11月25日の東京ドームでの教皇ミサにあずかってきた。喜びに満ちた感動的なミサであった。
教会の月報の編集委員からなにか教皇ミサの感想を書いて欲しいと言われた。私の教会からの参加者のなかには教会の重鎮が多く、また、前回38年前のヨハネ・パウロ二世による後楽園のミサに参加した方も何人かおられ、私などがあれこれ雑文を書ける立場にはない。丁寧にご辞退した。
とはいえ、このごミサでは感動し、感激することも多かったので、忘れないうちに印象をとどめておきたい。カト研の皆さんのなかにも参加された方が多いと思う。少しでもこのブログで喜びを分かち合いたい。
今回のフランシスコ教皇さまの訪日に関するテレビや新聞の報道は比較的好意的なものが多かったという印象がある。帰国されたのは昨日なのでブログなどSNSでの記事はまだあまり多くはないようだ。そこでここでは東京ドームでの教皇ミサについてのみ少し感想を記しておきたい(1)。
といっても、どの角度から、どういう視点から、この教皇ミサをまとめたらよいのか、実はまだよくわからない。今回の訪日のメインテーマ「すべてのいのちを守るため Protect All Life 」を論じたらよいのか、それとも教皇さまがふれたれた個別のテーマ ー 長崎・広島の原爆、戦後日本の経済発展、東日本大震災、気候正義(climate justice)、差別と格差、若者の生きづらさ、などなど ー の話題か。または、参加枠をめぐる問題とか、会場の特徴か。やはり、ミサそのものの特徴もふれなければ。などなど色々頭に浮かぶが、ここではとりとめも無く書いてみたい。
メディア報道から見ると、カトリック中央協議会は教皇さまの動きをliveで報道していたし、テレビ局もニュース番組で特集を組んだりしていた。教皇ミサに参加できなかった人も教皇さまの動きをきっちりとフォローできたようだ(2)。
報道は、教皇さまの数多くの「メッセージ」のなかで、「核兵器廃絶」を訴えたとするものが多かったようだ。被爆地訪問は26聖人殉教地を含めて注目を集めたようだ。他方、メインテーマ「すべての命を守るため」はあまり取り上げられていなかった気がする。少し抽象的すぎたのかもしれない。報道では、教皇さまが東日本大震災、差別・格差問題、気候変動問題、青少年問題などにも触れていたことをもう少し強調して欲しかったところだ。朝日や読売はこれらの問題を「考えるきっかけを与えた」とかなり抑制した表現を使っているが、キリシタン迫害問題などとは異なり、世論が割れる問題なのであまり深くはふれたくないのかもしれない。
参加者としてはやはり参加枠の問題が気になった。私どもの教会は100人近い参加希望者がいて教会内で抽選をおこない、申請をしたらやっとバス二台の割り当てがあった。個人枠で申し込んでもあたらなかった人もいたようだ。抽選倍率は不明だが予想以上に高かったのであろう。このほか、学校枠とか司教枠とか色々あったようだ。外国人も多かった。日本のカトリック信者数は43万人強といわれるが、恐らく同じくらいの数の外国人信徒が日本で暮らしているというのだから、外国人参加者が多いのは当然だ。プラカードを見ると、東北や関西からの参加者のみならず、フィリッピンなどアジアからの参加者もおられたようだ。収容5万人強の東京ドームは満席だった。
入場のチェックは事前に言われていたほどの厳しさではなかったが、時間がかかった。退場時は小雨も降っていたせいか混雑が激しく、バスに乗れるまで2時間近くかかったのではないだろうか。
球場には巨大なパブリック・ヴユーイング用のスクリーンに似たテレビ画面が二台用意されていて、教皇さまが入場の際、式場内を一周されるのが見えたのはよかった。この時は全員が席から立ち上がって旗を振り、スタンディングオベーションだったので、写真はほとんど撮れなかった。私は望遠鏡も持参したが、教皇さまがどこを動いているのか、場所さえわからないほどの歓声だった。
ごミサ用に「ミサ式次第」が手渡された(一緒に立派なご絵が配られた)。ミサの式文はラテン語、日本語、英語が入り交じっていたが、流れは同一なので特に問題はなかったようだ。共同祈願ではベトナム語、韓国語、スペイン語、タガログ語、英語、日本語の祈りがなされ、印象深かった。
司式中の教皇さまはさすがお疲れの様子だったが(3)、教皇杖を持って気丈に頑張っておられたようだ(4)。教皇さまのミサは一部英語だったがお説教をはじめほとんどスペイン語だった。聖歌を歌っていたのはシスターや、双葉・清泉・栄光・サレジオなどの生徒たちだったようだ。オフィシャル・テーマソングの「時のしるし」は特によかった。
また、中央協議会が配信した動画(https://popeinjapan2019.jp/assets/file/live_sch.pdf)はよく編集されている。また、YouTube で配信されているいくつかの動画も見飽きなかった。来日記念のオフィシャルグッズも売られていたようだが、すぐに売り切れたという。せめてメダイくらい、と帰途のバスのなかでは残念がる声が多かった。
教皇さまが残されたメッセージはたくさんある。
①二つの「メッセージ」:「核兵器に関するメッセージ」(長崎爆心地公園)、「平和のための集い」(広島平和記念公園)
②四つの「講話」:東日本大震災被災者との集い(ベルサール半蔵門)、青年との集い(東京カテドラル聖マリア大聖堂関口教会)、要人および外交団等との集い(官邸)、上智大学学生へのスピーチ(上智大学)
③ミサでの三つの「説教」(長崎県営野球場、東京ドーム、クルトム・ハイム)
このほかにもあるのかもしれない。これらの文書を良く読んで、教皇さまのメッセージは何だったのか、核兵器廃絶だけがメッセージだったのか、「すべてのいのちを守るため」とはどういうことか、機会を改めて自分の考えを整理してみたい。
この教皇ミサにあずかることが出来て本当によかった。年甲斐もなく感動した。
注
1 今回の訪日を契機に日本政府が「法王」から「教皇」に呼称を変更し、メディアや官庁もそれに倣ってやっと「教皇」という言葉を普通に使うようになった。これほど嬉しいことはない。この変更がもたらす影響を見守りたい。
2 YouTube での報道はさすがインターネットの時代の到来を思わせた。前回のヨハネ・パウロ二世による後楽園球場でのミサの時に較べると隔世の感がある。私はこの頃、桜村(つくば市)の大学に勤務していて参加できなかった。村に教会はなく(土浦にカトリック教会はあったが遠すぎてたどりつく術がなかった 現在はカトリックつくば教会がある)、大学は出来たばかりで高速道路どころかバス道路もなく、晴天の日でも長靴で通勤するありさまで、東京は遙か彼方であった。
3 数少ない教皇ミサ関連のブログのなかで、谷口幸紀神父様のブログを読んだ(https://blog.goo.ne.jp/john-1939/ 続ウサギの日記 「教皇は来て、そして、去って行った 何を残して?」)。共同司式司祭でもあった谷口神父様にしてはかなり辛口の印象記だ。カト研の先輩でもあるし、新求道共同体で苦労しておられるのは承知しているが、「そこには、テレビカメラを意識して、パパモビレの上であふれる笑顔を振りまいていた教皇とは打って変わった、疲れた老人の姿を私は見逃さなかった」は少し筆が滑ったか。わたしはむしろ82歳にしてここまで頑張れる教皇さまの気力と意志の強さを見た。
また、谷口師はこうも言う。「その度に、ドームをいっぱいにした群衆からは万雷の拍手と悲鳴に近い歓声が湧き上がった。まるで、ロックのスターに叫びを贈る熱狂的なファン集団のような群衆心理ではないか」。私のまわりでも一緒に参加した人のなかで、歓迎の旗を振る5万人の信徒は「群集心理」に酔っているようだったと評した人がいる。いくら電通さんでもそこまでは出来ないだろう。
私の印象は違う。わたしはむしろそこに、日本社会ではマイノリティ集団でしかないカトリック信徒の連帯感の発露を、共感の喜びを見た。「わたしたちにはフランシスコがいる」という誇らしい気持ちの表現を見た。日頃の肩身の狭い思いが誇りと自信に変わった瞬間を見た。
ル・ボンを持ち出すまでもなく、「群集心理」には匿名性・衝動性がともなう。そんなものがどこにあったというのだろう。私がこのミサに見たのは、操作された群集心理ではなく、整然と喜びを表現する信徒の姿だった。
こういう言い方はあまりに護教的すぎるのだろうか。むしろ、わたしとしては、群集心理という社会学用語をこういう風に無造作に使われることに悲しみを覚える。
4 今回私が強く印象づけられたのは、教皇さまに、常に、片時も離れず、ピタッとそばについて、しかも目立たないように、教皇さまの手助けをしておられた司祭の存在だ。カラーの色から見ると枢機卿のようだが、日本語もわかる方のようだった。秘書と呼ぶのか、まさかカメルレンゴとは思えないが、高齢の教皇さまはこの人なしには激務をこなせないのであろう。