何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

龍光院 (上田)

2021年02月06日 | 寺社巡り-長野

【長野・上田市】創建は鎌倉時代の弘安五年(1282)、塩田北条氏二代で 鎌倉幕府の重臣だった北条国時が、父・義政の菩提を弔う為、月湲和尚を招いて開山した仙乗寺が始まりとされ、鎌倉建長寺(臨済宗)の末寺となった。 初代北条義政は、鎌倉幕府三代執権北条泰時の弟・重時の第三子で、建治三年(1277)に出家して塩田に閑居したが、僅か四年後に没した。 塩田北条氏は三代に渡って五十余年この地で栄え、また、仙乗寺は塩田北条氏の菩提寺として庇護を受け、「信州の鎌倉」とも言われた文化の中心的寺院として隆盛した。
鎌倉末期元弘三年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めの際、塩田北条氏は幕府側として一族を挙げ応戦に馳せ参じたが甲斐なく最期を遂げた。 塩田北条氏一族が滅びた後、仙乗寺は庇護者を失って衰退した。 塩田北条氏滅後、二百余年を経た慶長六年(1601)、萬照寺(旧更埴市、元千曲市)六世の瑞応が中興開山し、寺号を仙乗寺から龍光院に改め、臨済宗から曹洞宗に改宗、萬照寺の末寺となった。 享保十七年(1732)の火災で堂宇の多くを焼失したが、享保二十年(1735)に再建され現在に至る。 宗旨は曹洞宗で、本尊は釈迦牟尼像。 信濃乃國塩田平札所霊場第9番札所。

◆塩野神社から自転車を走らせ、塩田の館の近くの欅と杉の老木が聳え、「山門禁葷酒」の戒壇石が立つ門前に着く。 欅は樹齢600年とされ、樹高26メートル、幹周囲約7メートルの巨木だ。
欅と杉の老木の間の少し後方に、簡素なれど味わいのある黒門が建つ。 黒門は享保十七年の火災を逃れた唯一の建物。 左右の袖塀の前に赤い帽子を被った一対の地蔵尊石仏が鎮座していて、まるで仁王門の仁王像のようだ。
黒門をくぐると左右に鎮座する六地蔵尊像に迎えられ、両側に緑の植栽が茂る緩やかな階を上りつめると、鎮守社が鎮座する堂宇境内の広い門前に出る。 傍らに「塩田北条氏菩提処」の石碑が立つ山門をくぐって堂宇境内に....直ぐ右手に六注屋根の羅漢堂、左手の少し高くなった所に宝形造りで二軒扇垂木の観世音堂が建つ。 羅漢堂には釈迦如来像を中心にして十六羅漢像と四天王像が鎮座している。
山門から真っ直ぐ延びる参道の奥に小棟造りの本堂が建つが、少し右にズレている。 本堂は正面十間で、左から四間目が扁額が掲げられた中央間、左脇間が三間、右脇間が六間の造りだ。 中央間の腰高格子戸の両側に一対の花頭窓、他は全て縦板張の腰壁の上に格子窓が並んでいる。 長押の上は全て真壁造りで、白漆喰仕上げの小壁が美しい。 小棟造りの屋根を見上げると、屋根付きの箱棟に金色の北条氏の家紋「三ツ鱗」を3つ配していて印象的だ。
右手に連なる庫裡も本堂と同じ屋根の造りだが、裳腰のような庇の上に中二階とみられる窓を設けていて珍しい。 本堂に向かって左手に座禅堂が建つが、「選佛場」の扁額を見ていると、堂内で雲水が座禅修行をしている光景が浮かんだ。
座禅堂から山門に向かうと、境内南側の石垣の上に観世音堂、磨崖仏のような延命地蔵尊像そして干支地蔵尊を祀る地蔵堂が並んでいる。 腰高格子戸が半開きになっている観世音堂の中を覗くと、左手に未開蓮らしきものを持つ聖観世音菩薩像が鎮座している。
後で知ったのだが、龍光禅院では予約すると精進料理の山菜膳を賞味できるようだ。

△黒門前に幹周り約7メートルの欅(右)と幹周り約3メートルの杉の老木が聳える....門前に「山門禁葷酒」の戒壇石が立つ

△切妻造銅板葺の黒門....茅葺屋根の上に銅板を葺いた造りの薬医門で、銅板葺で板壁の袖塀を設けている

△黒門の天井は化粧屋根裏天井風の造り....袖塀前に向かい合って鎮座する一対の合掌地蔵尊像/黒門をくぐった参道の両脇に、赤い帽子と前垂れをした六地蔵尊が3体ずつ向かい合って鎮座している

△植栽に挟まれて続く石段の狭い参道/上り詰めた石段参道の傍らに佇む石灯籠越しに眺めた伽藍

△門前に鎮座する龍天護法大善神を祀る流造銅板葺の鎮守社/門前に佇む文化二年(1805)造立の石燈籠

△龍光院に向かって門前に鎮座する鎮守社から眺めた伽藍

△切妻造銅板葺の山門....二軒繁垂木.左右に小さな袖塀がある

△門前に昭和五十八年(1983)造立の「塩田北条氏菩提処」の石碑が立つ

△露盤宝珠を乗せた六注造り銅板葺の羅漢堂....桟唐戸の扉の上に龍の彫刻、虹梁上に「應供尊」の扁額

△二軒繁垂木、組物は実肘木を乗せた出組、柱間に詰組、周囲に連子窓

△羅漢堂内部....正面に釈迦如来像、周りに十六羅漢像と四天王像が居並ぶ

△羅漢堂に舟形光背を背負って鎮座する釈迦如来坐像/明治三十六年(1903)造立のマニ車....傍に「平和餘韻之鐘」と刻まれた石碑が立つ

△山門から眺めた境内....正面奥に本堂、左手に座禅堂、手前右手に鐘楼、右奥に庫裡が建つ

△入母屋造桟瓦葺の鐘楼....大棟端に鯱が乗る

△鐘楼越しに眺めた本堂と座禅堂

△寄棟造堂太葺の本堂....大棟は屋根付きの箱棟で、北条氏の紋「三ツ鱗」が寺紋として3つ配されている

△正面十間で長押の上は全て小壁....本堂前に回向柱が立つ

△軒廻りは一軒疎垂木で、堂内の梁が突き出た肘木、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ....左寄りの中央間に腰高格子戸で、脇間は腰高格子戸両側に格子入り花頭窓、他の七間は全て格子窓、腰壁は縦板張

△中央間に掲げられた「龍光禅院」の扁額/庫裡の前に建つ切妻造銅板葺の手水舎

△庫裡の屋根は本堂と同じだが、裳腰風の庇を設け、正面の庇の上に中二階(と思う)の窓が並ぶ

△入母屋造桟瓦葺の座禅堂....正面九間で中央間に腰高格子戸、両脇間に2つの格子戸と2つの白壁小脇羽目

△軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組で軒支輪がある/格子戸上の欄間に龍の彫刻、その上に「選佛場」の扁額を掲げている

△山門をくぐった左側(境内南側)の一段高い所に鎮座する観世音堂

△宝形造桟瓦葺の観世音堂....三間四方で軒廻りは禅宗様の二軒扇垂木、組物は平三斗で詰組....正面は格子戸と小脇羽目、側面に花頭窓と小脇羽目

△入口に鰐口が下がる/観世音堂内に鎮座する左手に未開蓮(と思う)を持つ聖観世音菩薩立像/観世音堂の右手に佇む七重石塔

△境内南側の石垣の上に鎮座する延命地蔵尊像と地蔵堂

△舟光背型石仏の延命地蔵尊像             干支地蔵尊を祀る入母屋造風銅板葺の地蔵堂





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