怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「江戸という幻景」渡辺京二

2016-07-16 08:53:13 | 
エコロジーの観点から今、江戸時代の再評価が言われている。国内の流通は盛んだったにしろ、鎖国を続け、当然ながら石油も石炭もないクローズドマーケットで平和を謳歌しつつ文化を爛熟させていった江戸時代。ではその江戸時代の人々の暮らしはいったいどうだったんだろうか。百姓は生かさず殺さずで抑圧されていたのか、武士は威張って切り捨て御免で無理を通していたのか、時代劇や小説に書かれていることが事実だったんだろうか。
この本は江戸時代のいろいろな文献を引用しつつ江戸という時代の風貌を描写している。そこに見えるのは近代とは違った豊穣さを持った、だからこそ明治維新以後の急速な近代化の中で失われてしまった二度と引き返せない世界でした。
実はこの本を読む前に以前同じ作者で評判になった「逝きし世の面影」を読んでいるのですが、なんせそれは500ページばかりある大部の本。図書館で借りて2週間の間に読むのがやっとでとてもレビューを書くところまでいきませんでした。
ここで簡単に触れておくと「逝きし世の面影」は幕末そして明治維新後に日本を訪れた西洋人が書いた紀行文、日記などをもとに現代のそれと全く異なる日本の文化、風俗を描き出しているものですが、目から鱗というか知的興奮に満ちた本でした。明治になって近代化とともに急速に失われていくものでしたが、日本人の心の底に通奏低音としては残っているのではないでしょうか。

詳細は自分で一度読んでいただくことをお勧めしますが、いやぁ、面白かったですね。大部の本ですが読みとおす気力がありそうなら一度挑戦してください。500ページでもまだ書き足りなかったのか「日本近世の起源」という本を出しているのですがこれはまだ読んでいません。
で、「江戸という幻影」ですが、これは江戸時代の比較的著名な随筆や紀行文をもとに明治になって滅び去った江戸という時代の幻影を描いているのです。引用されている本には根岸鎮衛の「耳袋」、これは確か宮部みゆきの江戸の町を舞台にした人情時代物にも出ていたと思います。確か「本所深川ふしぎ草紙」だったかな?朝日文左衛門のご存知「元禄御畳奉行日記」、川路聖謨の諸日記、海舟の父の勝小吉の「夢酔独語」などなど多数です。もっとも江戸時代のこの類は山ほどあるので都合のいいものだけを取り出したともいえないこともないのでしょうが、それは研究者ではないのでわかりません。

そこに描かれているのは情愛深く、ことに触れて赤児のような純真極まりない感情を流露する人々である。旅人には優しく、無一文で旅する人にも道中で人々は声をかけ喜捨を施している。旅先での病人を見つけると何かと世話を焼き、そのままにはしておかなかった。ちなみに関所も江戸後期になるとよほど緩やかになるみたいで宿屋でお金を出せば手形を買えるとか抜け道が公然とあるとかで苦労することなくクリアーできたみたいです。
女性だけの旅行も特に不自由なくできたようで、お伊勢参りは隆盛していて、女性の3人連れで九州から日光まで何か月もかけて旅行した記録もあります。これは田辺聖子も本にして紹介していたかな。
その時代の死生観についていえば、平均寿命が30歳そこそこということもあるのでしょうが、「死」に対してはあっけらかんとしていて、従容として死を迎えるのが普通だったみたいです。江戸の町人といえども、なぜ死なねばならぬとこだわるのは野暮の骨頂で、さばさばとした覚悟を粋としていました。ましてや武士では死すべき時に死なぬのを取り返しつかぬ恥としていました。だからこそ年端のいかぬ少年が何の気負いもなく腹を切っている。そこには当時の人々の死生観が共通の気分としてあるのでしょう。
夫婦関係でいえば、当時の離婚率は高いのですが、一方的な追い出し離婚は当時まれで、嫁の飛出し離婚も少なくなく、一般にみられるのは関係者が寄り合って協議した末の熟談離婚とか。うまくゆかなければ直ちに離婚して、何度でもやり直せばいいという婚姻常識だとすると家業の経営という要請が背景にあるだけに現実的である面すこしわびしいものがあります。幕末に本を訪れた西洋人は、日本の女は真の意味での愛を知らないと感じたそうですが、夫婦間の恋愛については一生愛を誓うというキリスト教的な意味では、なかったかも。
庶民の暮らしはまさに宵越しのお金は持たないではないけれど手に職を一つ習い覚えれば暮らしに必要なものが著しく簡素かつ少数で価格も低廉ということで何とかなった…
日本全国を旅した記録を見てみると、どんな辺鄙な場所に行っても貧しいとしか映らない暮らしの中に様々な年中行事があり、その中に生きる楽しみがあった。
身分制度の中で息も詰まる生活かというとそうでもなくて、江戸時代も爛熟してくると町人はあまり武士に恐れ入ってはいない様子が見て取れる。無礼打ちなどめったになく、我慢の限界で無礼打ちしたとしても、それはそれで後始末は厄介なので、町人がしつこく武士を挑発する場面もあったようです。勝小吉などは武士の子と言えども近所の町人の子供と派手に喧嘩している。最も勝小吉は祖父が御家人株を買って武士となったものなので、その頃はいたって武士と町人の間の垣根は低かったということですね。
時代劇では北町奉行所とかで大岡越前が名裁きをするとなっていますが、当時の裁判は厳しいもので、その厳しさはあらゆる階級に対して平等であったそうです。いろいろな訴訟の記録を見ると百姓が一方的に厳しい判決を受けているわけではなく、藩主や家老も厳しい処罰を受けている。わいろを受け取った者も処分を受けている。吉原で接待を受け1両1分を受け取った与力は死罪って命の値段が軽いですが、厳しいですね。
でも厳しいだけではなくて民事についてはその時代の正義観念と人情の兼ね合いを図って、すこぶる自由裁量の余地があったみたいです。一刀両断で判決するのではなくて当事者同士の落としどころを辛抱強く探ってもいます。ここらあたりが落語や講談の大岡裁きとかになるのでしょうが、事実はどの程度だったかにしろ、そういう記録が残っているのは、それも良しという時代の雰囲気はあったということなんでしょう。
なんとも魅力的な江戸時代の人々の姿です。でも読むのでしたら「逝きし世の面影」から挑戦することをお勧めします。
コメント
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