カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

『愛と英知の道-霊性神学-』(2)(神学講座)

2017-12-01 18:08:22 | 神学

 12月に入り、待降節もすぐだ。本文に入る前に、本書のタイトルをもう一度考えてみたい。このタイトルを見て私が最初に受けた連想は、倉田百三の『愛と認識との出発』(1921)であった。題名が似ているだけではなく、共にキリスト教と関係する哲学書とも言えるからだ。私は教養主義世代ではないが、それでも若い頃は倉田百三や三木清などをよく読んだことを覚えている。『愛と認識との出発』が昭和の哲学青年にたいして持っていた位置を、本書『愛と英知の道』が、平成の、21世紀の若き哲学青年にたいして持ってほしいものだと願っている。

 さて、第一部「キリスト教の伝統」は6章から成っている。神秘主義神学の成立と発展の歴史が整理される。今回はこの第一部を無理を承知で大急ぎでまとめてみたい。

第1章 背景(1)  第2章 背景(2)  第3章 理性 対 神秘主義
第4章 神秘主義と愛  第5章 東方のキリスト教  第6章 愛を通して生まれる英知

 単なる学説史ではなく、ヘレニズムの影響を強調し、東方教会の神秘主義を高く評価し、神秘神学は十字架の聖ヨハネによって頂点に達したと主張するジョンストン師独特の議論の展開がなされる。

第1章 背景(1)

 キリスト教がギリシャの世界へ広がって行くにつれ、キリスト教はインカルチュレーションの課題に直面する。他文化、他宗教への適応だ。土着化といってもよい。神秘主義神学は最初ひとつの祈りの型としてこの課題に応えるものとして生まれてくる。二人の偉大な神秘家が本章で論じられる。一人は雅歌の注釈で大きな影響をあたえたアレクサンドリアのオリゲネス(185-254)。雅歌は愛の詩だ。神秘神学は愛の(性愛も含む)神学という性格をもつことになる。もう一人は否定神学(Theology of Negation)の完成者ディオニュソス(または偽ディオニュソスとも、5世紀末か6世紀初め頃か)だ。師はこの二人について詳しく論じていく。特にディオニュソスの否定神学の説明が詳しい。

 否定神学は神秘主義神学の重要な柱、または構成要素である。否定神学なしに神秘神学はありえない。では否定神学とは?もともとはカッパドキアの3教父までさかのぼれるというが、「神とは---である」(例えば神は全能だ)と述べる肯定神学の反対概念だ。無限の神は知識では知り得ないから、「神は---でない」とマイナスの側面から神を知ろうとする神学である。神の神秘は隠れていて、形がなく、暗く、表現のしようがないのだから、神は理性のみでは知り得ない。神秘家は「考えることを止め」なければならないと説く。自己を否定しなければならない。これが西洋における「観想」(contemplation)の出発点となる。観想とは、理性を働かせず、思考することなく、ただ沈黙した祈りのことを指す。黙想会ではわれわれは聖句などについて「考える」。だが観想は考えない。「考えるな!」 こういわれるとなにか日本の禅が思い浮かびませんか。ジョンストン師がある時期座禅に没頭していったのは自然の流れだったわけだ。

第2章 背景(2)

 では、こういう神秘神学はどこから生まれてきたのか。その発生源はどこか。もちろんそれは聖書なのですが、ジョンストン師はその源を「ヘレニズム」に求めていく。神秘神学は、肯定する者と否定する者との間の長く激しい争いの中にあった。ローマ・カトリックでは基本的に神学の片隅に置かれ、ひっそりと生き延びてきた。他方、東方教会では神学は神秘神学そのもので、あらためて神秘神学などと呼ぶ分野があるわけではないようだ。つまりキリスト教に対するヘレニズムの影響をどう考えるか、によって神秘神学への評価が分かれてきたのだろう。
 ヘレニズムといってもいろいろな定義があるだろうが、ここではキリスト教の中に入り込んできた非キリスト教的な、ギリシャ的な思想や文化のことと考えてみる。具体的にはプラトン主義だ。ディオニュソスらの神秘主義は新プラトン主義に影響されておりけしからんというのがカトリックの主流派の神学者の理解だったようだ(新プラトン主義とは何かは別の話だが、ここでは二元論・超越論・存在の3層論などと理解しておこう)。「神秘神学は、キリスト教を汚染している異教徒の疫病の、もう一つの現れである」(60頁)という理解だ。いかに激しい批判にさらされていたかがわかる。
 ジョンストン師は「神秘」「神秘的」という言葉がどのようにして生まれてきたのかを明らかにしていくことによって、神秘神学へのヘレニズムの影響の強さを論証していく。結局これらはギリシャ世界から初代教会の教父たちに入ってきた言葉だという。師は、このあとディオニュソスの『神秘神学』を詳しく説明していく。師らしい丁寧な説明がなされる。この本は否定神学を体系化するというより、弟子を指導するという司牧的な性格を持っていたという。「思考の英知という神の闇に入るための忘我、すべての事物からの離脱、すべての思想の放棄がうたわれて」いるのだという。私は読んだことはないが不思議な文章に満ちているようだ。
 つまり、神秘神学は、ヘブライ生まれのキリスト教が地中海世界に流れ込み、ギリシャ文化と出会い、ヘレニズムの影響のもとに発展してきた。他の文化と出会うことで、キリスト教は発展した。ジョンストン師は21世紀のキリスト教は、いま、同じように他の文化と、アジアの文化と、出会っているのではないですか、と問いかける。「新しい神秘神学という子どもの誕生を期待してもよいのではないでしょうか」(77頁)

第3章 理性 対 神秘主義

 キリスト教はギリシャ教父たち以来中世まで、使徒信条の確定など神学の体系化に努めてきた。その過程で特筆すべき大きな出来事が二つあった。一つは、「ベルナルドとアベラールの神学論争」であり、もう一つはトマス・アクィナスによるスコラ学の完成である(スコラとは schola 学校 という意味で、1200年以降の中世の学校で教えられていた学習の方法のこと)。特にジョンストン師の議論の特徴は、アクィナスを理性主義と神秘主義の統合に成功した者としてとらえ、しかも神秘主義者としてのアクィナスを強調する点にある。そしてアクィナスの後継者たちがアクィナス神学の理性主義の側面のみを強調してスコラ学を作っていったと批判する。興味深い視点である。
 「ベルナルドとアベラールの神学論争」とは、キリスト教神学における神秘主義と理性主義の間の論争のことだ。ピエール・アベラール(1079-1143)(アベラルデゥスとも)はキリスト教の理性的な基盤を見つけようとし、ギリシャ哲学にならって理性の力を強調した。つまり、神の存在は理性の力で把握できるとした。クレルヴォーのベルナルド(1090-1153)(ベルナールとも)は、神学は瞑想(meditation)であり、祈りであるとして理性主義に偏ったアベラールを激しく弾劾する。結果アベラールは断罪される。ジョンストン師はこの争いに「胸が痛む」(83頁)と書いている。
 胸が痛んだのは『キリストに倣いて』を書いたトマス・ア・ケンピスも同じで、この理性主義と神秘主義の対立はキリスト教神学を貫く最大の争点となる。理性があれば神を知りうる、いや、神は理性だけでは知り得ない、祈りによる神との一体化しか道はない、と考えるのか。スコラ学は結局「理性と信仰の一致」の道を選ぶ。「理性の信頼」、これこそスコラ学的なキリスト教神学の根底となり、今でも続いている。(では理性は本当に信頼できるの? これは唯名論や啓蒙思想などその後の近代思想に連綿と続く争点となっていく)。
 ジョンストン師は、この理性主義と神秘主義の不幸な対立は、「理性と信仰」は一致すると主張したトマス・アクィナス(1225-1274)によって統合されたと詳しく説明していく。アクィナスはドミニコ会修道士であり、神秘家であったことが強調される。もちろんアクィナスはスコラ学の完成者で、[トマス・アクィナスは600年にもわたり、カトリック神学を支配しました・・・教父たちの著作に充ち満ちていた神秘主義はどこに行ってしまったのでしょう」(102頁)と批判する。だが、アクィナスをストレートに批判するのではなく、批判の目は「トマスの後継者たち」にむけられる。門脇佳吉師のようにジョンストン師は基本的にトマス主義者だと批判する人もいるくらいだから(『愛する』への「解説」など)、ジョンストン師のアクィナス論は複眼的に見なければならない。つまり、ジョンストン師は神秘主義者だからスコラ学そのもののアクィナスを批判しているなどと短絡的にとらえてはならないようだ。

 師はアクィナスの神学をおもに二つに絞って紹介していく。一つは「類比論」で、もう一つは[親和性論」だ。まず類比論から見ていこう。
 アクィナスの存在論は、「本質と存在」について独自の理論となっている。「存在」は「一義的」ではないし、また「多義的」でもない。それは「類比的」であるとする。(こういうギリシャ哲学の議論についていけないとスコラ学はちんぷんかんぷんになってしまう)。類比的とはアナロジーのことだ。認識には演繹法・帰納法とならんで類比法がある。神の認識は理性だけでは直接認識することは難しいからアナロジーで理解するしかない、という考え方だ。(譬えで理解するといってもよいかもしれない。クリスチャンはたとえ話が好きだとよくいわれるが、あながち的外れな指摘でもないのかもしれない。聖書によればイエスもたとえ話をよく使った)。
 たとえば、神の存在については、肯定的・否定的・超越的な語り方があるという。

肯定の道: 神は存在する
否定の道: 神は(被造物のようには)存在しない
超越の道: 神は(超越的なしかたで)存在する

 ジョンストン師は自ら訳した『不可知の雲』を使って、本質論ではなく、存在論に関心を向けるように説明し始める。「神があなたの存在であって、あなたは神の存在ではない」という表現はトマス学派の類比論を的確に表現したものなのだという。類比論にはこういう「存在の類比論」だけではなく、近代神学には「関係の類比論」もあるので、プロテスタント神学も関わってくる。プロテスタント神学は原理的に神秘神学を持っていないので、類比論だけで神秘神学を特徴付けることはできないようだ。

 次にジョンストン師は「親和性」論という認識のしかたの話に入る。恐らく本書で一番難解なのはこの部分ではないか。まずこの「親和性」という訳語の問題がある。原語は connaturality だ。これは神学の専門用語で、訳語は親和性として確定しているのかもしれないが、私にはわかりづらい。con は with なので、with nature からきている言葉と考えられる。これをなんと訳すか。恐らく訳者たちも悩んだのではないか。もともとは「同じ本性 nature を持っている、共有している」という意味だろう。自然的・生得的・一体的・同化的など近い言葉はあるが、「親和的」とは興味深い訳語だ。だがなにかわかりにくい訳語だ。「親和性による認識は、特に道徳の分野で価値があります」(91頁)。この日本語は意味が通じるのだろうか。(注1)
 ジョンストン師は、『神学大全』(Summa Theologica)においてアクィナスが展開した二種類の認識の区別の話から始める。一つは理性を用いて行われる認識で、科学研究や日常生活で用いられる。もう一つは「親和性」を通しての認識で、「認識の対象は自分自身の血肉となっていて、同じ本性を持っている」(91頁)。(ここは原文は one co-natures with the object で、同じ本性を持っている はよい訳だと思う)。アクィナスは「習性」という言葉を使っているという(原文は inclination, inclinationem。山田晶訳『神学大全』では「自然本性的」という言葉が使われている。Ⅰの360頁)。たとえば、貞潔の問題でいうと、倫理学の学識のある人は理性に基づいて判断を下すが、美徳を身につけている人は直感的に判断を下す。そういう「親和性に基づく」認識は論理的に正しく、信頼に足る、という。要は、親和的な認識はアクィナスの否定神学的思想のあらわれで、神秘神学に特有の認識のしかただという。アクィナスでは、理性による認識だけではなく、親和性による認識が強調されている、というのがジョンストン師の説明だ。
 このあと、アクィナスの親和性による認識という考え方が、「愛を通しての認識」、「キリストと共にある親和性 connaturality with Christ 」という2節にわたって詳しく説明される。ここは難解だし、なにぶん長いので省略しよう。最後にジョンストン師は、アクィナスのスコラ学は600年にわたってカトリック神学を支配したが、かれの後継者たちは神秘神学を忘れ去ってしまったと嘆く。他方、プロテスタント神学は、神秘神学は新プラトン主義的だとか、グノーシス主義的だとかいって、神秘神学を無視し、育てることはなかった。だが、師は言う。「無意味な言葉だけの思索に物足りなさを抱いている現代世界は、アジアの神秘的な宗教と出会うことで、神秘主義に改めて魅力を感じ始めている。神秘神学が神学全体の中心になる日が必ず来る」(102頁)。

 要約がうまくいかず長くなってしまったので、次の第4・5・6章は次回にまわしたい。

注1 社会科学で「親和的」というと、すぐに verwandtschaft という言葉が浮かんでくる。 M.ウエーバーでいえば、 Wahlverwandtschaft は選択的親和性と訳され、例えば禁欲的プロテスタンティズムのエートスと、資本主義の精神はおのおの別々の法則性・規則性を持つが、両者には選択的親和性がある、という議論がなされる。英訳では selective affinity となる。affinity というありふれた言葉になってしまう。ドイツ語では、同じ根を持つ、類似している、親近性がある、などのニュアンスがあるようだ。connaturality という英語の単語にこういうニュアンスがこめられているのだろうか。ラテン語ではどうなのだろうか。。神学の専門領域の話になってしまうのかもしれないが、親和的という訳語は、誤解とはいわないまでも、理解を難しくしているのではないかと思う。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「プロテスタンティズムとは... | トップ | 『愛と英知の道-霊性神学-... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

神学」カテゴリの最新記事