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【岡山・久米郡・美咲町】江戸時代に入って津山藩の祈願所として庇護され、藩主森候の時代には天台宗の触頭だった。 山内に森氏の霊廟が建立されたが、元禄十年(1697)に森家が断絶したため、その後、引き続き祈願所とした藩主松平氏の霊廟となって現在に至る。
山内寺院のうち遍照院・仏性院・梅元院の三院が院内頭だったが、合併して本坊一ヶ寺となった。
袴腰鐘楼から境内の南側に建つ茅葺の常行堂に....。 常行堂は約500年前の室町後期に建てられた仏堂で、三間四方の質素な造りだが、中備に興味を引かれた。 四方全ての中備は、脚内に鳥や花などの彫刻が施された本蟇股で、特に、正面中央間の本蟇股の彫刻は背中に翼がある天女とみられるが、鳥の足をしていて少し不気味だ。
常行堂の南奥の静謐な空気が満ちた樹林の中に、檜皮葺の三重塔がひっそりと聳えている。 江戸初期建立で約27メートルの高さがある三重塔は、古色蒼然たる佇まいで優美だ。 写真を整理していて気づいたのだが、三重塔の初重の四隅の尾垂木の上で、踏ん張って地隅木を支えている力士がいるが、撮影を失念した。
本山寺は、山頂の深い樹林の中に建立された山岳寺院....閑静な境内は手入れが行き届いており、清々しい気持ちで拝観させて頂いた、合掌。
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本堂前に佇む江戸末期万延元年(1860)造立の石燈籠越しに眺めた常行堂
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宝形造茅葺の常行堂....室町時代後期の永正十六年(1519)の再建
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常行堂は方三間で、正面は中央間に蔀戸、脇間に舞良戸.....周囲に切目縁を巡らす
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軒廻りは二軒繁垂木、組物は平三斗で中備は脚間に彫刻を施した本蟇股....側面は中央間に横羽目板、脇間に引戸
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正面三間の中備の本蟇股....脚間の彫刻は左から「鶴と松」、中央は「翼がある天女」そして「鳳凰と牡丹」
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常行堂前から眺めた本堂
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檜皮葺の三重塔(国重文)....江戸初期の承応元年(1652)、津山藩主森忠政によって建てられた
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塔高26.5メートルで県下最大の三重塔....塔内に五智如来像を安置している
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軒廻りは各重いずれも二軒繁垂木/初重には擬宝珠高欄付き切目縁、二重と三重は組高欄付き廻縁で、縁を支える腰組は平三斗で中備は間斗束
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初重の組物は三手目が尾垂木の三手先、中備は間斗束....中央間は桟唐戸、脇間は羽目板で窓無し
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二重と三重の組物は初重と同じ三手先、中備は二重に間斗束があるが三重になし
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初重四隅の尾垂木の上に乗った力士が地隅木を支えている(力士の撮影を失念)
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南側の木立の中の参道から眺めた三重塔....手前左側に6基の石仏・石造物が鎮座
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2基の舟光背型石仏、石仏の間に小さな五輪塔、左に一石一字納経塔
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天保六年(1835)造立で、蓮華座に座して両手で宝塔を持つ舟光背型石仏(仏尊名は?禅定印を結んでいる?)/文政十三年(1830)造立の一石一字納経塔....納経塔に「書寫醍醐妙典一石一字納経塔」の刻
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石段の上の平地に観音菩薩立像が本堂を向いて鎮座....石段脇に佇む石造物
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異形の石塔....宝篋印塔と五輪塔の部位の一部を組み合わせたものと推察/自然石で造られた百度石
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三重塔の脇に鎮座する石造物(宝篋印塔、地蔵菩薩立像、墓碑、供養塔)
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鎌倉時代建武二年(1335)造立の宝篋印塔(国重文)....隅飾突起の反りが少し進み、伏鉢が大きくなっていて室町時代の特徴を示す/塔身の正面は舟形に掘り窪めた中に阿弥陀如来坐像が浮き彫り、側面に種子が刻....輪郭を巻いた基礎に格狭間を入れ、中に牡丹(と思う)が彫られている
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天保六年(1835)造立の供養塔....「光明真言・十向観音経・延命経各百萬邊供養塔」(正しいかな?)の刻/「〇士澤先生墓碑」と刻まれた蒲鉾形の墓碑/左手に宝珠、右手に上半分が欠落した錫杖を持つ地蔵尊像
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