何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

三宝寺-(2) (東京)

2016年06月03日 | 寺社巡り-東京

【東京・練馬区】豊島氏が滅んだ後、三宝寺は小田原北条氏、徳川将軍家から保護され、江戸時代には数十の末寺を有す寺格をもつ寺院に発展した。 天正十九年(1591)に幕府から朱印地十石を与えられ、格式ある御朱印寺となった。 寛永二年(1625)と正保元年(1644)、徳川3代将軍家光がこの付近に鷹狩りに訪れた際、休憩のため三宝寺に立ち寄った以降、山門は御成門と呼ばれ、普段は閉じられていた。

境内から長屋門をくぐって表に出ると、門前に弘法大師と刻まれた石標と青面金剛庚申塔が門を守護のように立つ。 境内に戻ると、堂宇に囲まれた前庭に初層軸部に四方仏の梵字が刻まれた石造り十三重層塔が立ち、その先に幽雅で風格がある鐘楼がある。 袴腰のような石積み基壇の上に建つ鐘楼を間近に見て溜息をついてしまった。 組物の上に擬宝珠高欄を設けた広い切目縁を回らし、彫刻を施した柱と三手先の組物に支えられて大きな入母屋造りの屋根が乗り、獅子の木鼻や飛天の透かし彫りなどが見事だ。 前庭から本堂西側の樹林の奥にある奥之院・大師堂に向かう。樹林の中に八十八カ所お砂踏み零場があり、仏尊名を刻んだ板碑が林立している中に続く参道を進んで奥之院に。 木立に囲まれてひっそりと建つ禅宗様の大師堂....正面の脇間と側面に設けられた珍しい形の火頭窓が目を引いた。

切妻造桟瓦葺の長屋門(通用門)..勝海舟の屋敷から移築したもの
 
長屋門の前に佇む青面金剛庚申塔と石標           長屋門の頑丈そうな板扉
 
元禄十三年(1700)造立の青面金剛庚申塔/嘉永六年(1853)造立の石標..「本尊不動明王、弘法大師、長命寺」の刻
 
石造り十三重層塔..初層軸部の月輪に四方仏の梵字を刻む/基礎部に輪郭を巻いて格狭間をいれ縦の格子を浮き彫り
 
石造り十三重層塔越しに眺めた鐘楼

前庭中央の基壇の上に建つ立派な造りの鐘楼

入母屋造銅板葺の鐘楼

屋根下と床下の組物、擬宝珠高欄を巡らした縁、彫刻を施した柱は珍しい
 
吊り下げられている梵鐘は延宝3年(1675)鋳造

頭貫と虹梁の間の透かし彫りは飛天の彫刻..柱の彫刻が素晴らしい

本堂前の墓所への参道脇に鎮座する六地蔵、青面金剛庚申塔等の石仏群
 
青面金剛庚申塔..元禄九年(1696)造立

八十八カ所お砂踏み霊場..四国八十八カ所の霊場寺院名や仏尊名等を刻んだ板碑が樹林の中に林立
 
八十八カ所お砂踏み霊場の中に鎮座する火伏稲荷社
 
樹林の中の奥之院への参道..木立の間に奥之院の大師堂が見える

露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の大師堂

大師堂の周囲に擬宝珠高欄を設けた狭い切目縁がある
 
「大師堂」の扁額が掲げられている..正面と側面の白壁に珍しい形の花頭窓が並ぶ

奥之院参道入り口付近に佇む石仏..十王像と左は奪衣婆かな?
  
台座に輪郭を巻いて龍と虎を半浮き彫りし、上に弘法大師と刻まれた石仏が立つ/本堂近くに佇む2体の石仏..舟形光背に与願印と施無畏印を結ぶ地蔵尊像と/宝冠をいただいて法界定印を結んでいる大日如来像(と思う)









コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三宝寺-(1) (東京) | トップ | 三宝寺-(3) (東京) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

寺社巡り-東京」カテゴリの最新記事