何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

東観音寺-(2) (豊橋)

2021年06月26日 | 寺社巡り-愛知

【愛知・豊橋市】江戸時代の慶長七年(1602)に徳川家康から寺領102石が寄進され、元和二年(1616)に徳川家の祈願所となり、江戸時代に多くの末寺を擁していた。
東観音寺は元々遠州灘沿いに位置していたが、宝永四年(1707)の宝永地震による大津波で被災したため、正徳六年(1716)に現在地に移転した。 室町後期建立の多宝塔は、明治十三年(1880)に現在地に移築されたとされる。

◆国の重要文化財に指定されている室町建立の杮葺の多宝塔は、一部和様を取り入れた禅宗様建築で味わいがある。 上下層の長い軒に対して上層の塔身の高さが絶妙で、バランスのとれた重量感のある美しい塔といえる。 中備は中央間に脚間に彫刻を配した蟇股、脇間は板張りの窓で板に連子入り格狭間のような意匠が刻まれている。
本堂と庫裡境内の間に薬医門が建つが、一旦八脚門に戻って庫裡への参道入口から庫裡に進んだ。 参道に建つ薬医門はしっかりした造りで、二軒繁垂木で格天井になっている。 「東観音禅寺」と「東観音寺保育園」の聯(木札)が掛けられた門を通して客殿がみえる。 門をくぐって庫裡境内に....左手に現代風建築の経蔵、右手に鉄柵で囲まれた放生池があり、正面に大きな屋根の客殿が建つ。 客殿は縁を設けていない民家風の近年の建物だが、左に古そうな杮葺の唐破風玄関があって新旧の建物を合体させたように感じる。
境内の隅に舟光背型合掌石仏や板碑、五輪塔など多くの石造物が並んでいるが、本尊が馬頭観音の寺院らしく馬頭観音石仏も鎮座している。

△杮葺の多宝塔(国重文)....室町時代大永八年(1528)の建立で、禅宗様須弥檀に本尊多宝如来を祀る....正徳六年(1716)、伊勢街道に臨む海岸近くから移築

△多宝塔の高さは約12メートルで、上層と下層(裳腰)の連結部の亀腹は木製(板張り)....下層の周囲には親柱に逆蓮頭(逆蓮柱)を乗せた切目縁

△軒廻りは上下層いずれも二軒扇垂木で、軒下の四方に宝鐸が下がる

△上層の組物は三手目と四手目が尾垂木の四手先、円形の設けられた回縁を支える腰組は出三斗

△裳腰(下層)の組物は拳鼻付きの出組で、中備は中央間に脚間に彫刻を配した蟇股、脇間には蓑束

△中央間は藁座に固定された桟唐戸、脇間は板張りの窓で板に連子入り格狭間のような意匠が線刻/上下層の飛檐隅木に下がる宝鐸

△多宝塔の左手の蓮華座に鎮座する観音菩薩立像....右手は説法印、左手には欠落してるが多分開蓮を持っていたと推

△本堂境内の庫裡側の木立の中にある「木槿塚」....寛政十二年(1800)造立の芭蕉翁句碑は、貞享元年(1684)に松尾芭蕉が詠んだ木槿の句を刻んでいる

△本堂境内からみた庫裡境内への薬医門

△八脚門付近から眺めた庫裡への参道と門(中門?)

△切妻造銅板葺で左右に袖塀を設けた門(薬医門)

△二軒繁垂木で、天井は格天井になっている....門柱に「東観音禅寺」と「東観音寺保育園」の木札が掛けられている

△庫裡参道脇に立つ現代風造りの御堂は経蔵か?

△回縁のない造りの客殿(と思う)....殿前右手に放生池がある

△入母屋造桟瓦風銅板葺の客殿....左側に古そうな玄関がある

△軒廻りは一軒疎垂木で組物なし、長押の上は一部に連子窓を設けた小壁....妻飾は狐格子

△客殿の杮葺唐破風の玄関

△杮葺の唐破風の玄関....鳥衾付き鬼板を乗せ、兎毛通は欠落(?)、妻飾は虹梁蟇股

△庫裡境内の鉄柵で囲まれた放生池越しに眺めた客殿

△客殿の左手連なって建つ切妻造桟瓦葺の庫裡

庫裡境内からみた本堂境内への切妻造桟瓦葺の薬医門

△境内の隅に鎮座する石造物群....合掌する石仏が多いが、中に2体の馬頭観音石仏もある

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