達成する糸口を見つけることに成功した。

乗越さんにあてたメール

2008年12月13日 | ダンス
DC2批評文応募に関する講評や投稿文の掲載は、早急にします。その前に、以下に、ダンス評論家の乗越たかおさんにぼくがあてたメールをアップします。ご本人に直接送った後(そしてお返事をもらった後)で、一旦、乗越さんに悪いと思ってアップを中止していたのですが、乗越さんとのやりとりのなかで(どうしてもアップするようにという命令めいた指示があり)あらためてアップすることにしました。ぼくの気持ちは、下記にあるとおりなのですが、出来れば乗越さんに「連中」「ヤツら」と具体的に議論を交わしてもらいたいという思いが強くあったわけです。いまでもその気持ちは残っているのですが、、、先述したお返事が乗越さんのブログに載るそうです。
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乗越たかお様


突然のメールにて(しかも長文になってしまいました)失礼します。
貴連載『ダンス獣道を歩け』、拝読しています。TENTARO!!について伊藤キムとの違いを通して分析した文章など、刺激を受けることがしばしばで、最近は、ほぼ毎月読んでおります。
以下に書くことは、私として、乗越さんの文筆活動に圧力をかけるという意図はまったくありません。仮に乗越さんにそう思わせてしまうとしても、こちらとしてはそういうつもりではないこと、お断りしておきます。むしろその正反対で、ますます乗越さんのダンスへ向けた考察を明確化して欲しいと思う、『ダンス獣道を歩け』の一読者であり、またダンスについて批評文などを末席から執筆・公表などしている私のような立場から、ひとつご提案を差し上げたく、メールをお送りする次第です。
簡単にもうしますと、「連中」とか「ヤツら」「アレ」「キミら」「プロデューサーやオーガナイザー」などと伏せ字的な表現になさらず、具体的に名前や団体などを明記なさったらどうでしょうか、という提案です。
乗越さんの文の特徴として、「オッチョコチョイ」で「奇形的に肥大した妄想でパンパン」な「どーでもいい議論」に邁進する「連中」を批判することで、乗越さんがお持ちのダンスに対する「自分自身の目」を輪郭づけ、正当化するというところがあると拝察します。その論拠は、以下に取り上げさせていただきました乗越さんの文章などを読むことで、明らかになることと思います。こうした自分とは異なる視点への批判を通して、自らの観点・論旨を明確にしていくやり方は、批評というものの常套手段だと私は考えています。その点では、文章における乗越スタイルに同意する者です。
ただし、残念と思うのは、私が文筆の際に心がけている〈出典を明らかにする〉という点について、私と意見を異にしていると拝察される点です。「残念」と申しますのは、単に私と意見が異なるからではなく、〈出典を明らかにする〉ことが、言説空間において必要な手続きであると一般的に考えられているのでは、と思うからであります。もちろん、このことを「一般的」と考える木村が特殊的なんだと批判を受けるかもしれません。けれども、私が例えば、大学で学生達に口を酸っぱく言うのは、この〈出典を明らかにする〉ことであり、客観的なデータを出すことであります。このことは、私個人の考えではなく、大学というところで論文執筆のスキルを学習してもらう際の不可欠な提案・指示であるはずです。妄想で書いたものは論文とは呼べないからです。
例えば、「これがダンスへの批評だ」「とにかく技術があるのはダメなんだ」というのは、誰のどの文章を想定しての文章なのでしょうか。私は、自分の知る限りこの字面通りの文章を読んだことがありません。いや、私の読んでおらずしかし乗越さんは読んでいるという文章がどこかにあるのかもしれません。であるならば、是非、出典を明らかにした上で、その当の言説をご批判なさることを切に期待いたします。
私が、なぜこうしたことをもうしあげるのかと言いますと、客観的・具体的に出典を示した上での批判であれば、再批判が可能であるというきわめて単純な理由からです。つまり、いわれた人が乗越さんからの批判に応答することが出来ると思うのです。そうして一種の論争が生まれた時に、その場は活性化し、明るくなると思います。
ダンスの批評的言説のなかで、なかなかそうした論争が生まれていないのが、私としてはとてもよくないことと考えています。意見の相違は、どのアートのジャンルを見ても起こっています。大塚英志と東浩紀の新書などは、その一例でしょう。意見の相違は、互いが互いを明示して初めて論争化すると思います。そうではない言説というのは、中傷に対して中傷をもって応じる言論というのは、ダンスシーンという場を暗くしてしまうと思うのです。
あと、いまひとつの理由は、乗越さんが論じられている「研究者」と「ジャーナリスト」のハイブリッドが評論家であるべきとおっしゃられていることに関係しています。「ハイブリッド」の言葉が何を意味し、「評論家」という言葉が何を意味しているのか分からない(とくに私が「評論家」ではなく「批評」と自称している点に関わっています)ところはありますが、私の考えるところでは、一般的・理想的には「研究者」も「ジャーナリスト」も、先に述べた〈出典を明らかにする〉作業を繰り返すことで、自らの論を公表する仕事です。裏のとれた情報に基づいて証拠を重ねていくことが、彼らを研究者にしジャーナリストにするのだと私は考えています(そうではない研究者、ジャーナリストが現実にいるとしても)。
乗越さんの文章のなかで、先に触れた「連中」「ヤツら」「キミ」などの言葉が出てくると、文は批評というよりも扇動の色を帯びてきます。「扇動」と考えるのは私の読書経験に基づいているのですけれど(誤解がありますか)、もし「扇動」が評論家の仕事であるとすれば、それは私の考える批評とはずいぶん異なるものだと思います。乗越さんのなさりたいことは、世間を煽ることなのでしょうか。あっちの水は苦くてこっちは甘いということを、論争的な仕方ではなく語ることで、読者を誘導することが、乗越さんの評論なのでしょうか。私の読む限り、以下の文章は、「研究者」的でも「ジャーナリスト」的でもありません(「勝手な想像」に基づいた文章が、「研究者」的、「ジャーナリスト」的あるいはそのハイブリッドのいずれなのかが正直分からないのです)。
年長の方に対して、突然、不躾なメールを差し上げていること、恐縮です。ここからさらに上を目指していくことが(私の言う「上」が「獣道」とルートを異にしていないと信じています)、ダンスのシーンを明るくすることにつながると、切に信じ、その一心で書きました。どうかおゆるしください。
「論争」という言葉を乱暴に使いました。定義とは言いませんが、「論争」という言葉を使う時、私が毎度思い出す場面があります。2000年頃、原宿フラットというイベントで、まだまだ新人扱いされていた椹木野衣さんに対して、徹底的に厳しい言葉を浴びせ続けた浅田彰が、あるとき、「トムとジェリー、なかよくけんかしな、だよね」と口にしたその場面です。「なかよくけんか」これが、私なりの論争のイメージです。これが出来たらいいのにと思うのです。もしよろしかったら、論争のコーディネート、未熟者ですが私が務めることも可能です(もろちん、乗越さんのいう「連中」が複数グループあるかも知れず、またその「連中」が論争に乗ってくれるかはまた別の問題としてありますが)。

  木村覚

追伸
一、いうまでもないことですが、このメールは、誰かに扇動されてのものではありません。私の判断で、自分自身の目からもうしあげていることです。
二、ひとつ残念と思うのは、「連中」「ヤツら」「キミ」と呼んでいらっしゃる対象に私が含まれていないだろうことです(あくまでも私の勝手な想像の範囲ですが)。もし、私も含まれているのであれば、私と論争してくださっても結構です。
二、このメールは、まさにダンス批評の論争化のために、後日拙ブログでアップするつもりです。ご理解下さい。


「勝手な想像だが、いろんな意味で山賀の持ち味である「何にもなさ」を、「これがダンスへの批評だ」とか「とにかく技術があるのはダメなんだ」と無知を露呈してやまぬオッチョコチョイな連中に担ぎ出されたのではないかなぁ」(『DDD』2008年9月号、p. 117)

「ダンスを頭でばかり考えすぎ、奇形的に肥大した妄想でパンパンのヤツら、仲間内だけで通用する「自称・素晴らしい言説」の傍証にダンサーを利用するヤツら……。」(『DDD』2008年9月号、p. 117)

「オレは「何が人をダンスに駆り立てるのか」にしか興味がないので、こういう連中のどーでもいい議論には与しないが、けっこういるのだ」(『DDD』2008年9月号、p. 117)

「アレとかアレとかあんなのとかがハバを利かせているダンス界の現状を打破するような、じつに骨太の可能性を東野は感じさせてくれた。そしていまや活躍の幅を世界へ広げている」(『DDD』2009年1月号、p. 94)

「こういうダンサーの評価がのちのち高まってきたとき、かつてイチャモンを付けた連中の常套句は、“前よりも良くなった”というやつなのだが、ダンサーや振付の本質なんて、そうそう変わるもんじゃねえよ。変わったのはダンサーじゃなく、見ているキミらの目のほうだ。」(『DDD』2009年1月号、p. 94)

「プロデューサーやオーガナイザーの中には“オレのところに出てから良くなった”とまで言いだす輩もいるしな(ごく一部だけど)。」(『DDD』2009年1月号、p. 94)

「“評論家とは、研究者とジャーナリストのハイブリッドであるべき”と書いたことがある。“すでに評価が固まっているものばかりを対象にしている「研究者」は、しばしば知識ばかりで知的体力がないため、新しいアートが出てきたときに受け止めきれない”という主旨だ。」(『DDD』2009年1月号、p. 94)