何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

芳泉寺-(1) (上田)

2019年09月21日 | 寺社巡り-長野

【長野・上田市】創建は不詳だが、古くから千曲川右岸に境内を構えていた常福寺が前身とされる。その後、真田家の祈願所として庇護され、慶長五年(1600)の関ヶ原の戦いの終結後、上田城城主となった昌幸の嫡男・真田信之が常福寺を現在地に移し、全称庵主含霊を招いて真田家の菩提寺とした。
江戸時代初期の元和六年(1620)、信之の正室・小松姫(本多忠勝の娘で徳川家康の養女)が死去すると、常福寺を含む三か寺にそれぞれ分骨され墓碑(宝篋印塔)が建立された。 元和八年(1622)に真田信之が松代に移封した後、代わって上田城城主となった小諸藩主・仙石忠政が、小諸にあった仙石氏の菩提寺の宝仙寺をこの地に移し、常福寺を修築し、宝仙寺を芳泉寺に改称した。 真田氏の庇護にあった常福寺は元の地の小県郡に戻された。 宗旨は浄土宗(鎮西派)で、本尊は阿弥陀如来像。

「北向観世音道」と刻まれた道しるべが立つ道を進んで芳泉寺に向かう。 路傍の低い石垣の上に石の野仏3基(庚申塔、馬頭観世音、二十三夜塔)がひっそりと佇んでいる。
道に平行した10段の階を上がると筋塀の先に山門が建ち、門前に「不見の岩」など仏法に係る石が配されている。 山門の板扉に「三つ葉葵」と「月影杏葉」の紋、袖塀のくぐり戸に「六文銭」と「永楽銭」の紋が金色に輝いている。 また、山門は珍しい格天井になっていて、格子の中に「菊花」「三つ葉葵」「永楽銭」そして「六文銭」がびっしりと描かれていて、格調の高い寺であることをこれでもかと主張しているかのようだ。
山門をくぐると、切石敷の参道の先に本堂が建ち、広い前庭には石造物、仏像、石、祠、動物のオブジェなどが点在しているが、ごちゃごちゃしていて何となく落ち着かない。
境内西側には燦燦と西日を浴びて、白壁の法輪閣と擬宝珠高欄を設けた銅板葺袴腰の鐘楼が建つ。 白壁の築地塀の傍には、石造り玉垣で囲まれた中に珍しい形の石塔が鎮座、また、五輪塔などの石造物のほか石造りの祠や鶴亀像がひっそりと鎮座している。

芳泉寺への路傍に佇む道しるべ....「北向観世音道」と刻まれている

芳泉寺への路傍に佇む3基の野仏
  
自然石型文字庚申塔/櫛型馬頭観世音/自然石型月待塔....「二十三夜塔」の刻

門前への石段上に寺号標石を兼ねた門柱が立ち、奥に3本の定規筋が入った築地塀と山門が建つ
 
門前にある「不見の岩」(別称「天狗の岩」)/門前に鎮座する平成五年(1993)造立の十一面観音菩薩立像

切妻造本瓦葺の山門....四脚門で、白壁の袖塀に設けられた通用口(くぐり戸)に六文銭と永楽銭の紋章を配している
  
山号「松翁山」の扁額が掲げられ、板唐戸に八双金具と9個の装飾金具がうってある/山門の板唐戸に三つ葉葵と月影杏葉の家紋が配されている....珍しい格天井になっていて、菊花、三つ葉葵、永楽銭そして六文銭が描かれている

山門を通して眺めた境内....切石敷参道の奥に本堂が鎮座
 
「南無阿弥陀仏」と刻まれた自然石の六字名号塔/本堂前庭に配された種々の石造物、仏像、祠、回向柱、石そして動物のオブジェ等

宝形造桟瓦葺の法輪閣....頂上の露盤宝珠の露盤に設けた格狭間に永楽銭や六文銭がある
 
軒下は二軒繁垂木風の造りで、四隅に風鐸が下がる....入口は幅広の腰高格子戸/前庭の木は根元から幹が数本に分かれた「眼識九縁松」

入母屋造桟瓦葺の袴腰鐘楼....袴腰は銅板張りで、上に擬宝珠高欄付き縁を巡らす

軒廻りは二軒繁垂木....格天井になっていて三つ葉葵や六文銭等が描かれている

獅子と像の木鼻を設けた飛貫に葵の御紋、文銭、永楽銭、貫上の蟇股に月影杏葉をそれぞれ配している
 
袴腰の傍に鎮座する像に乗った普賢菩薩像....平成十八年(2006)の造立/境内西側の築地塀傍の石造り玉垣内に鎮座する珍しい形の石塔
 
築地塀傍の古い基壇上に置かれた石祠や石造物(五輪塔、石燈籠、鶴亀像など)/「弁天池 羽衣の松」と称される松の木



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