何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

三井寺(園城寺)-(4) (大津)

2018年07月09日 | 寺社巡り-滋賀

【滋賀・大津市】中世の三井寺は、源氏の氏寺としての性格を持ち始める。 それは、永承六年(1051)、源頼義が前九年の役に出陣するにあたって三井寺に詣で、新羅明神に戦勝を祈願し、三郎義光を氏人として報じたことに始まる。
平安末期の治承四年(1180)、源三位頼政が後白河天皇の第2皇子・以仁王と共に平家討伐の兵を挙げ三井寺に拠ったが露見し、大和の興福寺へ向かう途中、宇治の平等院で戦死。 この時、三井寺は平家によって全山焼き払われた。 その後、源氏の勝利により、源頼朝から寺領が寄進され、伽藍は第3代将軍源実朝により健保四年(1216)に再建された。 源氏が絶えた後も北条氏は三井寺を尊崇した。

石段を上りつめると南院が広がり、境内から琵琶湖が眺望できる。
南院は西國十四番札所の伽藍で、本堂である観音堂を中心に袴腰鐘楼・百体観音堂・懸造の観月舞台・絵馬堂・地蔵堂などが建ち並んでいる。
元禄時代再建の観音堂は身舎に大きな裳腰を設けた豪壮な構えで、中央三間の蔀戸が内側に釣り上げられている。 袴腰鐘楼の入口が開いていて、久々に袴腰鐘楼の内部構造を見ることができた。 百体観音堂では、狭い格子の間から様々なお姿の観音菩薩像を拝観した。 懸造の観月舞台には立ち入り禁止の柵が巡らされていて、舞台からの琵琶湖眺望は叶わなかった。
南院にあるはずの世継地蔵堂がなく、三井寺パンフの絵地図にも記載がない....絵馬堂横の店の方に聞いて分かった。 正面の石段の上から下を覗くと、石段途中の踊り場に世継地蔵堂の宝形造屋根が見える。 吹き放し造りの絵馬堂の前の切石敷の参道を進んで高台に....高台からは南院伽藍の全景、その先に大津市街の眺望と琵琶湖の景観が楽しめる。

南院伽藍の諸堂....左から観音堂、袴腰鐘楼、百体観音堂、観月舞台、右の軒は絵馬堂、石段下に世継地蔵堂

入母屋造本瓦葺で大きな裳腰を設けた観音堂(本堂)....元禄二年(1689)の再建

西國三十三所観音霊場第14番札所で、平安時代作の本尊・如意輪観音菩薩像を祀る
 
正面は桁行九間で、中央三間の扉は蔀戸で内側に釣り上げている....脇間三間は格子窓、下層は二軒平行垂木、柱上に舟肘木、上層に3つの連子窓がある
 
露盤宝珠を乗せた六注造桟瓦葺の手水舎....明治十四年(1881)の建立/巨大な蓮の花の水口

南院境内の東側に建ち並ぶ手前から観月舞台、百体観音堂、袴腰鐘楼

入母屋造檜皮葺の袴腰鐘楼....文化十一年(1814)の建立で、上層に逆蓮頭親柱の高欄を設けている
  
軒廻りは二軒平行垂木、組物は三手先、中備は中央が彫刻入り蟇股で両側は蓑束、縁を支える組物は三手先、中備はいずれも蓑束/下層から見上げた梵鐘と鐘撞棒

露盤宝珠を乗せた宝形造桟瓦葺の百体観音堂....宝暦三年(1753)の建立....正面に本尊・如意輪観音像、左右に西國・秩父・坂東各霊場の本尊計百体を安置

格子越しに拝観した様々なお姿の観音菩薩像群

入母屋造檜皮葺の観月舞台....嘉永三年(1849)の建立、大棟端に獅子口、拝に蕪懸魚、妻飾は狐格子
 
観月舞台は懸造で、昇勾欄と周囲の縁に組高欄を巡らし、四方の軒先に風鐸が下がる

入母屋造桟瓦葺の絵馬堂....享和二年(1802)の建立で、8本の柱が露出した吹き放し造り

観音堂正面の石段下に鎮座する世継地蔵堂....堂前に佇む三重石塔と石燈籠....石塔は初層軸部に輪郭を巻いて銘文、二層目と三層目に格狭間、石燈籠は明治二十九年(1896)の造立

宝形造桟瓦葺の世継地蔵堂....文政二年(1819)の建立で、「中坂世継地蔵尊」の紅白の提灯が下がる

観音堂境内にある3基の宝篋印塔....右は享保二十年(1735)造立の六十六部供養塔...塔身に種子が刻、また隅飾突起の反り具合が違い右から順に古い塔だと分かる
 
境内に佇む江戸前期作と後期作の2基の石燈籠....左は延宝九年(1681)造立で笠の四方に唐破風を設け、基礎上部に二重反花
 
琵琶湖の景観と大津の街並が一望できる高台への参道

高台から眺めた南院伽藍の全景....眼下には琵琶湖疏水と大津の街並みを望み、眼前に琵琶湖の景観が広がっている
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