認知症の早期診断 介護並びに回復と予防のシステム

アルツハイマー型認知症は、廃用症候群に属する老化・廃用型の生活習慣病なので、発病を予防でき、早期治療により治せるのです

私の脳を活性化させてくれる旅行という「テーマ」 (B-71)

2016-11-15 | 自分なりのテーマを日々楽しむ脳の活性化

   時が往く   朝昼夜と 平穏に

   これで良いのか 問うこともなし By kinukototadao

 私のブログは、皆さんにお伝えしたいことが多くて字数がとても多いので、出来るだけ写真を挟むようにしています。字ばかりだと読者の皆さんが気疲れして、最後まで読んでいただけないのを恐れる為なのです。ブログで使用している写真は、海外旅行時のものもあれば、国内旅行時のものもありますが、載せている写真は全て私が撮影したものばかりなのです。

ところで、旅行という「テーマ」は、来年には古希を迎えようという私にとっても、今なお脳を活性化させてくれる大切なテーマなのです。公私を併せて海外には150回を超える回数の渡航をしてきたのですが、この年齢になっても、平均して年に1回は、ツアーではなくてprivateな海外旅行を楽しんでいます。とはいえ、60歳代の前半までは年に3~4回海外旅行していたのが、最近はというと、1回がやっとなのです。加齢による意欲の衰えのせいなのです。国内はというと、「地域予防活動」の展開に関わる講演の関係で、北海道から沖縄まで、全国に出かけていきました。今でも、春夏秋冬それぞれの季節に、短期の旅行を行っています。テレビや雑誌で知って、住んでみたいなと思うところを選んで訪れて、何日間か滞在し、滞在自体、体験ごと、食事とお酒、そして地域に特有の文化を楽しむのです。去年の紅葉狩りの季節は、エクシブ蓼科を拠点にして、お友達と蓼科周辺の黄葉(蓼科地方は、紅葉ではなくて、カラマツ林の黄葉なのです。黄金色の黄葉。そして、食事はというと、例によって翆陽の中華懐石と紹興酒)を楽しんできたので、今年の紅葉の季節は、エクシブの山中湖を拠点に、お友達と紅葉狩りを楽しんできました(もちろん、Tadの要求で、食事は、翆陽の中華懐石。年を取ってくると「食事」も、特に、気心が知れたお友達と一緒に楽しむ食事は、脳を活性化させる上での大事な「テーマ」になるの)。

そして、古希を迎える来年は、オーストラリアのケアンズ周辺を、同じく古希を迎えられるお友達ご夫婦と訪ねる予定にしています。Tadは過去にケアンズを訪れたことがあるので、滞在プランの作成は、Tadの担当になっています。ケアンズのヒルトンを拠点にして、10日間程楽しんできたいと考えているのです。写真もたくさん撮って、このブログに載せたいと考えています。

 前置きが長くなりましたが、私のお気に入りの写真の一部をご鑑賞ください。このブログで、これまでに使用したものばかりです。

 ○ 徳島県の鳴門にて(左端の写真は、エクシブ鳴門)

  

 ○ 伊豆高原の富戸にある「Jガーデン」(お友達が手造りで、10年かけて完成させたもの)

   

○ 京都にあるお友達の別荘

    

○ ハワイ島にあるお友達の別荘

    

 ○ オアフ島にある別荘(「HGVC」:共同所有形態によるクラブ形式の別荘)

    

 ○ ハワイ島にある別荘(「HGVC」:共同所有形態によるクラブ形式の別荘)

   

○ 一景色として(ハワイ島)

  

○ カメが集まる海岸(ハワイ島)

   

○ オーストリア

    

○ 奈良の寺々(右端は、秘仏「蔵王大権現」で有名な金峰山時)

    

○ エクシブ山中湖

   

○ 久保田一竹美術館

   

○ 脳活性化研究所のリビングから今朝写したもの

   

 いかがでしたか。写真を媒体にすると、当時のことが生き生きと思い出されるものですね。                   

 追記

 私のブログは、このどちらかの基地で書いています。

○ 南箱根ダイヤランドの情報発信基地(「脳活性化研究所」)

  

○  伊豆高原の情報発信基地(「エイジングライフ研究所」)

    

  171回目を迎えたこのブログを書き始めたのは、2012年の3月。東日本大震災の発生後1年が経過したとき、被災地の陸前高田を訪れてみて、どうしても知らせないといけないと思ったからなのです。あれほどの被災であれば、多くの高齢者達が、被災を「キッカケとして意欲を喪失してしまうに違いないと考えたからなのです。被災で多くのものを失ったショックで、這い上がり、立ち上がる意欲を喪失してしまうと、何もしようとはしない生活、ナイナイ尽くしの「単調な生活」に陥ってしまうからなのです。「前頭葉」という脳機能の働きのメカニズム、或いは衰えの仕組みについて無知な一部の学者が、この何もしない生活状態を捉えて、外観的な行動の態様だけを捉えて「生活不活発病」とか命名しているのは、「アルツハイマー型認知症」の最初の段階である「軽度認知症」(小ボケ)の段階のことなのです。

60歳を超えた年齢の「高齢者」が(「発病の第一の要件」の充足)、 何等かの「キッカケ」(ここを「クリック」してください)を契機として、生き甲斐なく、趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まると(「発病の第二の要件」の充足)、第一の要件と第二の要件とが同時に充足される相乗効果により、私たちの意識的な世界を構築し、支配し、コントロールしている「前頭葉」(「前頭前野」を言うものとする。以下、同じ)の廃用性の加速度的で異常な機能低下を中核として脳全体の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させていき半年から1年が経過すると「前頭葉」の機能が異常なレベルに衰えてくることにより(左脳、右脳及び運動の脳は、まだ正常なレベル)、「アルツハイマー型認知症」を発症することになってしまうからなのです(ここを「クリック」してください)。「アルツハイマー型認知症」を発症した世界とは、「前頭葉」の機能の廃用性の機能低下に起因した機能障害を中核とする世界、「前頭葉」の機能が加速度的で異常な機能低下を進行させていく世界なのであって、「DSM-4」やアミロイド・ベータ説やタウタンパク説が主張している「記憶障害」に起因した症状を中核とする世界のことではないのです。東日本大震災の被災から既に5年の歳月が過ぎ去ってしまいました。「小ボケ」の期間は3年、「中ボケ」の期間は2年で、その後は末期の段階である「大ボケ」の段階に入り、身体がもつ限り(何等かの他の病気が原因で死を迎えることになるまで)「大ボケ」の段階の枠の中で症状が更に進んでいくことになるのです(ここを「クリック」してください)。

被災を「キッカケ」として半年から1年後にナイナイ尽くしの「単調な生活」が始まり、「アルツハイマー型認知症」を発症するまでに、平均して被災から1年半かかったとして計算すると、被災地のお年寄り達の間では、現在は「ボケ」の段階のお年寄りが認知症の専門家達が驚く程の人数と年齢別の割合で居て、「ボケ」の段階のお年寄りがこれまた驚く程の人数と年齢別の割合で居て、速い人の場合は「大ボケ」の段階に入ろうとしている人達が相当数居て且つそのことが認知症の専門家達(医師、研究者、学者)にも気づかれないで居て放置されたままになっていると考えられるのです。私たちの「二段階方式」を活用して判定してみれば、そうした状況の存在が容易に分かることになるのです。認知症の専門家と言いながら、「アルツハイマー型認知症」については皆さん無知なので(認知症の専門家とされる学者や研究者や医師たちは皆さん全員が、「アルツハイマー型認知症は、発病の原因もメカニズムも分からないし、治すことができないし、発病自体を予防することができないタイプの認知症」だと主張しているのです)、「小ボケ」の段階のお年寄りの症状は今流行りの「生活不活発病」という名前を冠されるだけで、「中ボケ」の段階のお年寄りの症状は「年のせい」(老化現象)と間違われていて、放置されたままの状態と考えられるのです。「小ボケ」の段階で見つけると、「脳のリハビリ」(前頭葉を含む脳全体を活性化させることを目的とした脳の使い方としての「生活習慣」の改善)により正常なレベルに戻すことが容易(治すことが容易)であり、中ボケの段階で見つけると、「脳のリハビリ」により治すことが未だ可能なのですが、「大ボケ」の段階にまで脳の機能が衰えていってしまうと、治すことはもはや困難になってしまうのです。認知症の専門家達の間で世界的な権威があるとされてはいるものの、規定の内容自体に重大な欠陥がある「DSMー4」の規定(米国精神医学会が定める「アルツハイマー型認知症」の診断規定)を鵜呑みにして、その規定に依拠して「アルツハイマー型認知症」の診断を行っているのが実情である我が国の医療の現場では(末期の段階である「大ボケ」の段階の更に後半になってしか発現してくることが無い失語や失認や失行の症状を確認して並びに、極めて「重度」の記憶障害の症状を確認して初めて、「アルツハイマー型認知症」と診断しているのです、「見つけている段階が遅すぎる」が故に、「治すことができない」と誤解されているだけなのです(ここを「クリック」してください)。

小ボケ」の段階のことも、「中ボケ」の段階のことも知らなくて、規定内容自体に重大な欠陥があることも知らないで居て、医療現場では認知症の専門家と称する医師たちが、米国精神医学会の診断規定である「DSMー4」の規定にしがみついていて診断するので、末期の段階である「大ボケ」の段階の症状が確認されるようにならないと、「アルツハイマー型認知症」だとは考えもしないのです。「アルツハイマー型認知症」は、発病の原因(仕組み)が分からないし、治すことができないし、発病を予防することもできないタイプの認知症だと公言していて、且つそれでいて、効きもしない薬を何種類か処方しているだけなのです。

 あと1~2年が経過してしまうと、もはや回復させること自体が困難となって「介護」するしかない状態に進んだ段階である「大ボケ」の段階の症状を発現してくるお年寄りの姿が被災地にあふれてくるようになってしまうことを恐れるのです。然も、「DSM-4」の規定が「第二の要件」として確認を要求している症状である失語、失認又は失行の症状が発現してくる人達はというと、もっと末期の段階の人達なのです。30が満点であるMMSEの得点が一桁の得点になるまで「前頭葉」を含む脳全体の機能レベルが衰えて来ないと発現してこない症状なのだということさえも知らないでいるのです。そうしたレベルの医師達からすると、「大ボケ」の段階の初期の症状が発現してきてもそれさえ気づかないで見逃してしまうのではないかと考えているのです。その結果、東日本大震災の被災地には、この先「大ボケ」の段階の症状が発現してきたお年寄り達があふれかえってしまうことになりかねないのです(ここを「クリック」してください)。

  実は、数日前のことなのですが、或るテレビ番組で、上述の「生活不活発病」を唱え発信している医師が、生活不活発病とは何かを詳しく語っていたのです。その話によると、そも「生活不活発病は、身体を動かす機会が減ってくる生活が継続することにより発症する」と説明していたのです。いろいろなことで身体を動かす機会がたくさんあった生活が、身体を動かす機会が次第に減ってきたことが原因で、「生活不活発病」を発症したと説明していたのです。その医師は、「身体を動かそうとする/動かそうとはしない」かを選択し、決定しているのが、脳であること、「前頭葉」という脳であることに気が付いていないのです。「前頭葉」という脳機能について無知なのか、あるいは無関心なのかのどちらかなのでしょう。 何等かの目的で「身体を動かす/動かそうとはしない」ということ自体が、「前頭葉」という脳機能の働きの関与なしには、あり得ないことなのだという視点が欠けているのです。身体を動かすことであれ、考えることであれ、何かを意識的に行おうとするときは、必ず、「前頭葉」という脳機能が関与するのです。何かの「テーマ」を考えるにも、何等かの目的で身体を動かすにも「意欲」という脳機能が必要なレベルで働くことが不可欠となるのです。何等かの目的での思考や身体を動かす際には、必要となるレベルでの「注意の集中力」の発揮が要求されるのです。そして、最も大事なことは、自分が置かれている状況を理解し、判断して、状況判断に沿った何等かの「テーマを」発想し、その実行内容を適切に組み立てるには、必要なレベルでの「注意の分配力」の機能の発揮が不可欠となるのです。私たち人間だけに特有な世界、意識的に何かの「テーマ」を発想し、選択し、実行するという世界では、常に、必ず「前頭葉」と言う脳機能の関与があり、就中、「前頭葉」の機能を適切に発させる上での「前頭葉」の三本柱の機能の機能レベルという問題が存在しているのです。加齢とともに機能が衰えていくという性質、私たちが「正常老化の性質」と名付ける生来的な性質に加えて、廃用性の機能低下が加わったことにより、「三本柱の機能」自体の機能レベルが異常なレベルに衰えてきたことが、「生活不活発状態」を惹き起こさせている真犯人なのです。「生活不活発病」と認定されている人を、私たちの「二段階方式」のテストで判定してみれば、「前頭葉」の機能が不合格レベルと判定されるはずなのです日常の生活面で、自らは何もしようとしなくなっている状態、それの直接の原因は、脳の働き方/「前頭葉を」含む脳全体の機能レベルにあるのです。身体を動かす機会が減っていることが、生活の不活発状態を惹き起こさせている直接の原因なのではなくて、何かを「キッカケ」として「前頭葉」を含む脳全体を働かせる機会が極端に減ってきている「生活状態」(脳の使い方としての「生活習慣」)こそが、「生活不活発状態」を惹き起こさせている真の原因なのです。「身体を動かそうとする機会が減った生活状態」という捉え方ではなくて、「意識的に、身体を使おうとする機会が減った、生活状態」という捉え方をすべきなのです。何等かの「キッカケ」の発生を契機として、「前頭葉」の出番がそれなりに確保されていた従来の「生活習慣」の継続ができなくなり(失ってしまい)、その状況から立ち上がる(従来の「生活習慣」を取り戻す意欲を喪失してしまい、生き甲斐なく趣味なく、交遊なく、運動もせず、目標となるものもない、ナイナイ尽くしの「単調な生活」が継続されている生活状況の下で、「前頭葉」の機能が、廃用性の加速度的で異常な機能低下を進行させてきた直接の結果として、私たちの区分で言う「軽度認知症」(小ボケ)の段階に在ることに気づいていないだけなのです。「アルツハイマー型認知症」を発病しているのに、そのことが見逃されているだけなのです

 そこで取り上げられていた「身体を動かす」という行為自体が、脳全体の司令塔の役割を担っている「前頭葉」が構築し、支配し、コントロールしている「意識的な世界」のことなのです。私たちが意識的に何かの「テーマ」を実行する場面では、自分が置かれている状況の理解と判断、テーマの発想、発想した実行内容の企画と計画、実行内容のシミュ・レーションとシミュ・レーションに基づく修正、最終的な実行内容及びその程度と態様の選択、実行の意思決定、そして脳の各部に対する実行の指示等、「前頭葉」が脳全体の司令塔の役割を担っているのです。更に言うと、そうした「前頭葉」の個別の認知機能の発揮度は、意欲、注意の集中力及び注意の分配力という「前頭葉」の「三本柱の機能」に下支えされてもいるのです(機能発揮上の「二重構造」の問題)。

 日常の生活面での生活不活発の状態を惹き起こした真の犯人とは、何かが「キッカケ」となって、意欲を喪失してしまい、その状態から這い上がり、立ち上ろうとすることが出来なくて、何もできない/しない状態(「小ボケ」の段階)にある生活状態、言い換えると「前頭葉」自体の出番が極端に少ない日々の暮らし方(「脳の使い方」と言う視点で言うところの、ナイナイ尽くしの「単調な生活習慣」)にあるのです。何かをしようとする意欲自体が湧いてこない、そこまで意欲自体の機能レベルが低下してきている、「脳機能」状態に在るということなのです。生活不活発の状態が継続されているということは、身体を動かすことが不活発な生活状態に在ることが直接の原因なのではなくて、「前頭葉」という脳の働きが不活発な生活状態に在ることこそが直接の原因ということなのです。肝心の「前頭葉」の機能レベルが、正常なレベルにあるか否かを判定すれば、容易にわかることなのです(ここを「クリック」してください)。

○ 陸前高田を現地訪問した時に撮った写真(一本杉)

  

  私にとって(父は97歳で、母は99歳で、天寿を全うした血筋の私)、「古希」を迎えることは単なる通過点。 出来るだけたくさんのお友達と交わり、旅行以外にもいろいろなテーマを見つけて、出来るだけ楽しい日々を送って、吾が脳の活性化に励んで、「前頭葉」の三本柱の機能である意欲、注意の集中力及び注意の分配力の機能の衰えを、できるだけ緩やかなものに保って、住民参加型の「地域予防活動」を日本全国の市町村の通津浦々にまで浸透させていきたいと考えているのです。少なくとも米寿を迎えるまでは、現役で頑張りたいと意気込んでいるのです。                                             

注)本著作物(Bー71に記載され表現された内容)に係る著作権は、 (有)エイジングライフ研究所に帰属しています。   

    エイジングライフ研究所のHP左の部分を「クリック」してください)

    脳機能から見た認知症(具体例をベースとしたもう一つのブログです)


 

 

 




















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