何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

科野大宮社 (上田)

2021年10月13日 | 寺社巡り-長野

【長野・上田市】社伝で、記紀で第10代に数えられる崇神天皇の時代、信濃国造として任命されていた神八井耳命の孫・建五百連命が信濃国総社として創建したとされる。
南北朝時代の康安二年(正平十七年/1362)、当時凶兆と恐れられた彗星が出現したため、関東管領足利基氏(初代の鎌倉公方)が天下安寧のため科野大宮社に願文(現存)を奉った。
戦国時代には大宮諏訪明神と称し、安土桃山時代の武将・真田昌幸が上田城を築城して以来、城の鎮守として祀られた。 寛文九年(1669)頃の城下町古地図に「常田村大宮」と記されているが、明治の近代社格制度において県社に列せられ、社号を「科野大宮社」に改めた。 主祭神は大己貴命と事代主命で、相殿神は建御名方富命。

◆科野大宮社は、JR上田駅から東へ約1キロメートルの距離、旧北国街道と県道79号線が交わるところに鎮座している。 旧北国街道の北側に広がる境内には、太い幹に注連縄を巻いた3本の欅の巨木が聳えている。 欅は樹齢700年以上の老木で、まさに神々しい古社を感じさせる。
大きく傾いた西日が、正面の石鳥居や社殿を照らしている。 鳥居は柱頭に台輪が乗る台輪鳥居で、額束には「科墅大宮社」と彫られた石額が掲げられている。
鳥居をくぐり少し進むと、右手に石鳥居を構え「子安寶大明神」の扁額が掲げられた丹塗の覆屋の中に子安社が鎮座。 石鳥居は台輪鳥居で左側の貫が欠落している。 覆屋の扉の格子の隙間から社殿を拝観すると、向拝の水引虹梁の上いっぱいの松と鶴、側縁の脇障子の亀の彫刻が実に見事。
「丸に梶の葉」の神紋を入れた白地の神幕を張った拝殿に進み参拝。 拝殿の左側を後方に進むと、朱塗りの透き塀に囲まれて本殿が鎮座している。
社殿の西側に、鮮やかな朱塗りの両部鳥居が旧街道に面して立つが、「正一稲荷大明神」の屋根付き額が掛かる城中稲荷社の鳥居だ。 鳥居の傍でなびいている赤地に六文銭の家紋を入れた幟が、鳥居を引き立てている。 両部鳥居の間から、奥の正面に燦燦と西日を浴びて鎮座する朱塗りの城中稲荷社が見える。 城中稲荷社の社頭の左右に江戸中期造立の石燈籠を構え、高い台座の上に巻物と宝珠を咥えた二匹の狐が鎮座している。 石造りの狐像は歴史ある貴重なもののようで、金網でしっかり保護されている。

△旧北国街道が参道を横切っていて、街道の手前に参道が続いている....旧街道に沿って赤地に六文銭の家紋を入れた幟が並んでいるゆったりとなびいている

△旧北国街道沿いに立つ石造りの台輪鳥居、額束に「科墅大宮社」と記された額

△石鳥居の脇に佇む慶應四年(1868)造立の石燈籠....笠の軒に垂木を設け、台座や中台に彫刻を施し、四脚の竿など装飾性が高い/拝殿前の右手に建つ切妻造銅板葺の手水舎(流造に見える)

△石鳥居を構えた子安社....石鳥居は左側の貫が欠落した台輪鳥居(柱頭に台輪が乗る、稲荷鳥居とも称す)

△切妻造で丹塗の覆屋の中に鎮座する子安社....嘉永五年(1852)創建で、祭神木花咲耶比売命を祀る

△格子入桟唐戸の覆屋入口に「子安寶大明神」の扁額/流造(と思う)社殿の水引向拝の上いっぱいに鶴と松、脇障子に亀の精緻な彫刻が施されている....木鼻の獅子と獏の彫刻も見事

△入母屋造桟瓦葺の社殿....万延元年(1860)、上田城主松平忠礼による再建

△正面に「丸に梶の葉」の神紋を入れた神幕を張り、向拝前両脇には胴部に「丸に梶の葉」の神紋を配した天水桶が置かれているが鎖樋がない

△大棟は箱棟で側部に3つの「五三桐」の神紋が施されている/向拝柱の上に見事な彫刻の手挟みがある

△向拝の唐破風屋根の棟に「丸に梶の葉」の神紋を入れた獅子口、兎毛通は亀の透かし彫り

△昭和八年(1933)造立の狛犬越しに眺めた拝殿

△拝殿の軒廻りは二軒繁垂木、組物は出組、中備は蟇股(のようだ)....周囲に組高欄付き切目縁を巡らす

△拝殿の大棟端に「五三桐」の神紋を入れた獅子口、拝に三つ花懸魚、妻飾は虹梁大瓶束

△透き塀に囲まれて鎮座する本殿は拝殿に比べてかなり小さい

△流造銅板葺の本殿....組高欄、側縁に脇障子を設けている

△箱棟の上に内削ぎの千木と5本の堅魚木が乗っている

△境内に聳える老木は樹齢700年以上と云われる欅の木

△旧北国街道に面して立つ城中稲荷社の鮮やかな朱色の両部鳥居....鳥居の傍で赤地に六文銭の家紋を入れた幟がなびいている

△両部鳥居の額束に「正一稲荷大明神」の屋根付きの額が掛かる/宝永七年(1710)造立の手水鉢、側面に「手水石」の刻

△天神社、駒形稲荷社、城中稲荷社、神明社....城中稲荷社前の石燈籠は寛延二年((1749)の造立

△流造桟瓦葺の城中稲荷社/「手洗石」と刻まれた自然石型飾手洗鉢越しに眺めた城中稲荷社

△城中稲荷社の右前に鎮座する狛狐....左は神の言葉を示す巻物、右は霊の力を示す球(宝珠)を咥えている

△一つの覆屋に鎮座する天神社(左)と駒形稲荷社....手前の石燈籠は正徳四年(1714)の造立

△左に鎮座する天神社             右に鎮座する駒形稲荷社

△城中稲荷社の右手に鎮座する神明社/拝殿前に植えられた御神紋の「穀ノ木」....案内板に「諏訪大社本宮より寄贈されたもので、古代から神に捧げる神木として尊ばれた」とある

△社殿に向かって右手に建つ科野大宮社社務所

△切妻造瓦葺の収蔵庫        
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