認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の発病は、第二の人生での生き方が原因(B-74)

2017-01-01 | アルツハイマー型認知症の初期症状の正体

         謹 賀 新 年

  2017年の元旦の今日と言う日に、昨年1年間の過ごし方を振り返り反省しながら、緩やかとは言え衰えつつある吾が「前頭葉」の機能を正常且つ高度な機能レベルに維持していく為に今年はどのようなテーマを中核に、どのような生き方をして行くべきか、「一年の計」を立てているところなのです。近い将来に、住民参加型の「地域予防活動」が、国の基本方針として、我が国の隅々にまで展開されることが制度化されるときに備えて、「二段階方式」の各種マニュアルの改定、「脳機能データ」管理ソフトの改定、小冊子及び基本書の改訂、万年カレンダー及び脳イキイキノート四季版の著作並びにGooブログの継続的な著作等のテーマをそれなりに進めてきてはいるものの、もっと劇的な変化が欲しいと考えていたのです。

その劇的な変化のスタートともなるべき大きな「テーマ」が今まさに動き出そうとしているのです。皆さんには、詳細は未だ内緒のことなのですが。本年は、このテーマを核として、精一杯頑張って行こうと決意を新たにしているのです。

その手始めに、様々な種類がある認知症の大多数、90%以上の割合を占めていながら、世界中の認知症の専門家達(学者、研究者、医師)の間で『発病の原因が分からないし、治すことも発病自体を予防することも出来ない』とされている「アルツハイマー型認知症」についての私たちの主張の要点とその概要を、この元旦のブログで整理してみようと思い立ったのです。このGooブログ上で私たちの主張の概要と根拠となる「脳機能データ」を公開し始めて5年半の時が経過する中で、174回に及ぶ掲載を数えることが出来ました。私たちの主張の根幹となる内容だけでなく、様々な視点から様々な「テーマ」を取り上げて書いてきました。それにも拘らず、174回の掲載内容は、相互に完全に合致したものとなっています。言い換えると、矛盾するところが全くのこと一か所さえも無いのです。「脳機能データ」の中身とその解析結果から言っても、或いは、北海道から九州まで440を超える市町村で実施した住民参加型の「地域予防活動」の成果から言っても、私たちが主張している『「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、廃用症候群に属する脳の使い方としての「生活習慣病」であって、私たちの区分で言う「小ボケ」び「中ボケ」(本当の意味での早期の段階)で見つけて「脳のリハビリ」を実践することにより治すことが出来るし、気心が知れた仲間達と出来るだけ多く交わる機会を持つ生活の中で、考え、従事し、或いは実践することにより、「前頭葉」を含む脳全体が活性化して自分なりの「生き甲斐や喜び」が得られるもので、自分なりに継続できて、打ち込められそうな、趣味や遊びや人付き合いや運動、或いは町興しなどの地域活動といった「テーマ」の中から、自分なりに興味や関心が持てるものを選択して、且つ、達成すべき自分なりの「目標」を立てて、日々それを実行する「生活習慣」を打ち立て実践してさえいれば、発病自体を予防することが出来るタイプの認知症である』という主張内容は、完全に正しいものなのです。

 発病の対象となる60歳を超えた年齢の「高齢者」が、仕事とは無縁の「第二の人生」で、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防するには、「前頭葉」の出番を出来るだけ確保し「自分なりに脳が生き生きと働く」日々を過ごしていることが必要不可欠の条件となるのです。その為には、「家に籠っている」だけの消極的に生きる生活から抜け出て、お年寄り達が集まっている場所に積極的に出かけて行き「お茶仲間」に入れて貰い、様々な「笑いの仲間」に入れて貰うだけでも、「前頭葉」の出番が増えるのです。要は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)を居眠りさせないことが絶対の条件なのです。今年、今月、今週、今日と言う単位で、自分なりのものであって、近くなるほどより具体的な「テーマ」、「目標」がある「生き方」を追求して頂きたいと願うのです。そのチェックポイントは、『自分が、楽しく、生き生きと生きられているか』ということなのです(Yes,I can !).この条件が確保できている限り、貴方が、「アルツハイマー型認知症」を発病することは無いのです。私たちが規定する「発病の第二の条件」である、『生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥ることは無いからなのです』。「アルツハイマー型認知症」は、脳の使い方としての「生活習慣病」だからです。私たちのこの主張は、権威不足で現在は未だ社会的にそれほどの評価も注目も得られてはいないのですが、いづれ近い将来に必ず専門家達も社会も同意することになると確信しているのです。

私たちの主張内容は、私たちが独自に開発した「二段階方式」と呼称する神経心理機能テスト(意欲、注意の集中力及び注意の分配力と言う機能と「前頭葉」の個別認知機能の発揮度との相関関係に着目した「二重構造」の問題、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの精緻な判定、脳全体としての機能レベルに厳密に合致した「三段階」に区分する「症状」の類型化、廃用性の機能低下と言う「アルツハイマー型認知症」の発病と重症化の本質に着目した脳の使い方としての「生活習慣」の精査(「キッカケ」に遭遇した以降の脳の使い方としての生活習慣の変化に関する「生活歴」の詳細な聞き取り)並びに「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルと対応する症状に関する「脳機能データ」(個人別、男女別、地域別「脳機能データ」の経年変化の記録を可能にするソフトである「エイジング」は、私たち独自の視点で開発されたもの)及び北海道から九州までの440を超える市町村での実践の成果世間の専門家達の考えとは根本的に考え方が異なる為に、或る意味で、試行的な視点で実践がなされてきたものなので、権威が付与されて、もっと小さな地域単位で、もっと確信犯的な実践が行われるようになれば、その成果が世間を驚かすほどのものになると確信もしているのです。

脳全体の「司令塔」の役割を担っていいて、自分が置かれている状況を理解し、判断して、状況判断に沿ったテーマを発想し、テーマの実行内容を組み立てて、実行結果をシミュ・レーションした上で必要な修正を施し、最終的な実行内容を選択し、決定して、実行の指令を左脳、右脳及び運動の脳の各馬に発する役割、「三頭立ての馬車」の御者の役割を担っているのが「前頭葉」と言う脳機能なのです。生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続に起因した廃用性の加速度的で異常な機能低下が発病の原因である「アルツハイマー型認知症」は、脳の機能に衰えていく厳密な順番が存在するのが特徴なのです。最も高度な機能である「前頭葉」の機能、就中「前頭葉」の三本柱の機能、加えて言うと、注意の分配力の機能からその働きが衰えていくものだからなのです。言い換えると、「前頭葉」が正常な機能レベルに在る限り、「アルツハイマー型認知症」を発病することは絶対に無いのです。皆さんは、アミロイドベータの蓄積による老人斑が原因だとか、或いは、タウ蛋白の蓄積による神経原線維変化が原因だとか言われると、それが正しいものと信じてしまうのでしょうが、それらは発病の原因ではなくて結果に過ぎないのです。権威がある人達や組織が言っているからと言って、その主張内容が正しいものとは限らないのです。「アルツハイマー型認知症」の発病原因については、特にそのことを強調しておきたいのです。

 現在の私たちの主張に足りないのは、唯一権威だけ。そこへ、我が国におけるドキュメンタリー映画の巨匠と目される方が、私たちの活動内容に強い関心を示してくださっていて、市町村による住民参加型の「地域予防活動」がもっと広く住民及び首長たちの関心を呼び起こし、活動が拡大していくよう、『「二段階方式」に基づく、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防を明確な目的とし、且つその目的に特化した住民参加型の「地域予防活動」の展開と言う私たちの活動を映像化し、「ドキュメンタリー映画」として制作したい』と言ってきてくださったのです。

シナリオの構成はこれからのこととなりますが、17年の年内に完成させたいと監督がおっしゃってくださっているのです。これは「初夢」の世界のことではなくて、「現実」の世界のことなのです。全知全能を傾けて、監督に全面的に協力して、Tadともども頑張る所存なのです。併せて、皆様の応援よろしくお願いします。

(プロローグさて、『物忘れは、ボケの始まり』という言い古されてきた諺がありますが、まさかそれを信じているとは思えないのですが、『「記憶の障害」が原因となって、「アルツハイマー型認知症」の様々な症状が発現してくるもの』と世界中の認知症の専門家と言われる人達は考えているのです。その為、「記憶の障害」を惹起してくる原因としての「器質的な病変」ばかりが探し続けられ、求められているのです。そのこと自体が、極めて重大な誤りであることも知らないで居て。

私たちが「アルツハイマー型認知症」の「予防」を明確な目的とした住民参加型の「地域予防活動」の指導を開始したのは、今から丁度20年前の頃のことなのですが、それよりはるか前の時期から今に至るまで、世界中の認知症の専門家と言われる人達の全てが、『アルツハイマー型認知症と言うタイプの認知症は、発病の仕組みが分からないし、治すことが出来ないし、発病自体を予防することも出来ない』と言い続けてきているのです。「記憶の障害」が「アルツハイマー型認知症」の中核症状だとの誤った考えに立脚しているので、情報を伝達する役割を担う神経細胞の器質的な病変が対象となっていて、発病の犯人として主張されている、かつてのアセチルコリン説、今はアミロイド・ベータ説やタウ蛋白説や脳の萎縮説等、それらの全ての主張が発病との間の因果関係の立証が出来ないままの学説(仮説)として主張され続けているのです。

その一方で、発病の原因も仕組みもわからないとしながら、治療薬の開発に製薬会社一社だけの規模で言っても天文学的な規模、何千億円もが投入されているのです。発病の原因(メカニズム)が分からなくて、何故製薬会社各社は、一種類の薬の為だけに何千億円もの開発費用を投入しているのか不思議に思われるでしょう。発病の仕組みが分かっていなくても、「権威」があるとされる人達が主張している様々な「仮説」に基づいた「前提」を立てて、開発費用を惜しみもなく投入して、実験しているのが実情なのです。

 「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症の真の本質は、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活の継続、言い換えると、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続、脳の使い方としての「生活習慣が直接の原因となって前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてくることにより発病する病気、『廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎない』というのが私たちの主張なのです。「人生60年」と言われていた頃、私たちが未だ幼児であった昔は、「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄りの数は極めて少なかったのです。超高齢化社会の今は、高齢化率が高い市町村、或いはお年寄りが集まって住んで居る地域に行けば、「アルツハイマー型認知症」を発病しているお年寄りに遭遇することは極めて容易な状態なのです。このことを言い換えると、「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、誰でもが80歳とか90歳とか迄も生きるようになった「超高齢化社会」であるが故の特有の産物、社会現象なのです。従って、我が国の財政が介護の費用面から破綻することなく超高齢化社会をこの先維持していくには、「アルツハイマー型認知症」の発病の予防、住民参加型の「地域予防活動」の全国展開が必要不可欠のものとなってくるのです。個々人が、日常の生活面での脳の使い方としての「生活習慣」に注意して、更には、地域住民が一体となり、小さな地域単位での「地域予防活動」を展開することが絶対的な命題となるのです。このことに早く皆さんが気付いて問題意識を明確に持った「生活習慣」を実践していただきたいのです。

2015年度の実績ベースで、介護関連の総費用(診断、投薬、介護の総費用)の規模が天文学的な数字、15兆円を超えるに至っていて、この先更に増大の一途を辿るものと予測されているのです。その大半は、認知症全体の90%以上を占めている「アルツハイマー型認知症」の診断、投薬及び発病者の介護に要する費用なのですから。『原因不明で治らない』などと言う誤った考えに安住していていいのは、製薬会社と医療機関及び介護施設の経営者だけなのですから。

加えて、「アルツハイマー型認知症」の段階的且つ様々な症状は、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきたその直接の結果として、異常なレベルに衰えてきたその「機能レベル」のアウトプットに過ぎないということも併せて指摘しておきたいのです。認知症の専門家とされる人達は、「アルツハイマー型認知症」の症状について、「中核症状」と「周辺症状」とに区分するのが通例なのですが、実は、その区分には何の意味もないのです。私たちの区分に見るように、回復させることの可能性という視点からの区分、「脳のリハビリ」により回復させることが容易な小ボケ」の段階、困難さは増してくるものの、「脳のリハビリ」により回復させることが未だ可能な中ボケ」の段階、そして末期の段階であり回復させることが困難となる大ボケ」の「三段階」に区分することこそが意味の有る区分なのです。

これまでの学説では、アミロイドベータ説が有力説とされていて、アメリカをはじめとして我が国でも、製薬会社がこの仮説に則った治療薬の開発に邁進してきたのです。その基本的な考え方というのは、『アミロイドベータの蓄積を阻害する効能を有する薬を開発することにより、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死を抑制/防止することにより、「記憶障害」の症状の発現を防止することで、「アルツハイマー型認知症」の様々な症状の発現を防止し及び症状の重症化を防止する』というものなのです。ところで、そうした考えに立脚して「治療薬を」開発するに際しては、「三つの前提」が基礎になっているのです。私たちに言わせれば、『三つの前提の各々の内容自体に、重大な誤りがある』ということなのです。誤った前提に立脚して開発を行っている限り、どれだけの開発費用を投入しようとも、どれだけの優秀な人材を投入しようとも、どれだけの時間をかけようとも、「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発に成功する日は、未来永劫やってくることは無いのです。有るとしたら、初夢の中ということにしかならないのです。そうした無駄を出来るだけ早く止めさせる為にも、アミロイド・カスケード仮説が正しいものと信じて、且つ、その仮説の考えに則った「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発に従事している、東大、京大及び理化学研究所の研究者の皆さん達に対し、「三つの前提の各々」に含まれる「重大な誤り」が何であるかを以下に具体的に指摘し、解説し、問題提起しておきたいと考えたのです。

   

その「第一の前提」とは、「器質的病変が原因」となって、「アルツハイマー型認知症」の症状が発現してくるというものなのです。生まれつき特定の遺伝子に異常があることが発病の原因となる「アルツハイマー病」、脳に血を送る血管が詰まったり出血したりして、十分な量の血液を脳に送ることが出来なくなることが発病の原因となる「脳血管性認知症」という風に、認知症は「器質的な病変」が原因となって発病するタイプのものが多いのです。そのため、「アルツハイマー型認知症」を発病して、末期の段階にまで症状が重症化して、更に何年間も生きたお年寄りの死後の「脳の解剖所見」に共通の特徴として挙げられる老人斑(アミロイドベータ説が発病の犯人とするもの)、神経原線維変化(タウ蛋白説が発病の犯人とするもの)、或いは脳の顕著な萎縮(萎縮説が根拠とするもの)と言った器質的な病変が「アルツハイマー型認知症」を惹き起こす真犯人だとの「仮説」にそれらの学説は立脚しているのです。

ところが、肝心の「アルツハイマー型認知症」だけは、脳が壊れてもいないのに認知症を発病するのです。言い換えると、「器質的」な病変の存在が原因なのではなくて、単なる「機能」の低下が原因、ナイナイ尽くしの単調な「生活習慣」が継続することによる廃用性の機能低下が発病の原因となっていることに気づいていないのです「器質的な病変」こそが発病の真犯人との過度の思い込み(思い違い)から、何等かの「器質的な病変」ばかりを追い求めているが為に、何時まで経っても、廃用性の機能低下という真犯人(原因)を突き止めることが出来ないでいるのです。器質的な病変こそが発病の真犯人との考えに立脚したアミロイド・ベータ説やタウ蛋白説や脳の萎縮説の考えに則っている限り、何時までも、出口の見えない迷路を彷徨い続けることになるのです。

(コーヒー・ブレイク)仮説」や「前提」ばかりを基礎とした主張を繰り返している学会はさておいて、私たちは、「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症発病の真の犯人は、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない単調な生活習慣、ナイナイ尽くしの「単調な生活」の継続、脳の使い方としての「生活習慣」が直接の原因となって「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能低下を起こしてくることにより発病する病気、『廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎない』と主張しているのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、第二の人生での生き方、脳の使い方としての日々の「生活習慣」が問われる病気なのです。第二の人生」を送っている60歳を超えた年齢の「高齢者」に警告したいのです。ボケるかボケないか(「アルツハイマー型認知症」を発病するかしないか)、それはあ貴方の脳の使い方、「生き方」次第だということなのです。元旦の今日という日に、自身の脳の使い方としての「生活習慣」を見直していただきたいと願うのです。

お年寄りの皆さん方全員が、このテーマに関心を持つことによって、現在年間15兆円を超える規模となっていて、この先更に増大の一途を辿るものと予測されている介護関連の費用(診断、投薬及び介護の総額)を劇的に削減させることが出来る唯一の処方箋、住民参加型の「地域予防活動」に関心を向けて頂きたいのです。「アルツハイマー型認知症」は、「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の機能低下を本質とするものなので、「発病」を予防する唯一の方法が、「前頭葉を」含む脳全体の活性化を目的とした脳の使い方としての「生活習慣」の見直しと構築であり、「治す」ための唯一の方法が、本当の意味での早期の段階(私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階)で見つけて「前頭葉を」含む脳全体の活性化を目的とした「脳のリハビリ」を実践することなのです。このことを言い換えると、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防したり、治したりすることが出来る効能を有する「薬」は、開発することは出来ない、存在し得ないということなのです。飲むだけで(貼るだけで)、居眠りしかけていた「前頭葉」が目を醒まして、自分の置かれている状況を判断し、為すべき「テーマ」を発想し、実行内容を組み立てて、実行結果のシミュレーションをしたうえで、最終的な実行の内容及び程度態様を選択して、脳の各部に実行の指令を出すことが出来る効能を有する「薬」などありえないことなのです。それこそ、神を冒涜することになると言うべきなのです。

医療現場で現在行われていることは、医療費が高額なだけで診断には不必要(無用)であるCTやMRI、果てはPETまでも騒動員して、おまけに回復させることがもはや困難な末期の段階で見つけて、効きもしない薬を何種類か処方しているというのが実態なのです。専門医と称しながら、肝心の「アルツハイマー型認知症」について何もわかっていないし、私たちの意識的な世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能についても無知なのです。そうした営利にしか興味がない医療現場の人達が、「アルツハイマー型認知症」の発病自体の予防とか、本当の意味での早期の段階で見つけて治すとか言うことには関心を持つはずがないのです。なぜなら、住民参加型の「地域予防活動」が我が国の通津浦々にまで浸透し、活発に事業展開されることになれば、彼らは現在獲得しこの先更に増大の一途を辿ると予測されている売り上げを失ってしまうことになるからなのです。これは単なる推測や憶測ではないのです。私たちは、これまでに50を超える規模の大きな医療機関と契約を締結して、彼らがことごとく実施をやめていった生々しい体験を有するからなのです。彼らに共通していた理由とは、『「二段階方式」のやり方では、肝心の売上自体が激減してしまう、二段階方式のテストを実施するテスターの給料さえ稼げない』ということだったのです。

更に、「第二の前提」とは、『記憶障害の症状を引き起こすメカニズムは、アミロイドベータが蓄積して、或いは、タウ蛋白が蓄積してその毒性により、情報を伝達する役割を担っている神経細胞の細胞死が惹き起こされてくることである』との仮説を前提としていることなのです(アミロイド・カスケード仮説/タウ蛋白仮説)。

これまでは、アミロイドベータ説が有力説とされていて、アメリカをはじめとして我が国でも、製薬会社がこの仮説に則った治療薬の開発に邁進してきたのです。その基本的な開発のコンセプトというのは、『アミロイドベータの蓄積を阻害する効能を有する薬を開発することにより、「記憶障害」を引き起こすことを防止し、「アルツハイマー型認知症」の様々な症状の発現を防止し及び症状の重症化を防止する』というものなのです。

 そこで、元旦の今日、製薬会社各社が開発の大前提としている上述の三つの前提が「全くの根拠がないものである」ことを取り上げて、発想の転回が不可欠であることを指摘し、問題提起したいと考えた訳なのです。研究者の皆さん、「一年の計は元旦にあり」と言うではないですか。これまでの視点を根本的に見直して、新たな視点からの計を図ってみていただきたいのです。ご飯を食べたばかりなのにそのことさえ思い出せないほどの極めて重度の記憶障害の症状とか、失語や失認や失行と言った末期の段階の症状では無くて、もっと早期の段階の症状、私たちの区分で言う「軽度認知症(小ボケ)の段階や「中等度認知症」(中ボケ)の段階の症状に目を向けていただきたいのです。それにより皆さんがこれまで気にもかけてこなかったというか、気づいては来なかった「意識的」に何かのテーマを実行する世界、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」と言う脳機能の廃用性の機能低下という視点にたどり着くことが出来るようになるはずなのです。就中、私たちが、「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の廃用性の加速度的で異常な機能低下が惹起されてくるメカニズムというテーマに辿り着くことが出来るはずなのです。

 このテーマにたどり着けない限り、「アルツハイマー型認知症」の発病の仕組み及び症状が重症化していく仕組み、更には、「アルツハイマー型認知症」の発病を予防する方法や症状の進行を抑制する方法や症状を治す方法を見つけることは不可能なことなのです。これらのテーマに辿り着き、それら各々のメカニズムを知ることが出来た時、「アルツハイマー型認知症」の治療薬の開発は、不可能事、夢物語に過ぎないことを知るはずなのです。

アルツハイマー・マウスとやらを追いかけていたのでは、優秀な人材をどれだけ動員しようとも、大事な税金をどれほど投入しようとも、何時まで経っても、得られるものは何もないのです。「アルツハイマー型認知症」の専門家と自負しつつも、「末期の段階の症状」にしか目がいかず、その上「前頭葉」を含む脳全体の機能面と言う視点から捉えたメカニズムではなくて、単なる概観的な症状と「末期の症状」を呈していた患者の死後の「解剖所見」を基礎とした「仮説」に頼っているだけでは、「アルツハイマー型認知症」の本質を解明することは出来ない相談なのです。「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、脳が壊れてもいないのに、言い換えると器質的な病変が存在してもいないのに、意識的に何かのテーマを発想し、実行すべき内容を構築することが出来ないこと、そのことが認知症の症状となって発現してくるものなのだということに気づいていただきたいのです。

最後に、「第三の前提」とは、アミロイドベータの蓄積により(アミロイド・カスケード仮説)、タウ蛋白の蓄積により(タウ蛋白仮説)、脳の萎縮により(萎縮説)、『記憶の障害の症状が発現してくる結果、アルツハイマー型認知症の様々な態様及び程度の認知症の症状が惹き起こされてくる』との仮説を前提としていることなのです。

繰り返し、声を大にして指摘します。アルツハイマー・マウスとやらを追いかけていたのでは、優秀な人材をどれだけ動員しようとも、大事な税金をどれほど投入しようとも、何時まで経っても、得られるものは何もないのです。

 & 回復させることが可能な早期の段階の症状の類型とその特徴

〇「脳のリハビリ」により、回復させることが容易な「軽度認知症」(小ボケ)の段階の症状とその特徴

認知症の専門家とされる人達は、米国精神医学会が定めた「アルツハイマー型認知症」の診断基準である「DSM-4」の規定内容を基礎として「アルツハイマー型認知症」を捉えているので、言い換えると、「末期の段階」の症状である極めて重い症状だけにしか関心がないので、治せないものとの前提に立ってしか考えていないのです。私たちは、「二段階方式」と言う精緻な神経心理機能テストを開発して、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルとその直接のアウトプットとしての症状を正常なレベルから異常なレベルにまで連続したものとして、或いは、軽いほうから重いほうへと並べて類型化し整理しているので、更には、「脳のリハビリ」により治せるかどうかの指標の下に分類しているので、症状自体についても、専門家とされる人達とは整理の仕方や症状の観察の仕方も根本的な相違があるのです。専門家とされる人達は単に外観的な面からしか区分できていないのに対して、私たちは脳の機能レベルとリンクさせていて且つ治せるかどうか及びその困難さの指標も取り入れて類型化し分類し区分しているのです。

私たちの区分で言う「小ボケ」は、脳の働きから言うと五感を通して情報を取り込み「前頭葉」に送る役割の左脳も右脳も運動の脳も正常な機能レベルにあってちゃんと働いているのに、三頭立ての各馬と協働し、且つ、それらを支配しコントロールしながら、状況を判断し、状況判断に沿った「テーマ」を発想し、テーマを実行する為に必要な実行内容の企画や計画を行い、実行結果の推理や予測やシミュレーションの結果に基づく必要な修正を施し、最終的な実行内容とその程度及び態様を選択して決定し、三頭の馬に対して実行の指令を出す役割を担っている脳全体の司令塔、三頭立ての馬車の「御者」である「前頭葉」の機能だけが、廃用性の加速度的で異常な機能低下により、異常な機能レベルに衰えてきている状態を客観的な指標により判定し、捉えて言っているのです。とはいえ、「セルフ・ケア」は自分で何の支障もなく行えるし、「家庭生活」面での支障も何ら起きてきてはいないのです。家の外に出て行って、人と交わり、何かの「テーマ」を実行する「社会生活」面で支障が出てくるようになる、それが「小ボケ」の段階なのです。

脳の働きが「小ボケ」レベルの時、日常の生活面で明瞭に発現する「アルツハイマー型認知症」の症状について、「小ボケ」の段階に特有な類型を参考までに列挙しておきましょう。この段階で見つければ、「脳のリハビリ」(「前頭葉」の出番が増える生活習慣への改善)により治すことが容易なのです。世界的に権威があるとされている米国精神医学会の診断規定である「DSM4」が「アルツハイマー型認知症」診断の「第一の要件」として規定している「記憶障害」の症状はその欠片さえも確認されず、「前頭葉」の機能障害に起因した症状ばかりだということに注意を向けていただきたいのです。家の外に出て行って人と交わり何らかの共通の「テーマ」を実行する場である「社会生活」を送る際に、以前は出来ていたことなのに、今は、出来なくて、様々な支障が起きてくるのです。

○ 眼の光がどんよりしていて、表情に力がなく、無表情、無感動の様子が見て取れる

○ 問いかけに対する反応が遅くて、生き生きした笑顔が見られない

○ 何事に対しても、意欲がなくなる

(何かをしようとする意欲が出てこない様子)

(何をしたいのかを思いつかない様子)

(何をするにも億劫で、面倒がるようになる)

(何事につけても、直ぐに人を頼りにする)

(外出するのを面倒がり、嫌がるようになる)

(おしゃれに関心がなくなる)

(人付き合いを面倒がるようになる)

(新しい道具を使うのを面倒がるようになる)

○ 此処と言うときに、その「テーマ」についての「発想」が湧いてこなくなる

(会議などで、意見やアイデアを思いつかない)

(料理の献立が単調になる)

(いつも同じパターンの食材ばかりを買ってくる)

○ 肝心の「意欲」自体が出てこなくて、自分で「計画」して何かを始めようとしなくなる

(色々なことを自分で計画するのが面倒になる)

(買い物に行くと、お札ばかり使うので、小銭がやたらと貯まるようになる)

(料理の献立を考えるのが面倒になる)

(家人に指示されると、草むしりや洗濯や片付けなど家庭内の用事程度のことはこなせるが、自分から  やろうとはしなくなる)

○ 「根気」が続かなくなり、何かをやり始めても、すぐに投げ出してしまう(テレビを見ていても、同じ番組を続けて見ていられなくてチャンネルを直ぐに変えるようになる)

○ 機敏な動作が出来なくなる(歩く時も前かがみの姿勢となり、小股でトボトボと歩く)

○ 毎日ボンヤリとして過ごし、居眠りばかりするようになる

○ 食事の支度をしていて、鍋を度々焦がすようになる

○ 自動車を運転すると、軽微な自損事故が目立って増えてくる

(歩道に乗り上げる、こする、バックの確認をしないでぶつかる)

(信号無視や右折/左折のウインカーの指示を忘れる)

(流れに乗れなくて、同乗者が怖いほど、スピードが遅い:交通量が多い広い道を、時速30Kmで走り、車の列を従える。「前頭葉」の三本柱の機能である「注意の分配機能」が廃用性の機能低下により異常なレベルにまで衰えてきていることが原因で、道路の状況、車や人の流れや交差点の状況等に目配りや気配りと言う「必要な注意を配る」ことが出来なくなり、真っ直ぐ走らせるのが精いっぱいの状況にある為、道の真ん中寄りを時速30Km程度の速度でノロノロ運転することになるのです)

○ 話の流れに乗れず、話の輪にも入っていけなくて、主題とは関係のない話を自分勝手に唐突に話す

○ オルゴール・シンドローム現象が起きてくるようになる(同じ話を何度も繰り返して話していて、本人はそのことに気付かないでいる)

○ 社会生活に支障が出てくるようになる(人と交わり、コミュニケーションをとりながら何らかの目的に沿った行動が要求される家庭の外での生活、「社会生活」に支障が出てくるようになる)

&「脳のリハビリ」により、回復させることが未だ可能な「中等度認知症」(中ボケ)の症状とその特徴

中ボケ」の段階になってくると、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行しようとする際に、無くてはならない機能である「前頭葉」の働き具合が、廃用性の機能低下によって「小ボケ」の時のそれよりも加速度的に更に衰えてきていて、加えて、「小ボケ」の時には正常な機能レベルにあった、左脳、右脳及び運動の脳までもが、廃用性の機能低下によって異常なレベルに衰えてきているのです。とは言え、この段階で見つければ、「脳のリハビリ」により治すことが未だ可能なのです。

中ボケ」の段階にまで「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えてくると、食事、着衣、大小便、入浴等、身の回りのことは、自分で一応のことが出来るので、セルフ・ケアの面で周りの家族に迷惑をかけることはないのですが、家庭内の用事程度のこと(炊事、洗濯物の整理、掃除、庭の草花の手入れ、簡単な畑仕事など)でさえ、満足にはできなくなるので、「家庭生活」の面での様々な支障が起きてくるようになるのです。

脳の働きが「中ボケ」レベルの時、日常の生活面で明瞭に発現する「中ボケ」の段階での特有な症状について、その類型を列挙しておきましょう。「DSM-4」が「第一の要件」として規定している「記憶障害」の症状は、「中ボケ」段階となっても未だ、その中核となる症状ではないことに気づいていただきたいのです。

○ 抑制が効かなくなり、感情がもろに表に出てくるようになって、「ボンヤリと暮らしている」だけの日々を送るようになる

○「時の見当識」に、順次、以下のような支障が出てくる

(「中ボケ」の初期には、今日が何日か、平成何年なのかが言えなくなります。MMSEの換算後の得点が19点以下となる「中ボケ」の中期になると、今の季節が何時なのかが言えても、今が何月なのかが言えなくなります。「時の見当識」には、衰えていく順番があり、日、年、月、季節、昼夜の順に言えなくなっていきます。)

「脳のリハビリ」による回復の可能性についていうと、MMSEの得点が20点以上であれば(大まかな目安として今何月なのかが言える)、集団の中での「脳リハビリ」メニューが可能なのに対し、20点を切ると、個別での「脳リハビリ」が不可欠となるのです。

○ 箪笥の整理が出来ない、洗濯物の畳方が雑、食器も整理してしまうことが出来ない

○ ガスの消し忘れや水道の蛇口の閉め忘れが、週に数回起きてくるようになる

○ 自分が飲む2~3種類の服薬管理が出来なくなる

○ 簡単な計算もできなくなる

○ 料理の味付けが可笑しくなる(塩辛すぎて食べられないものを作り、本人だけが平気で食べる)

○ 服を自分で着ることはできるが、季節に合ったものを選べなくなり、着方にだらしなさや可笑しさが目立つようになる

(セーターの上からYシャツを着たり、パジャマの上にズボンを履いたり、前後ろに着たり、裏返しに着たりするようになる)

○ 家族のことを正確に言えなくなる(自分の子供が何人か、名前を何と言うか、どこで何をして暮らしているかが正確には言えない)

○ パジャマを着たまま平気で表に出たり、髪の手入れやお化粧を殆どしなくなる

○ 昨日の出来事をすっかり忘れてしまうようになる(昨日の老人会の出来事を忘れているというのではなくて、昨日老人会に行ったこと自体を忘れてしまっている)

○「所の見当識」が衰えてきて、自分が今居る場所が何処だか分からなくなる(自分の家に居るのに、夕方になって「今日は、長いことお邪魔しました。そろそろ帰らせていただきます。」と言い出し、出ていこうとする)

○ お金や持ち物の仕舞い場所を忘れてしまい、「盗まれた」と言って、騒ぐようになる(「物盗られ妄想」は、初めのうちは、通帳、財布、証書類などのことが多いのですが、次の段階では、化粧品や食料品などの日用雑貨に及ぶようになります)

 & 末期の段階であって、回復させることが困難となる「重度認知症」(大ボケ)の症状とその特徴

「中ボケ」の段階が更に進んでくると、「セルフ・ケア」(食事をしたり、服を着たり脱いだり、風呂に入ったり、トイレの後始末をしたりといった身の回りのことを自分で処理すること)にも様々な支障が出てくる、「大ボケ」の段階に入っていきます。廃用性の機能低下に起因して、「前頭葉」を含む脳全体の働きの具合が、「中ボケ」の時のそれよりも更に衰えてくる為なのです。認知症の専門家とされる人達は、この段階の症状が出てくるようになって初めて、「アルツハイマー型認知症」の発病だと考えているのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の機能低下の進行によりここまで衰えてくると、回復させることはもはや困難であり、症状の進行を抑制し、或いは防止することも困難となるのです。この段階で見つけることに何の意味があるというのでしょうか。医師にとって言えば、売り上げを稼げるだけの意味しかないのに。

大ボケ」は、「脳の機能レベル」で言うと、当初は4歳児レベルの幼児のレベルに始まり、次第に低下してきて、3歳児、2歳児、1歳児のレベルとなり、終には、寝たきりの植物状態にまで衰えが進んでいきます(4歳児のレベルから次第に「前頭葉」を含む脳全体の機能が衰えていくのですが、以前には「社会生活」がちゃんとこなせていた生活体験を経由した者としての、言い換えると、成人レベルの脳機能の働きにより暮らしていた当時の様々な知識や体験の断片なり欠片なりが、日常の言動や態度や行動の合間に漏れ出してくることがあるのが特徴なのです)。認知症の専門家とされる人達が「アルツハイマー型認知症」の症状と言っているのがこの段階の症状であり、「DSM-4」の規定がその第二の要件で確認を要求している、失語、失認、失行等の症状は、「大ボケ」の段階の中でも更に末期の段階の症状だということを知ってほしいのです。

なお、「大ボケ」のレベルに特有なもので、日常の生活面で発現して来る症状、行動、或は態度について、類型的なものを列挙すると、以下のようになります。

○ MMSEの得点が14点以下になる「大ボケ」の段階になると、初期の段階でも、「時の見当識」も「所の見当識」も「人の見当識」も全くなくなってきます。「今日が何年何月何日」なのか、「今の季節が何なのか」が分からなくなるだけではなくて、「昼夜の区別」も分からなくなるのです。自分が今何処に居るのかも分からなくなって、自宅に居ても落ち着かなくなるのです。そのうえ、同居している家族の名前も顔も分からなくなるのです。その根底には、脳全体の司令塔の役割を担っていて、私たちの意識的な世界を支配しコントロールしている「前頭葉」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下によって、働き具合が衰えてしまっていて、殆ど働いていないことにあるのです。アミロイド・ベータやタウ・蛋白の蓄積が原因という主張は誤解に過ぎないのです。

○ MMSEの得点が14~10点である「大ボケ」の前半のころは、症状事態は重くて、日常生活面での自立度は低くても(セルフケア自体には様々な支障が起きていても)、或る程度の言語能力が保たれていて、挨拶などの身体に染みついたような日常の会話や内容の簡単な会話は、交わすことが出来るのです(状況や話の流れに沿った会話や質問に対する応答などは、無理になります)

○ MMSEの得点が一桁の得点(9点以下)となる「大ボケ」の後半のころは、時の見当識や所の見当識や人の見当識がないだけでなくて、社会的な存在としての「人間らしさ」そのものが失われてきます(廃用性の機能低下により「前頭葉」も左脳も殆ど働かなくなってきていて、僅かに働きが未だ残っている右脳と運動の脳だけによる反応が見られるだけになります。時間や空間や人の認識が殆どなくなって、感情的、或は本能的に生きているだけの存在となっていきます)。「DSM-4」の規定が「アルツハイマー型認知症」の診断に際して確認を要求している失語や失認や失行といった症状は、この段階になって初めて(「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルがここまで衰えてきて初めて;就中注意の分配機能がほとんど働かなくなってきている状況下で初めて)発現してくる、「脳リハビリ」により回復させることが困難な極めて重い症状なのです。

この段階の症状を基準にして見つけて居たのでは、余りに遅すぎる、見つける意味が全く無いということになるのです。

○ いつも着ている服を脱ぎたがらず、風呂の後も汚れた下着を先ず身に着け、其の上から、新しく出してもらった下着を着たりします

(症状がさらに進んでくると、着衣失行が起きるようになり、服を一人では着ることが出来なくなって、ズボンを頭から被ったりするようになります)

○ 風呂に入れても、ただ入るだけで身体を洗わず、洗髪もしなくなります(脳機能の廃用性の機能低下により症状がさらに進むと、水を怖がり、風呂に入るのを嫌がるようになります)。

○ 「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能が殆ど働かなくなっているので、「記銘」自体がきちんと為されない為に、(保持も想起もできないので)直前に起きたことも直ぐに忘れるようになります

○ 幻覚や妄想が出て来ることがあります(誰も居ないのに、「人が居る」と言い張ったりする)

○ 独り言や同じ言葉の繰り返しが多くなる

○ 夜中に起きてきて、「会社に行く」とか「田んぼに行く」とか言って聞かないことがある

○ せん妄、妄想、徘徊、他傷、便コネなどの「問題行動」を起こすことがある

 

 

& 器質的な病変が原因とする専門家達の考えは、根本的に誤り

中核症状と周辺症状とに区分するのが通例である専門家とされる人達の特段の意味のない区分に対して、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善)により治すことが可能であるか、且つその程度はどの程度なのかと言う視点から、私たちは上述のような「三つの段階」に区分しているのです。「小ボケ」の段階から、「中ボケ」の段階を経て、末期の段階である「大ボケ」の段階の症状を列記した上述の説明を読めばお分かりのように、「アルツハイマー型認知症」の本質とは、脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の廃用性の機能低下を中核として、且つ「前頭葉」を含む脳全体の廃用性の加速度的で異常な機能低下に起因したもの、言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルの直接のアウトプットそれ自体が認知症の症状、回復させることの可能性という視点から「三段階」に区分される段階的な症状として発現しているもの、脳の使い方としての「生活習慣病」なのです(但し、食生活ではなくて、脳の使い方としての生活習慣が発病の原因であることに注意する)。

「前頭葉」の働き方の仕組み、機能が異常なレベルに衰えていく仕組み、機能が回復してくる仕組みの根本となる原因(機序)が単なる「機能低下」、或いは「機能回復」によるものであることに気づかないで居て、器質的な原因に違いないとの仮説、前提の下で、マウスやアルツハイマー・マウスの尻を追い掛け回している限り、何時まで経っても、真の原因を解明する日はやってこないことを指摘しておきたいのです。プロであることを自負するが余りに学者や研究者は、発病の原因に器質的な病態を求めたがるのですが、原因不明とされている「アルツハイマー型認知症」の発病は、情報伝達の機能を担う神経細胞の「器質的な病変」が原因なのではなくて、「前頭葉」を含む脳全体の機能の低下、然も、「廃用性の機能の低下」に過ぎないのです。付言すると、「物忘れ」の症状が出てきていようと、「小ボケ」や「中ボケ」の段階の症状が出てきていようと、器質的な病変は起きてきてはいないのです。「脳のリハビリ」で治すことが出来るのですから。回復させることが困難となる「大ボケ」の段階にまで症状が進んで、更に何年間も生きている内に、「老人斑の沈着」やら「神経現線維変化」とやらが起きてきたに過ぎないのであって、「器質的な病変」は発病の原因ではなくて結果に過ぎないと私たちは主張しているのです。脳全体の司令塔の役割を担っていて(三頭立ての馬車の御者)私たちの意識的な世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」と言う脳機能、就中、私たちが「前頭葉」の三本柱の機能と名付けている意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の加齢による機能低下という問題(正常老化の性質)並びに脳の使い方としての「生活習慣」に起因した廃用性の機能低下という命題に目が向かない限り、「アルツハイマー型認知症」の正体にも、発病のメカニズムにも、発病自体を予防する方法にも、早期の段階で見つけて治すという方法にも、気づくことは出来無いのです。

 注)本著作物(Bー74に記載され表現された内容)に係る著作権は、 (有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

  エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

  脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

 

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