【長野・上田市】寺伝では平安時代の天長二年(825)、比叡山延暦寺座主円仁(慈覚大師)によって創建された北向観音の本坊。 別所三楽寺の一つ。 京都南禅寺の開祖・大明国司が正応五年(1292)に信濃国塩田別所常楽寺で「十不二門文心解」を書写した文献があり、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた学門寺で、創建時より名僧高僧が学んでいる。
観音堂裏手の北向観世音霊像が出現した所に、弘長二年(1262)造立の石造多宝塔(重文)が保存されている。 宗旨は天台宗で、本尊は宝冠を頂く妙観察智阿弥陀如来像。
常楽寺前の参道に「天台宗 別格本山」の標石が立つ。 少し先に進むと、石段の上に茅葺の起り屋根と唐破風が見える。
十数段の石段を上ると、正面に茅葺で古民家風の古色蒼然とした本堂が鎮座している。 「常楽台寺」の扁額が掲げられた本堂に廻縁はなく、向拝は登高欄があるだけで簡素だが、分厚い茅葺の唐破風が重厚感を感じさせる。 本堂の前庭には、「御船の松」と呼ばれる樹齢約350年の老松が大きく枝を広げている。 本堂右に茅葺で箱棟の大棟に煙出し櫓を設けた庫裏が連なるが、古民家風の建物でしみじみとした味わいがある。
本堂左の六地蔵尊像や青円金剛庚申塔等の石仏が佇む参道を進み、本堂裏手の杉林の中にある歴代住持が眠る墓所に向かう。 木漏れ日が降り注ぐ墓所には、墓碑の無縫塔のほかに苔生した無数の五輪塔、多層塔そして鎌倉時代造立の多宝塔などの石造物がひっそりと佇んでいる。 石造多宝塔は、北向観音の霊像が出現した所に鎮座しているとのことだが、まさに聖地らしい雰囲気が漂っている。
拝観後、切石敷きの広い表参道を下っていくと、参道入り口に近年再建の仁王堂2棟が建ち、2基の石塔が佇んでいる。 石塔は六十六部廻国供養塔と五輪塔四方の梵字の一つ「(東)発心門」が刻まれた石塔だ。 他の三つの(南)修行門、(西)菩提門、(北)涅槃門の石塔も、どこかの路傍に佇んでいるのだろうな~と思いながら次の訪問先に向かった。 途中、別所温泉の一郭に鎮座する常楽寺建立の七苦離地蔵堂に立ち寄り、安置されている地蔵尊像・聖観音像に参拝した。
参道に立つ「天台宗 別格本山」の標石/石段の上に顔を出す本堂の茅葺屋根
享保十七年(1732)頃の建立とされる本堂....向拝屋根は瓦葺箱棟を乗せた唐破風....本堂前庭の左右に老松が枝を広げている
寄棟造茅葺の本堂..小棟造りの起り屋根で、大棟に瓦葺の箱棟を乗せている
唐破風の箱棟端に3本のアンテナを付けた鳥衾を乗せた鬼瓦、拝に蕪懸魚....向拝柱に禅宗様木鼻
疎舞良戸の扉の上に「常楽台寺」の扁額....水引虹梁に法輪を彫った板蟇股、上の梁に笈形/柱上に雲肘木....廻縁はなく宝珠柱の登高欄が設けられている
正面脇間には花頭窓、腰高障子、障子欄間と通用口の板扉
本堂前庭に大きく枝を広げる老松...樹齢約350年で「御船の松」と呼ばれる
本堂の右手に茅葺の庫裏が建つ
入母屋造茅葺の庫裏....大棟は瓦葺の箱棟で中央に煙出し櫓を設けている
石造多宝塔がある墓所への参道脇に鎮座する赤い前垂をした六地蔵尊像
参道脇に鎮座する石仏と板碑
舟型光背青面金剛庚申塔(日月瑞雲、2鶏、3猿) 舟型光背の合掌観音像(と思う)
こちらの石仏5体は近年の造立か....手前は左が聖観音菩薩像、右は8臂から不空羂索観音像?
後方で獅子に騎乗する文殊菩薩(と思う)/後方で象に騎乗する普賢菩薩(と思う)/智拳印を結ぶ金剛界大日如来像かな?
杉林の墓所....殆んど無縫塔なので歴代住持の墓碑とみられる
無縫塔から多宝塔までの参道脇に並ぶ苔生した小さな五輪塔群
石造多宝塔(重文)と石造多層塔....多宝塔は鎌倉時代弘長二年(1262)の造立
北向観音の霊像が出現した場所に鎮座する石造多宝塔....苔生した多宝塔の総高は2.7m/多宝塔の他に五重塔、七重塔2基そして小さな多宝塔が鎮座
常楽寺表参道に建つ仁王堂2棟と2基の石塔..仁王堂は平成六年(1994)再建
六十六部廻国供養塔と「(東)発心門」の梵字石塔
安永四年(1775)造立の六十六部廻国供養塔/五輪塔四方の梵字の「(東)発心門」の石塔....月輪の下にキャ(空)・カ(風)・ラ(火)・バ(水)・ア(地)の梵字
二重六注造桟瓦葺で獅子口が乗る軒唐破風を設けた七苦離地蔵堂(六角堂)と切妻造銅板葺で軒唐破風を設けた観音堂(と思う)....北向観音本坊の常楽寺により別所温泉の一郭の参道に建立
禅宗様高欄付須弥壇に鎮座する地蔵菩薩立像....頭貫の中備に鶴の彫刻のある刳抜蟇股/円光を背負い右手に錫杖、左手に宝珠を持つ
寺紋の「笹竜胆」を施した鬼板を乗せた軒唐破風、兎毛通は鳳凰か....中備の刳抜蟇股にも「笹竜胆」/右手で天衣をつまみ、左手で蓮花を持つ聖観音菩薩立像
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