”越後の虎”と恐れられた戦国武将、”軍神”上杉謙信は、その旗印に「毘」の文字を使った。
これは仏法を守護する武神・毘沙門天からとったもので、自らを”毘沙門天の化身”と称したともいう。
毘沙門天は七福神の一柱としても数えられる、日本人には馴染みの深い神様だ。
この毘沙門天は仏教における天部の仏で、多聞天ともいい、四天王の一尊でもある。
四天王といえば、上の写真の東大寺の四天王像が有名で、左から多聞天、増長天、広目天、持国天。
この四天王は「ラーメン四天王」、「ものまね四天王」のように、俗に「ある分野における実力の突出した4人」・・とゆー感じでよく耳にする言葉なので、誰しも聞き覚えがあるだろう。
本来はインド神話に登場する雷神インドラ(=帝釈天)の配下で、後に仏教に守護神として取り入れられたという。(カテゴリー/歴史・民俗:「やおよろず―日本人の宗教的寛容性」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/4957f201a1539975b9843b65e9ad17f9)
仏の住む世界を支える須弥山の北方、古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち、北倶廬洲(ほっくるしゅう)を守護する多聞天。
西方、西牛貨洲(さいごけしゅう)を守護する広目天。
東方、東勝身洲(とうしょうしんしゅう)を守護する持国天。
南方、 南瞻部洲(なんせんぶしゅう)を守護する増長天・・というように、四天王がそれぞれ、東西南北を守護している。
毘沙門天の梵名、ヴァイシュラヴァナという称号は、本来「ヴィシュラヴァス (vizravas) 神の息子」というイミで、彼の父親の名に由来するそうだが、「よく聞く所の者」というイミにも解釈できるため、「多聞」天と訳されたそう。
広目天の梵名、ヴィルーバークシャは、本来サンスクリット語で「種々の眼をした者」、「不格好な眼をした者」というイミだが、「尋常でない眼」→「特殊な力を持った眼」、さらに「千里眼」と拡大解釈され、「広目」天と訳されたという。
持国天の梵名、ドリタラーシュトラは「国を支える者」というイミなので、「持国」天。
増長天の梵名、ヴィルーダハカは「成長、増大した者」というイミで、「増長」天なのだとか・・。
ちなみにこの四天王、仏教に取り入られた帝釈天の配下・・とゆーコトだが、この帝釈天はインドラというバラモン教、ヒンドゥー教の雷神で、ゾロアスター教においては魔王だという・・。
インドではデーヴァが善神でアスラが悪神だが、イランではダエーワが悪神で、アフラ・マズダーが善神と入れ替わっているため、インドの神々(デーヴァ)が悪神として登場しており、インドラも魔王の一人となっているのだとか・・。
四天王も、ゾロアスター教の光明神ミスラに、それぞれの名が結びつくという。
ゾロアスター教の聖典『アヴェスタ』には、ミスラに捧げる「ミフル・ヤシュト」(「ミトラ賛歌」の意)の中で「ミスラは広き牧地の主であり、千の耳を持ち(多く聞き)、万の目をもって広く見る」と何度も述べられているという。
「多聞」と「広目」である。
さらに「持国」は「治国」と漢訳されるように「鎮護国家」のイミで、ミスラを祀れば国は安全なので、国主は彼に祈るよう書かれているそうだ。
また「増長」の原語、「ヴィルーダハカ」の本来のイミは「植物を成長させる」コトであり、牧草を成長させ、家畜を育てる広き牧地の主=ミスラの働きなのだという。
仏教はインド→中国→日本・・と、三国伝来のグローバルな宗教として誇っているが、こうした習合の経緯を見ると、さらに中央アジアから西アジアまでに及ぶ、より大きなユーラシア大陸全土の宗教や文化の影響を受けているといえよう。
大陸から伝来した異国の教えである仏教以前に、日本人の精神世界を支配していた神道であれば、いわずもがなであろう。
「記紀」神話には、中国やインドより、むしろ西アジアやギリシヤ神話の影響が色濃く見える。
有名なスサノオのヤマタノオロチ退治と、ギリシヤ神話におけるヘラクレスのヒュドラ退治の話などがよい例であろう。
そう考えると、日本古来の、日本固有の文化・宗教って一体?・・なんて思いになる・・。
むしろ、オリジナリティよりも、その多国籍(無国籍?)性、すべてを受け入れる日本文化の懐の深さ、寛容性をこそ、 我々は誇るべきなのだろう。