認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

アルツハイマー型認知症の発病と人間としての尊厳とは(B-50)

2015-12-15 | アルツハイマー型認知症の予防と脳の活性化

 

 どうなるの 己が心に 今日も聞く 

   生きながらえる そのことの意味 By kinukototadao

     第二の人生では、仕事とは無縁の日々になります。誰からも指示は来ないし、期限に追われることもなくなります。電話もかかってこなければ、電話をかける相手先もない。訪れる先も無ければ、訪ねてくる人もいない。太陽が東の方から出てきて、西の方に沈んでいくように、来る日も来る日も同じことの繰り返し。自分は何のために生きているのだろうと、己が心に問いかけることになるのです。あなたの毎日と比べてどうですか。

   

日本の高度成長が始まる少し前の頃、昭和30年代の初め。私たちの幼少期には、還暦を迎えるとそろそろお迎えが来るというのが普通の現象だったのです。今は、還暦どころか、古希を迎えてもなんのその。米寿を迎えるくらいの年齢になって初めてお迎えが来るという時代なのです。その当時の企業勤めの人たちの定年は55歳~60歳だったので、第二の人生の期間がとても短く、還暦を迎えるとそれ程遠くない日にお迎えが来てくれていたので、「アルツハイマー型認知症」を発病するお年寄りは極めて少なくて、今とは比較にならないほどの少人数だったのです。

 世界に称賛された戦後復興。滅私奉公が社会的にも称賛され、家庭も忘れて、私たちは働いたのです。その結果、世界でもまれに見る程の高度経済成長を達成したのです。そして現在の我が国は、世界にも類例がないほどの「超高齢化社会」を迎えているのです。現在の我が国では、80歳は愚か90歳を迎える年齢になるまで、お迎えが来ないのです。60~65歳で定年を迎えたのちは、仕事とは無縁の「第二の人生」が、20年も30年も続くのです。とはいえ、「身体が持つ限りは、脳も持つ」というのであれば、何の問題も無いのです。ところが現在の我が国は、中国に次いで世界第三位の経済大国である一方で、米国に次いで世界第二位の「認知症大国」でもあるのです。厚労省が発表している認知症の患者数460万人のうちの、90%は「アルツハイマー型認知症」の発病者なのです。然も、厚労省が発表しているその数は、実は末期の段階の人達(私たちの区分でいう「大ボケ」の段階の人達)のことなのです。

 「アルツハイマー型認知症」というタイプの認知症は、段階的な症状を示すのが特徴なのです。最初の段階である「小ボケ」に始まり、次いで「中ボケ」の段階があって、最後に「大ボケ」の段階に行き着くのです。小ボケと中ボケとを合わせた数は、大ボケの数の2~3倍の数にもなるのです。この先更なる「高齢化」が進む中で、「アルツハイマー型認知症」の発病者数もさらに増加していくと予測されてもいるのです。何等の対策も打たれないままに、診断と薬の処方と介護にかかる費用が、年間で数十兆円もの規模になってしまい、製薬会社と医療機関だけが潤うという状況の中で、家族が自治体が国が財政面からも疲弊していっているのです。

「アルツハイマー型認知症」の正体は、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」に過ぎないのです。アルツハイマー型認知症」は、発病自体を予防することもできるし、本当の意味での早期の段階(私たちの区分でいう小ボケと中ボケの段階)で見つけて、「脳のリハビリ」(脳の使い方としての「生活習慣」の改善)に努めることで治すこともできるのです。発病を予防し、早期の段階で見つけて治せば、介護が不可欠となる「大ボケ」の段階にまで症状が進行していく人達の数を劇的に減らせることができるのです。そうなれば、現在深刻な社会問題となっている介護離職の問題も解消されることになるのです。脳を活性化する「生活習慣」の体験と日々の生活への取り込みを目的とした「地域予防活動」の全国展開という願ってもない方法が存在するというのに、国の税金を使って活動しているはずの独立行政法人は、マウスを追いかけていて、アミロイドベータなどという発病の原因ではなくて結果である(副産物)の血液中の量を測定することで早期診断につなげるとかいう、的外れな研究に夢中になっているのです。アミロイドベータの沈着が発病の原因だとしながら、原因と発病の結果との間の因果関係も未だに立証されてもいない単なる「仮説」に過ぎないのです。まずは、その因果関係を立証してから、大事な国の税金を投入すべきだと思うのです。因果関係が立証されなかったら、大事な巨額の税金の投入も、若く有為な人材の投入も、無駄に終わってしまうのですから。

   

「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症を発病しているお年寄りの数が、400万人を超えているのです(460×0.9=414)。その上問題なのは、そのお年寄り達は、セルフ・ケアにも支障が出てきていて、日常生活を送る上での介護が不可欠の人達なのです。そうした人達は、私たちの区分で言うと、末期の段階の症状である「重度認知症」(大ボケ)の段階の症状が発現してきている人達のことなのです。消費税の税率を2%上げるだけでも、政権を担当している自民党が右往左往する程の大変な政治問題になるのです。そうした状況の下で、介護保険の料率は簡単には上げられないので、介護保険制度が財政面から破綻しそうな勢いで、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達の数が増えてきているのです。おまけに「アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、脳が持たない(症状が次第に重症化していく)のに身体が持つのが特徴なのです。いつまでもお迎えが来てくれないのです。他の何らかの病気(老衰を含む)が原因で死を迎えることになるその日まで、緩やかながらも症状が進行していくのです(大ボケの症状の枠の中で、更なる重症化が進行していき、お迎えが来ないままで居ると、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが低下し続けていくので、最後は植物人間状態にまでなるのです)。末期の段階である「大ボケ」の段階にまで症状が進んでくると回復の可能性はなくなってしまい、「前頭葉」(前頭前野を言うものとする。以下、同じ)を含む脳全体の機能の廃用性の機能低下がその先もなお進行していくことになるのです。左脳が担う「言葉」のコミュニケーションが次第に難しくなっていき、同居している家族の名前や関係も分からなくなっていくのです。更には、右脳が担う「感情」が主体となる反応が進行していく中で、身体にしみこんでいたはずの衣服をどうやって着たらいいのかも分からなくなっていき、大小便を失敗しても後の処理さえできなくなっていくのです。症状がさらに重症化していく中で、介護する家族自身が共倒れとなっていくのです。そこには、介護に従事することの生き甲斐も喜びも無いのです。老老介護は、介護しているお年寄り自身もナイナイ尽くしの「単調な生活」を余儀なくされる中で、「アルツハイマー型認知症」を発病していくことになるのです(脳全体の司令塔の役割を担う「前頭葉」の機能が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続される中で、廃用性の異常で加速度的な機能低下を進行させていくこととなり、正常な機能レベルから、異常な機能レベルへと衰えていき、行き着く先に「アルツハイマー型認知症」の発病が待っているということなのです)。

    

今日私が皆さんに問題提起するのは、この「大ボケ」の段階の症状を発現している人達について、世の中の識者とされる人達の口から「尊厳」と言う言葉が物知り顔に語られることなのです。「前頭葉」の働きとその機能レベルについての知識が無いからではと推察するのです。大ボケの段階にまで症状が進んだ人たち、言い換えると、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルがそこまで低下してきている人たち(身体がもつ限り、脳の機能レベルは低下し続けていくのですが)の尊厳を問題にするのであればその前に、「小ボケ」にさえしてはいけないのです。大ボケの段階にまで症状が進む、脳全体の機能が衰えてくると、肝心の「前頭葉」自体が殆ど働いていないのです。「小ボケ」の段階の人たちは、「大ボケ」の段階の人たちよりもはるかに「前頭葉」の機能レベルが高い、正常な機能レベルよりは低下しているとはいえ、「前頭葉」が未だ働いているのです。「中ボケ」の段階の人たちの脳の機能レベルは、「小ボケ」と「大ボケ」との中間になります。

ここで問題提起しておきたいのは、ある著名なテレビ局の番組の中で、「アルツハイマー型認知症」と診断された人達(お年寄りだけでなくて、40歳代や50歳代の若い人たちまでもが含まれている)が、日々の生活や社会生活の中で自分たちがどのようなことに苦悩しているのかを、切々と然も豊かな感情を交えて、詳細に語ることなのです。その語り口は、極めて論理的で理路整然としていて、ユーモアを交えることさえあるのです。これは、脳の機能面から言えば、肝心の「前頭葉」が生き生きと働いている、正常な機能レベルにあることの証拠でもあるのです。前頭葉が生き生きと働くアルツハイマー型認知症の患者と言うのは、いないのです。

そもそも、「アルツハイマー型認知症」である場合は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」から衰えていくものなのです。最初の段階、私たちの区分でいう「軽度認知症」(小ボケ)の段階での脳の機能レベルはと言うと、左脳も右脳も運動の脳もそれらの全てが正常な機能レベルに在りながら、肝心の「前頭葉」の働き具合だけが異常なレベルに在るのです。テレビに出てきて見事な論理の展開と豊かな感情表現を交えて、わが身の困難な状況を切々と訴えている人達は、「アルツハイマー型認知症」を発病している訳ではないのです。側頭葉性健忘症であるケースが一番多いと思うのですが、緩徐進行性失語の場合もあるのです。番組を製作したテレビ局のディレクターだけでなくて、そのディレクターに教示した医師自身が、「アルツハイマー型認知症」について無知なうえに、側頭葉性健忘症や緩徐進行性失語のことについても無知なのです。重度の記憶障害の症状さえ確認されるものは全て、「アルツハイマー型認知症」だと勘違いしているのです。ついでのことに言及しておくと、「アルツハイマー型認知症」を発病する対象は、60歳を超える年齢の「高齢者」に限られるのです。40~50歳代の若い人達が発病の対象となることは無いのです。その番組の報道内容は、余りにも出鱈目というしかないのです。その番組を見ていて私たちは、「開いた口が塞がらない」程驚いたのです。

   

①  「国語辞典」によると、

尊厳とは、とうとくおごそかなこと。気高く犯しがたいこと。また、そのさま。

②  「Wikipedia」によると、

個人の尊厳或いは、個人の尊重とは、全て の個人が人間として有する人格を不可侵のものとし、これを相互に尊重する原理をいう。 人間の尊厳、個人尊厳の原理、人格不可侵の原則とも。基本的人権と同義ともされる、 ... とあります。

そもそも「人格」とは、何を言うのでしょうか。人格と評価されるその大本は何を捉えて言っているものなのでしょうか。

実は、その人自身の人格の大本は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の機能、その機能の中核をなす機能の一つである「評価の物差し」と言う機能に在るのです(私見で恐縮なのですが、「評価の物差し」の機能についての詳細な説明は、ここを「クリック」してください。脳科学者でさえ未だに気づいていない機能なのです)。

私たちの意識的な世界、何かのテーマを意識的に実行しようとするその世界では、この「評価の物差し」の機能の正常なレベルでの働き無しには、その人らしさを表出することが出来なくなるのです。かつてノーベル医学賞を受賞したロボトミー手術(前頭前野と他の部位との連絡繊維を切断するもの)の実施によって、「前頭葉」の機能が正常に機能しえなくなった結果、その人らしさが失われてしまうという大変な副作用が生じてくることとなり、現在ではこの手術法は禁止されているのをご存知でしょうか。

    

私たちは、私たちが開発した「二段階方式」と言う神経心理機能テストを駆使して、旧マニュアルベースでは14689例(最新のマニュアルベースでは、23725例)にも上る膨大な脳機能データ、「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした「アルツハイマー型認知症」の症状を集積し解析してきたのです(三段階に区分した「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルに厳密にリンクした三段階に区分される「アルツハイマー型認知症」の症状の類型については、ここを「クリック」してください)。

世の中の認知症の専門家達がその発病を気付かないでいる「アルツハイマー型認知症」の最初の段階であり、私たちの区分で言うところの「小ボケ」の段階は、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」の働き具合自体が、すでに異常なレベルに衰えてきているのです。

この段階では、「左脳」も「右脳」も「運動の脳」も、全てその働き具合が未だ正常な機能レベルに在るのですが、三頭立ての馬車の御者が居眠りしている状態、「異常なレベル」に衰えてくると、そのアウト・プットとしての症状自体も異常なものとなってしまうのです。それらの症状は、学者や認知症の専門家といわれる人たちには、「不活発病」などと命名されて注目を集めてはいても、「アルツハイマー型認知症」の症状であるとは考えられてもいないのです。

一つには、それらの研究者や学者達が、あの米国精神医学会の診断規定である「DSM-4」の重大な誤りに気づかないでいること及び「前頭葉」の機能についての知識が浅いこと並びに「前頭葉」の機能レベルを精緻に判定する「手技」を持たないこと等に、その主たる理由が有るのです。

 そのことはさておいて、左脳も右脳も運動の脳の機能も未だ正常なレベルにありながら「前頭葉」の機能だけが正常なレベルを超えて異常なレベルに衰えてきた段階、医師も学者も気づかないで見逃している「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階での最も注目すべき特徴的な症状は、「その人らしさが出てこなくなる」ということなのです。そのことに加えての特徴となるのが、私たちが「前頭葉」の三本柱と名付けている機能である「注意の分配力」が働かなくなり、「注意の集中」が出来なくなり、「意欲」が出てこなくなることに直接起因した症状、私たちが「指示待ち人」と呼ぶ特徴的な症状、何事にも興味も関心も示さなくなって、指示されるとそれなりにこなせるのにもかかわらず、指示されないと何もしようとはしなくなってくる症状なのです。外見から観察しただけの単なる作業によって「不活発病」とか言う名前を研究者達から冠されているそれらの症状は、14689例にも上る私たちの「脳機能データ」の解析から、詳細な生活態様については後述するナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されることにより「前頭葉」が廃用性の異常で加速度的な機能低下を起こしてきたことが原因だということが判明しているのです。

同居の家族や近所付き合いがある周りの人達が異口同音に発する言葉それは「その人らしさが失われてきた」ということなのです。ここで言う「その人らしさが失われてきた」とは、その人に特有の「物の見方や考え方や感じ方」の表出の具合が、従来のそれとは全く違った様相を呈するようになったということなのです。

それを脳の機能面から説明すると、その人に特有の(その人独自の)「評価の物差し」が、正常に機能しえなくなっているということを意味しているのです。「前頭葉」の機能が、「前頭葉」の評価の物差しと言う機能が、状況の判断、テーマの発想、内容の企画と計画、実行結果のシミュレーション、シミュレーションを反映した修正、実行の態様の抑制などにその人なりの(その人独自の)色付けを与えているのです。言動や行動も態度も感情の発露の仕方も全てそうなのです。

   

「前頭葉」の機能レベルが正常な段階から異常な段階に突入してきたその時から、言い換えると、「小ボケ」の段階になってきた時から、「前頭葉」の評価の物差しの機能が揺らいでくるのです。末期の段階であり、私たちの区分で言う「大ボケ」の段階で発現してくる症状の類型を読み返してみてください。この段階になってくると、症状を発現させている大本である「前頭葉」の機能自体が、殆ど機能しなくなっている状態に在るのです。「二段階方式」のテストを実施してみれば、明確に且つ精緻にそのことが判定できるのです。

「小ボケ」と「大ボケ」の間に横たわるのが、「中ボケ」の段階です。「中ボケ」の段階とは、「二段階方式」の定義では、「前頭葉」の機能テストが不合格となっていて、且つMMSの評価点が23点から15点までのレベルのことを言います。その「中ボケ」の段階でも、評価点が20点を切るか切らないかで、「前頭葉」を含む脳全体の総合的な機能のレベルは大きく異なることになるのです。評価点が20点以上の人達の脳機能は、集団での脳リハビリによって脳機能全体を正常なレベルに回復させることが出来るのに対し、評価点が19点以下(但し、15点までの人達。14点以下になってしまうと、末期の段階である「大ボケ」の段階に入ってしまい、「脳のリハビリ」が奏功しなくなって、「中ボケ」に回復させることさえも困難になってしまうのです)になってくると、個別の特別な「脳リハビリ」を実行するのでないと正常な機能レベルに回復させることが出来なくなってしまうのです。世の中の認知症の診断を専門とする医師達が、「アルツハイマー型認知症」を発病しているとの診断を行っている患者さん達は、「大ボケ」の段階の症状が確認される人たちだけなのです。

私たちの区分で言う「大ボケ」の段階のお年寄り達、「DSMー4」を盲信し、それに依拠して診断を行っている医師が「アルツハイマー型認知症」を発病していると診断する場合は、「記憶障害」の症状の確認(「DSMー4」が規定する発病の第一の要件)に加えて、失語や失認や失行などの症状の確認(「DSMー4」が規定する発病の第二の要件)までもが要求されるのです。

「DSMー4」の規定に依拠して診断され、「アルツハイマー型認知症」を発病していると診断されたお年寄り達はと言うと、失語や失認や失行などの症状が確認されたお年寄りと言うことになります。失語や失認や失行などの症状が確認されるお年寄り達の「前頭葉」の働き具合はと言うと、ほとんど機能していない状態に在るのです。「前頭葉」を含む脳全体の機能面から説明すると、自分が置かれている状況の判断も出来ないし、自分が何のテーマをどのようにやろうとしているのかも理解できないし、必要な手順に従った動作も行うことが出来ないし、言葉によるコミュニケーションにも重大な支障が起きてきている人達なのです。MMSEの得点で判定される左脳及び右脳の機能レベルと言えば、30点満点の一桁の得点にしかならない人達のことなのです。末期の段階の更に後半の段階にまで症状が進んだ人たち、そんな人たちを見つけるだけのために、医師達は、CTやらMRIやらSPECTやらPET等の機器を使用している、医療機関によってはそれらの機器を総動員して、診断しているのです。

こんな段階で見つけるのに何の意味があるというのか、その理由と根拠とをお聞きしてみたいのです。医療費だけが膨らんできて、見つける意味がないのです。ここまで症状が進んでしまったら(「前頭葉」を含む脳全体の働き具合が此処まで衰えてしまったら)、治すことはもはや困難なことになるのです。もっと早い段階、私たちの区分で言う、小ボケの段階で見つけたら「脳のリハビリ」によって容易に正常な機能レベルに回復させることが出来るし(「アルツハイマー型認知症」を治すことが出来る)、中ボケの段階で見つけたら「脳のリハビリ」によって正常な機能レベルに回復させることが未だ可能なのです。

 「中ボケ」の段階の症状が発現してきている人達は、良くて、「軽度認知障害」(MCI)の段階にある人との診断を受けるか、或いは、単なる「老化現象」、年のせいとして片づけられているだけなのです。「MCI」(Mild Cognitive impairment )とか言われると、何か権威を感じさせられて、とてもきちんとした医学上の概念であるかのような印象を持たれると思うのですが、外観的な記憶の障害の症状ばかりに目が行った極めてあいまいな定義にすぎず、「アルツハイマー型認知症」の発病と関連付けるには、余りにお粗末な定義と言うしかないのです。「アルツハイマー型認知症」の最も中核となる症状が「記憶の障害」の症状であるとの誤った考え方を前提とした定義に過ぎないのです。私たちが区分する「小ボケ」の段階の症状の類型に挙げられている症状をもう一度読み返してみてください。そこにみられるのは、「前頭葉」の機能障害を示す症状ばかりなのです。

私たち人間の「尊厳」を問題にするのであれば、「大ボケ」の段階にまで症状が進行する、言い換えると、「大ボケ」の段階の症状が発現してくるようになるまで放置している、「前頭葉」を含む脳全体の働き具合、「脳の機能レベル」が衰えて行ってしまうまで放置していること自体が重大な社会問題を抱えていることを指摘したいのです。「小ボケ」の段階で見つけてもらって、「脳のリハビリ」に励めば、容易に治すことが出来るのです(前頭葉を含む脳全体の機能レベルを正常な状態に回復させることが容易に出来るのです)。「中ボケ」の段階で見つけてもらい、「脳のリハビリ」に励めば、未だ治すことが出来るのです。収益を上げることだけに血眼になっていて、「治す」という医師本来の社会的使命を忘れてしまっている(放棄している)医療業界に大きな問題があるのです。

余談はさておいて、私が言いたいのは、「アルツハイマー型認知症」を発病していて、末期の段階の症状である「大ボケ」の段階の症状が発現してきているお年寄り達の人間としての「尊厳」を問題にし、声高に叫ぶのであれば、「小ボケ」の段階にも「中ボケ」の段階にもさせてはいけないのです。アルツハイマー型認知症」と言うタイプの認知症は、廃用症候群に属する単なる生活習慣病に過ぎないのであって、発病自体を予防することが出来るのです。更には、本当の意味での早期の段階、私たちの区分で言う「小ボケ」及び「中ボケ」の段階で見つけて、脳のリハビリを実践させることにより、正常な状態に回復させることが出来る、治してあげることが出来るのです(「小ボケ」からの回復の為の「脳のリハビリ」の方法については、ここを「クリック」してください)。大ボケの段階にまで脳の機能が衰えてしまった人たちの人権とか尊厳とかを声高に叫び問題にすることは、「アルツハイマー型認知症」が、廃用症候群に属する単なる「生活習慣病」であるというその本質から目を背けさせることになってしまうのではないかと危惧するのです。

   

私たちがこのブログでしばしば「本当の意味での早期の段階」と言う表現を何故使っているのか。早期診断と銘打って、「アルツハイマー型認知症」の診断の呼び込みに精を出している病院が多いからなのです。インターネットで検索してみるだけでも、そうした医療機関をたくさん見つけることが出来るのです。それらの医療機関が、「早期診断」としているのは、末期の段階であり私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の前半の領域のことなのです。治すことは出来ないが、進行を遅らせる効果が期待できるかもしれないとか言って、効きもしない薬(興奮型の場合もあれば抑制型の場合もあるのですが)を何種類か処方して稼いでいるというのが診察現場の実態なのです。「アルツハイマー型認知症」は、廃用症候群に属する「生活習慣病」、脳の使い方と言う視点からいうところの「生活習慣病」なのです。60歳を超えた年齢のお年寄り(加齢に伴う「正常老化」が進行してきて、私たちが規定する発病の「第一の要件」を充足していることになる)が、ナイナイ尽くしの「単調な生活」を継続させていること(私たちが規定する発病の「第二の要件」を充足している)に起因して、「前頭葉」を含む脳全体の機能が廃用性の加速度的で異常な機能の低下を進行させていくことにより発病してくるものなのです。「前頭葉」が使われる機会が極端に少ない「生活習慣」が、発病の直接の原因であり、症状を更に重症化させていく原因なのです。そうした性質、「アルツハイマー型認知症」の本質を理解することもなく、効きもしない上述の二種類のタイプの薬を処方して、稼いでいるだけなのです。

 皆さん、眠って閉じたままで居る「眼」を開けてください。実は、認知症の専門家達、学者も研究者も医師も気づかないでいるうちに、以下に問題提起する異常な事態が進行中なのです。

「アルツハイマー型認知症」の予防と早期診断による回復を明確な目的とした、市町村の保健師さん達と地域住民との協働による「地域予防活動」を出来るだけ早期に、且つ国の重要な政策として、全国展開すべき時が来ているのです。2012年の3月に私が、このブログを立ち上げて以来、何度もこのブログ上で警告し、警鐘を鳴らしてきたあの問題、東日本大震災の被災地の高齢者たちの間で起きてきている問題、「アルツハイマー型認知症」を発病して「小ボケ」の段階に始まり(通常は、発病してから3年の期間が小ボケの期間)、中ボケの段階を経て(通常は、中ボケの期間が2年間続きます)、最後に末期の段階である「大ボケ」の段階に入っていくものなのです(「大ボケ」の期間は、何らかの他の病気が原因で死を迎えることになるまで、大ボケの段階の枠の中で、症状の重症化が進行していくことになります)。発病までに半年から1年が経過しているとして計算すると、その大ボケの段階の症状が発現してきている人達が明るみに出てくる日がまじかに迫ってきていることになるのです。然も、その年齢別の発症率の高さ及び発病者数が、日本中の他のどの地域と比較しても、突出している程の率と規模とになっていることを知ることになるのです。その日は、刻々と近づいてきているのです。これは、単なる予告ではなくて、警告なのです。これまでとは全く異なった視点から「アルツハイマー型認知症」の発病の原因や症状の特徴が考えられるようになる、新しい時代の幕が切って落とされることになるのです。「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期診断による回復というテーマが認知症の専門家たちの間で語られる新時代の幕開けとなる日が来るのです。

   

私たちが、「アルツハイマー型認知症」の発病の「第二の要件」として定義するところのナイナイ尽くしの「単調な生活」生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない「単調な生活」が始まるのに、半年間程が経過していたとして、発病するまでに少なくとも半年間のナイナイ尽くしの単調な生活の継続が必要となるので、東日本大震災の発生日から約1年後には、「アルツハイマー型認知症」を発病する人達が出始めていたと考えられるのです。この計算で行くと、東日本大震災の発生日が2011年3月11日なので、それから一年後の2012年の春ごろから「アルツハイマー型認知症」を発病する人達が出てき始め(然も極めて大量の規模で)、それに小ボケの期間が3年、中ボケの期間が2年加算されると、2017年の春か夏ごろには、末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が出てきたお年寄り達が、他府県のどの地域のお年寄り達とも比較にならない程の割合と数の認知症の発病者として、際立ってくるようになるはずなのです。大ボケの段階の症状が確認されるようになると、医師達も、「アルツハイマー型認知症」の発病と診断するようになるので、マスコミも大騒ぎすることになると考えているのです。その結果、「アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する生活習慣病である」とする私たちの主張が、疫学的に立証されたことになるのです。私たちの主張内容の正しいことが立証されることにより、実力だけでなくて、権威が付くことにもなる、そのことが、市町村での「地域予防活動」の展開を指導していく上で、極めて重要なことなのです。

 その暁にこそ、私たちがこれまで問題提起し、提唱してきた「アルツハイマー型認知症」の発病の予防と早期診断による回復を明確な活動目的とした「地域予防活動」が、極めて重要且つ不可欠のテーマとして、全国民の間で認知され、我が国の市町村全体が実践のための活動を主導し、小さな地域単位での地域住民と協働する中で、島々の隅々の間でも、その活動が展開されてくるようになる記念すべき出発の年となると期待し、考えているのです。

そのタイミングに合わせて、「二段階方式」の実践「マニュアル」を更に使いやすい内容に改善していき、そのことに加えて、「脳機能データ」の管理ソフトについても、二種類の脳機能テストの結果、発現が確認される症状の類型、過去数年間継続されてきたナイナイ尽くしの単調な生活習慣の類型等のデータを投入するだけの作業で、「アルツハイマー型認知症」であるか否かの判定(他の種類の認知症との鑑別及び認知症と紛らわしい病気との鑑別を含む)が自動的に的確に処理できるような程度のものに改良しておきたいと考えているのです。全国の市町村で「二段階方式」の手技を活用することになると、その業務に従事する保健師さんの資質(性格、意欲、情熱、態度)も様々なものになってきます、そうした資質の差が判定結果のバラツキとなって生じてくることを出来るだけ防ぐためにも、判定の自動化と言うテーマ(判定ソフトの開発)を極力推進していきたいと考えてもいるのです。

私たちの区分で言う「大ボケ」の段階の症状が発現してきているお年寄りは、残念ながら、「介護」と言う途しか残されていないのですが(「大ボケ」の段階のお年寄りこそ、家族介護に頼るのではなくて、介護保険制度を全面的に適用すべきなのです。そうすれば、介護離職を防げるのです)、「小ボケ」と「中ボケ」の段階の症状が発現している人たちは、家族が中心となって「脳のリハビリ」を組み立てて実践させることにより「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルを正常な状態に戻すことが出来る(「アルツハイマー型認知症」を治すことが出来る)のです。正常な状態に回復させることが期待出来るからこそ、小ボケと中ボケの介護を家族が中心となって担い行うことが期待できるのです。回復させることへの努力が、介護に従事する家族自身の生き甲斐や喜びにもつながるからなのです。このことを、是非、忘れないでおいていただきたいのです

 皆さんが目指すべきは、現状のような放置された認知症大国ではなくて、世界に冠たる「認知症の予防大国」になることなのです。2017年をその出発の年、コペルニクス的転回の年にするのです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。謝 謝。

 

  注)本著作物(Bー50に記載され表現された内容)に係る著作権は、(有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

    エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

     脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)

    

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