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【長野・上田市】安土桃山時代の天正年間(1573~1592)、上田城主で武田信玄・豊臣秀吉・徳川家康に仕えた真田昌幸の夫人・寒松院を開基として創建された。 寺伝では、大輪寺はもともと砥石城(旧神科村)近隣の畑山にあったが、真田昌幸が上田城を築いた天正十一年(1583)、正室の山手殿の発願により上田城の鬼門(北東)にあたる現在地に移築され、禅寺として再建された。
山手殿は昌幸死去後に出家し、寒松院として大輪寺で生活を送ったが、慶長十八年(1613)に死去し葬られた。 その後は、関ヶ原の戦いで徳川家康方についた真田信之(父真田と弟幸村は石田三成方についた)の庇護を受けた。 信之が松代藩に移封した後、一時衰退したが、貞享元年(1684)に信濃上田藩3代藩主仙石政明が初代藩主仙石忠政の位牌を収め、供養料として毎年籾10俵を寄進。 現在の堂宇は宝永二年(1705)に再建されたが、この時、長野善光寺の再建用木材の一部を払い下げ使用された。 宗旨は曹洞宗で、本尊は釈迦如来像。
一般道に面して木柵に屋根を乗せたような袖塀を設けた冠木門があり、中の直ぐ正面に玉垣に囲まれて三界萬霊塔が鎮座。 三界萬霊塔は約500年前の激動の戦国時代に造立されたものだ。
冠木門をくぐって玉垣前を少し右に進むと、そこから老杉の並木の切石敷の参道が延び、奥に中門が見える。 通用口を設けた白壁の袖塀がある中門の門前に、赤い帽子と前垂れをした六地蔵尊像が鎮座して参詣者を迎えている。 中門をくぐって進むと、石垣の上に、左右に長い回廊が連なる山門が建つ。 堂々たる姿の山門は、一間一戸の楼門式で趣がある。 回廊前には堀が設けられていて、まるで城郭のような構えだ。
門前の堀に架かる石橋を渡り、広い石段を上って山門に....山門を通して茶色の芝生の境内に建つ本堂が見えるが、本堂の中心が少し右にズレていて、山門の正面には緑字で「大輪禅寺」と書された扁額が掲げられた入口がある。 本堂は古民家風の佇まいだが、鯱が乗る大棟に真田氏の家紋・六文銭が配されていて、真田家ゆかりの寺であることを主張しているようだ。
回廊傍に優雅な屋根の鐘楼が建つが、大棟が煙出しのような家形になっていて印象に残った。 真田昌幸の夫人・寒松院が眠っているお寺で、本堂裏山の墓所の一角に寒松院の墓碑の宝篋印塔が鎮座しているのだが、失念した....合掌。
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△境内入口に立つ冠木門.....直ぐ正面に、玉垣に囲まれて三界萬霊塔が鎮座
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△明治二十七年(1894)造立の石燈籠越しに眺めた三界萬霊塔
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△永正四年(1507)造立の「三界萬霊位」と刻まれた三界萬霊塔/寛政十二年(1800)造立の石燈籠
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△老杉の並木の中に続く切石敷の参道
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△切妻造桟瓦葺の中門....白壁の脇塀に通用口がある....門前の左右に六地蔵尊坐像が鎮座している
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△中門は「天照山」の扁額が掲げられた四脚門....二軒繁垂木、柱頭に蓮三斗、虹梁上に脚間に松の彫刻を配した本蟇股、禅宗様の木鼻....扁額の書は松代藩八代藩主真田幸貫による/大棟端に鬼瓦、拝に蕪懸魚
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△妻飾は見事な彫刻笈形を設けた大瓶束/中門の傍に鎮座する稲荷社と「山門禁葷酒」と刻まれた戒壇石
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△中門から老杉越しに眺めた参道奥に建つ楼門形式の山門
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△入母屋造桟瓦葺で一間一戸の山門....上層に擬宝珠高欄付き廻縁、左右に桟瓦葺の回廊が延びる
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△門前に堀に架かる平橋の石橋、手前の石燈籠は安政七年(1860)の造立
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△下層の虹梁から上層まで保護ネットで覆われている....軒廻りは二軒繁垂木と思うが、組物などは見えない....上層は三間で中央間に板扉、脇間に花頭というより宝珠曲線の格子窓
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△長い回廊と門前に堀を設けているのは仏敵の侵入を防ぐためのものか?(放生池にもみえるが)/山門前の堀に架かる石橋と広い石段
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△趣のある門前から眺めた風景....ひときわ目立つ山門の屋根に本堂、庫裡そして鐘楼の屋根が重なる
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△山門を通して眺めた堂宇境内.....現在の堂宇は宝永二年(1705)の再建
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△入母屋造桟瓦葺の本堂....宝永二年(1705)の再建
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△桁行九間で左から三間目に入口、右端に花頭窓がある他は全て格子窓
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△簡素な造りの本堂の入口は腰高格子戸で、上に緑字で「大輪禅寺」と書された扁額/軒廻りは二軒繁垂木、組物は雲肘木(?)で中備なし....大棟に真田家の家紋の六文銭、大棟端に鯱が配されている
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△本堂と庫裡を繋ぐ建物に設けられたから破風の玄関
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△切妻造銅板葺の庫裡....本堂と同じ宝永二年の再建で、流向拝のような庇のある玄関を設けている
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△回廊の傍に建つ入母屋造銅板葺の鐘楼....大棟に煙出しのようなものが乗る
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△切妻造本瓦風の屋根に煙出し風の箱棟(?)/鐘楼に吊られた梵鐘
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△境内西側に建つ回廊で繋がる禅堂(?)....禅堂前に石仏、宝篋印塔などの石造物が整然と並ぶ
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△享保四年(1719)造立の宝篋印塔/天保六年(1835)造立の石碑/円光を背負った學護地蔵尊像
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