題名からだけだと何かミステリーかハードボイルド小説のような気がしますが、講談社のブルーバックスの至って真面目な生命と進化を考える本です。
著者の長沼毅はテレビのコメンテータでもちょくちょく出ているのでご存知の方もいるのでは。
生命とは何かと言われれば、長沼流に答えを出すと「生命は還元端(メタン)と酸化端(二酸化炭素)の間にある不安定な炭素化合物」となります。
その生命の原理で生きている生物を見るのには極限に生きている生物を見ると生命の本質が見えてくるかも、ということで南極、北極、深海、地中、火山、高地と極限で生きている生物がどうして生きているか生態を見てみます。
最初に出てくるのが先日も取り上げた「クマムシ」。ゆっくりと乾燥していき水分をトレハロースと言う糖分に置き換えて「樽」という状態になると151度の高温でも絶対零度に近い低温でも放射線にも耐えることができます。
ところがクマムシの上を行くものもいます。「ネムリユスリカ」という昆虫。乾燥状態の幼虫は高温にも低温にも耐え、17年間乾燥状態で吸水させたら元に戻ったとか。1週間アルコール付けでも死なず、放射線への耐性はクマムシより強い。
どちらも仮死状態で耐えているのですが、極限環境で元気に活動している微生物もいます。海底火山などの噴出孔で生息している「超好熱菌」の中には122度で増殖していました。
圧力では2万気圧の環境で生きていく大腸菌もいます。これらは水深で言えば16万メートル以上の深海(現在の地球上ではありえない!)に相当する圧力に耐えられるのです。
「ハロモナス」というバクテリアは高濃度の塩分にも真水にも高温にも低温にもへっちゃらで、食べ物がないところでは従属栄養から独立栄養に切り替えて自分で栄養を作り出すことができます。どんな環境変化に耐え生息可能領域をどんどん広げている最強の生物かも。
石油の中で生きているアブラハエの幼虫とかまだまだいろいろあるのですが、こうやって極限の生物を見ていくと地球環境ではありえない環境にも耐える能力を持っていることが分かります。
ひょっとするとメタンの湖の衛星「タイタン」とかでも生きている生物がいるのではと思わせます。
ここから話は「進化」とはということになるのですが、最近では進化は代謝、増殖、細胞膜と同様に、生命が生命であるための重要な条件の一つとみなされています。
またしてもネオダーウィニズムの話になるのですが、進化は自然環境の側からの選択だけではなく変異体の側も生き方を選択していて、動物に関しては「持って生まれたカタチで何とか頑張って生きる」が基本みたいです。見てみると動物の進化パターンは実に多様で、遺伝子の突然変異はいかにランダムに起こるかが分かります。
ところで地球上には現在200万種の生物が存在していますが、遺伝子を見てみるとすべての遺伝子が同じ物質DNAでできています。生物の殻どぉつくているたんぱく質とはアミノ酸を組み合わせて作られていますが、アミノ酸の種類もすべての地球生命に共通していて、20種類のアミノ酸からできています。ここから考えて生命誕生40億年を生き延びてきたのは、DNAでできた遺伝子と20種類のアミノ酸を持つ系統だけと言えます。違う種類の生命も存在していたかもしれませんが早い段階で死に絶えていたのでしょう。
そしてこうやって地球という惑星で40億年という時間を生命が連綿と進化して存在しているということは奇跡のようなことかも。
天文学者や物理学者は太陽のような星から適度な距離に地球のような惑星がありそこに液体の水と大気と有機物さえあれば、即ち必要な条件がそろっていればいくらでも生命が誕生すると考えるようですが、生物学者は条件がそろっていても、そこに生命が誕生する確率は極めて低いと考えています。地球が誕生したのが46億年前、生命が誕生したのが40億年前。その間の6億の時間で膨大な試行錯誤が行われたはずですが、まだまだ時間が短い。宇宙誕生の138億年前から試行錯誤は行われていて、著者の仮説では彗星もこの試行錯誤に参加しているのではないかということです。それだと確率もぐんと上がります。地球上の有機物は彗星由来である可能性があり、ひょっとしたら彗星で誕生した生命そのものが地球に運び込まれたかも…極限環境に生きる生物はその可能性の存在の証明になるのでしょうか。
たしか福岡伸一も6億年で生命が誕生するにはあまりにも時間が短いということを書いていたと思います。だけどそうするとどんなに全宇宙では地球と同じような条件の星がいくつかあるとしても、地球外に生命とは何かということを考えるような進化した高等生物はほぼ存在しないということでしょうか。
分かりやすい文章で知的刺激に満ちている本です。このところどうも生物学にのめりこんでいるみたいです。
著者の長沼毅はテレビのコメンテータでもちょくちょく出ているのでご存知の方もいるのでは。
生命とは何かと言われれば、長沼流に答えを出すと「生命は還元端(メタン)と酸化端(二酸化炭素)の間にある不安定な炭素化合物」となります。
その生命の原理で生きている生物を見るのには極限に生きている生物を見ると生命の本質が見えてくるかも、ということで南極、北極、深海、地中、火山、高地と極限で生きている生物がどうして生きているか生態を見てみます。
最初に出てくるのが先日も取り上げた「クマムシ」。ゆっくりと乾燥していき水分をトレハロースと言う糖分に置き換えて「樽」という状態になると151度の高温でも絶対零度に近い低温でも放射線にも耐えることができます。
ところがクマムシの上を行くものもいます。「ネムリユスリカ」という昆虫。乾燥状態の幼虫は高温にも低温にも耐え、17年間乾燥状態で吸水させたら元に戻ったとか。1週間アルコール付けでも死なず、放射線への耐性はクマムシより強い。
どちらも仮死状態で耐えているのですが、極限環境で元気に活動している微生物もいます。海底火山などの噴出孔で生息している「超好熱菌」の中には122度で増殖していました。
圧力では2万気圧の環境で生きていく大腸菌もいます。これらは水深で言えば16万メートル以上の深海(現在の地球上ではありえない!)に相当する圧力に耐えられるのです。
「ハロモナス」というバクテリアは高濃度の塩分にも真水にも高温にも低温にもへっちゃらで、食べ物がないところでは従属栄養から独立栄養に切り替えて自分で栄養を作り出すことができます。どんな環境変化に耐え生息可能領域をどんどん広げている最強の生物かも。
石油の中で生きているアブラハエの幼虫とかまだまだいろいろあるのですが、こうやって極限の生物を見ていくと地球環境ではありえない環境にも耐える能力を持っていることが分かります。
ひょっとするとメタンの湖の衛星「タイタン」とかでも生きている生物がいるのではと思わせます。
ここから話は「進化」とはということになるのですが、最近では進化は代謝、増殖、細胞膜と同様に、生命が生命であるための重要な条件の一つとみなされています。
またしてもネオダーウィニズムの話になるのですが、進化は自然環境の側からの選択だけではなく変異体の側も生き方を選択していて、動物に関しては「持って生まれたカタチで何とか頑張って生きる」が基本みたいです。見てみると動物の進化パターンは実に多様で、遺伝子の突然変異はいかにランダムに起こるかが分かります。
ところで地球上には現在200万種の生物が存在していますが、遺伝子を見てみるとすべての遺伝子が同じ物質DNAでできています。生物の殻どぉつくているたんぱく質とはアミノ酸を組み合わせて作られていますが、アミノ酸の種類もすべての地球生命に共通していて、20種類のアミノ酸からできています。ここから考えて生命誕生40億年を生き延びてきたのは、DNAでできた遺伝子と20種類のアミノ酸を持つ系統だけと言えます。違う種類の生命も存在していたかもしれませんが早い段階で死に絶えていたのでしょう。
そしてこうやって地球という惑星で40億年という時間を生命が連綿と進化して存在しているということは奇跡のようなことかも。
天文学者や物理学者は太陽のような星から適度な距離に地球のような惑星がありそこに液体の水と大気と有機物さえあれば、即ち必要な条件がそろっていればいくらでも生命が誕生すると考えるようですが、生物学者は条件がそろっていても、そこに生命が誕生する確率は極めて低いと考えています。地球が誕生したのが46億年前、生命が誕生したのが40億年前。その間の6億の時間で膨大な試行錯誤が行われたはずですが、まだまだ時間が短い。宇宙誕生の138億年前から試行錯誤は行われていて、著者の仮説では彗星もこの試行錯誤に参加しているのではないかということです。それだと確率もぐんと上がります。地球上の有機物は彗星由来である可能性があり、ひょっとしたら彗星で誕生した生命そのものが地球に運び込まれたかも…極限環境に生きる生物はその可能性の存在の証明になるのでしょうか。
たしか福岡伸一も6億年で生命が誕生するにはあまりにも時間が短いということを書いていたと思います。だけどそうするとどんなに全宇宙では地球と同じような条件の星がいくつかあるとしても、地球外に生命とは何かということを考えるような進化した高等生物はほぼ存在しないということでしょうか。
分かりやすい文章で知的刺激に満ちている本です。このところどうも生物学にのめりこんでいるみたいです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます