何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

向源寺 (上田)

2021年02月01日 | 寺社巡り-長野

【長野・上田市】室町時代の永正十七年(1520)、向源寺前身寺院の住職家の入り婿となった浄空が、上田原の地に阿弥陀堂を創建したのが始まり。 江戸時代初期の寛永三年(1626)、支坊があった現在地に移転し再建され、宝暦六年(1756)に伽藍が整い現在に至る。
向源寺は戦国時代、信濃各地を制圧するために進出してきた武田信玄(晴信)の影響下に入り、天文十七年(1548)、信濃の葛尾城を居城にしていた猛将・村上義清との上田原での戦いの際に武田軍の本陣とされた。 しかし、信玄は永禄九年(1566)、制圧した地域の宗教施設を保護するため、寺院境内で陣をとることを禁じた朱印状を出した。
江戸時代後期、信濃の俳人小林一茶は江戸に赴く前の数年間を向源寺で過ごしたとされ、俳諧交遊録、短冊、手紙などが遣っている。 宗旨は浄土真宗(大谷派)で、本尊は阿弥陀如来像。

◆住宅地を通る狭い参道に冠木門と丸型石燈籠が立ち、冠木門の間から山門と本堂の屋根が重なって見える。 冠木門をくぐって参道を進むと、矢出沢川に丹塗りの欄干がある平橋の向源寺橋が架かり、その先に伽藍が広がる。
山門は薬医門で、門前左右に大きな宝珠を乗せた四角型石燈籠が立ち、格天井に大きな釣燈籠が下がる。 山門をくぐって境内に....参道に大きく枝を張り出した松の老木の奥に本堂が建つ。 本堂の前庭に立つ修行姿の親鸞聖人と蓮如上人の像に迎えられる。 本堂に連なって右手に大きな唐破風の玄関を構えた西面の太子殿があり、更に庫裡に繋がっている。 境内の西側には鐘楼と2棟の白壁の堂舎が建つが、1棟は脇間に彫刻を配した建物で経蔵とみられる。

△住宅地を通る参道に立つ冠木門と丸型石燈籠/造立年不詳だが、丸みを帯びた独特の形をしている

△門前を流れる矢出沢川に架かる丹塗り欄干付きの向源寺橋

△切妻造桟瓦葺の山門(薬医門)....両側の袖塀にくぐり戸を設けている

△山門の格天井から下がる平面六角形の大きな釣燈篭/門前に立つ江戸後期造立とみられる四角型石燈籠....笠の先が尖っていて、宝珠の請花が大きく開いている

△山門から眺めた境内....境内参道に枝を張り出した松の奥に本堂、右手に庫裏が連なって建つ

△入母屋造銅板葺の本堂

△本堂前庭の左手に鎮座する蓮如上人像       本堂前庭の右手に鎮座する笠を被った親鸞聖人像

△親鸞聖人像越しに眺めた本堂/5重の多層塔は塔燈籠か? 頂部の宝珠が消失している?

△正面七間で広い中央間はガラス張りの格子引戸、脇間三間の内の二間はガラス張りの格子窓、長押の上は全て小壁

△軒廻りは一軒繁垂木、組物は舟肘木

△本堂に連なる入母屋造堂板葺の太子殿(客殿か)....大棟端に獅子口、拝は蕪懸魚、妻飾は狐格子

△獅子口が乗る大きな唐破風玄関の太子殿

△切妻造桟瓦葺の簡素な手水舎            自然石に水穴を彫った手水鉢,水口は獅子像

△境内に立つ大きく枝を広げた松の老木

△入母屋造銅板葺の鐘楼....厚みのある軒、頭貫の真ん中に蓑束を配す....後方に2棟の白壁の堂舎が建

△六字名号がある梵鐘                  鐘楼の後方に建つ宝形造りで白壁の堂舎

△寄棟造桟瓦葺の経蔵(と思う)....三間四方で正面の脇間に彫刻が施されている

△大棟端に乗る鬼板は異形のようだ....玄関の入母屋屋根に鬼板が乗るが、大棟と同様に異形だ/入母屋破風屋根の入口....中央間に腰高明障子

△脇間に施された彫刻は寺紋と花のようだ

△入母屋造桟瓦葺の庫裡....平入だが、低い二階と玄関の2つの入母屋破風が重なる
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