カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

マリア信仰の歴史は古い ー 聖母マリア(2)(学びあいの会)

2022-03-02 11:05:38 | 神学


第一部 マリア神学

【Ⅰ 歴史】

Ⅰ 聖書

 新約聖書におけるマリアの記述は少ないといわれる。新約聖書がイエスの言行を描写したものなので、当然と言えば当然だろう(1)。
 新約でマリアの姿が最もよく描かれているのはルカだ。ルカは異邦人(主にギリシャ人)向けに書かれているとも言われるので、マリアが敬虔なユダヤ教徒であったことを強調しているようだ。他方共観福音書では最も古いと言われるマルコではマリアはほとんど言及されていない。
マタイはユダヤ教徒向けの文書らしく、ユダヤ教徒を納得させるために、マリアではなくヨゼフ中心の誕生物語が描かれる。マリア信仰は伝承の世界で成熟してきたようだ。

 とはいえ、前提として聖書のなかでのマリアへの言及を比較しておこう(2)。

【聖書のなかのマリア】

 


1 パウロ

 新約聖書で最古の文書であるパウロの書簡 ガラティア 4:4 に、有名なマリアへの言及がある。
「しかし、時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法のもとに生まれた者としてお遣わしになりました」(新共同訳)(3)
 この表現は救いの営みにおけるマリアの役割を現していると解釈されているようだ。人間の救いは神の子が人となることによるが、そのためには人間である母親から生まれる必要があった。イエスは突然どこかからポツンと現れてきたわけではない。この救い主の母となる役割を果たしたのがマリアであるとされる。

2 マルコ

 3章で、イエスの母と兄弟がイエスを探しに来て止めようとする話がでてくる(3:31~35)。イエスは答える。「私の母、私の兄弟とはだれか」(3:33)。母親のマリアは冷たくあしらわれ、歓迎されない(4)。
 6章では、イエスの出自をめぐってマリアの名があらわれる。「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか」(6:3)。そしてイエスは有名な言葉をはく。「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」(6:4)。
 マルコでマリアがはっきりと言及されるのはこの2場面だけのようだ。マルコでは、マリアへの崇敬や信心はあまり表現されていない。マルコは基本的にキリスト論だから成人後のイエスを描いている。マルコには誕生物語はない。つまりマリアの処女懐胎の話はない。これがマルコの神学的立場を表すのか、それとも周囲の人はマリアをごく普通の母親という視線で眺めていたという単なる事実を示しているのかはわからない。
 
3 マタイ

 マタイ福音書は、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図」で始まる。このあとずらずらと人名が並び、読む気が失せる。だが16節で突然「「ヤコブの子はマリアの夫ヨセフである。キリストと呼ばれる、イエスは、このマリアからお生まれになった。」(1:16)と出てくる。ここは系図なのに奇妙なことに「イエスは、このヨセフとマリアからお生まれになった」とは記されていない。
 続いてヨゼフへのお告げが記述され、聖霊によるイエスの誕生の次第が語られる。1章23節では旧約聖書イザヤの預言書(7:14)からの引用が語られる。
「見よ、おとめが身籠もって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる」
そして24節からイエスの聖霊による誕生が語られる。「ヨセフは・・・マリアと関係することはなかった」(6)。
 要は、マタイは、マリアではなく、ヨセフ中心の誕生物語なのだ。

4 ルカ

 マリアの姿が最もよく描かれているのがルカ福音書だ。天使ガブリエルの受胎告知により、マリアが聖霊によって身ごもることが明らかにされる。
 1章38節は、マリアの疑問、マリアの信仰と従順を現している。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」。
 続いてマリアのエリザベト訪問が語られ(1:39~45)、マリアの信仰の強さが強調される。
そして最も有名な「マリアの賛歌」(マグニフィカト)が語られる(1:47~55)。これは旧約聖書によく見られる表現を使いながらも独創性に富んでいるという。福音書の記者がルカ本人でなかったせよ見識のある人であったのであろう。
 そして幼子はイエスという名前をつけられ、神殿に奉献され、シメオンの賛歌が歌われ(2:29~32)、イエスの将来がマリアに預言される(2:34~35)。
 11章27節「真の幸福」の箇所はイエスとマリアの(あまりよくなさそうな)関係を暗示しているが、ここは母マリアの幸せを否定しているのではなく、マリアの幸せは信仰を持って神に従うことだと言っているようだ。
 マリアが最後に登場する場面は感動的だ。使徒言行録1:14だ。使徒行録はルカの続きだ。マリアは、イエスの昇天後、エルサレムで11人の弟子たちと一緒に祈っている。「彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた」(5)。
 ルカが描くマリアは、神から特別の恵みを受け、おとめとして聖霊によって受胎し、神に従順で謙遜な人だ。マリアは「幸いな人」と呼ばれる。

5 マタイとマルコの幼年物語の比較

 見てきたように、マタイとマルコでは幼年物語は大きく異なる。書かれた年代が異なることを忘れてはならない。だが、以下のような共通点があることも忘れてはならない。

①イエスはマリアから生まれた
②マリアはダビデ家のヨセフの婚約者であった
③イエスは、ヨセフとマリアから生まれたのではなく、聖霊によってマリアから生まれた
④イエスの誕生は、イスラエルの預言者の預言、すなわち救い主の誕生を実現するものであった
⑤イエスは、ベトレヘムで生まれ、ナザレで育った

 このうち、処女懐胎とベトレヘムでの誕生は、事実であるかどうか聖書学上疑問が出されてきた。ハルナックやブルトマンなどプロテスタント神学者には疑問視する者が多い。だが、教会は、マタイとルカの記述は当時の初期キリスト教共同体で伝えられた伝承に基づいており、マタイもルカもそれを事実として語っていると説明している。

6 ヨハネ

 ヨハネ福音書では、マリアは二つの重要な場面で登場する(7)。

①カナでの婚礼 2:1~12
 この場面はヨハネのみに登場する。イエスの最初の徴(奇跡)ともいわれる。
②十字架の死の直前 19:25~27
 イエスは、母に向かって弟子を「あなたの息子です」といい、弟子に向かってマリアを「あなたの母です」と呼ぶ。イエスはマリアにすべての弟子、すべての信者の母となる役割を与えた。


【カナでの婚礼】 (ヘラルト・ダヴィト作 1460-1523年)

 


7 黙示録 12:1~18
 12章は「女と竜」の幻の話で、女はマリアを表すとか、教会を表すとか考えられてきた。

8 旧約聖書 

①創世記 3:14~15
 蛇と女の敵対関係を描く場面だ。ここに「女の子孫」ということばがあり、ここにマリアとイエスが含まれると考えられてきたようだ。そのように読めるのなら、この箇所は、エヴァの子孫であるマリアの子イエスが、悪魔である蛇の頭をかみ砕くという意味に解釈できる。伝統的にこの箇所はイエスが悪に打ち勝つことを預言した文言であり、「原福音書」と呼ばれるのだという。
②イザヤ書 7:14
 「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ」
 この「おとめ」は伝統的にマリアを指すといわれ、マリアは第二のエヴァとも考えられたようだ。この箇所は「インマヌエル預言」と呼ばれるという。

 古代教会・中世・近世・近現代のマリア論は次回にまわしたい(8)。



1 これを根拠に、厳格な聖書中心主義に立つ人は、マリア信仰を重視しない傾向が強い。
2 光延一郎『主の母マリアーカール・ラーナーに学ぶカトリック・マリア神学』(教友社 2021) 74頁
3 フランシクコ会訳だと、「しかし、時が満ちると、神は御子をお遣わしになり、女から生まれさせ、律法の下に生まれさせたのです」とある。 ここでは「御子」は「みこ」ではなく「おんこ」と読ませている。現在はごミサなどの聖書朗読では、「みこ」は「巫女」を連想させるので、一部の例外を除いて、「おんこ」と発音されているようだ。日本語は同音異義語が多い希有な言語らしい。
4 これは変な話に聞こえる。イエスが言いたいのは、「神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」(3:35)なのだが、なにか違和感が残る。
5 フランシスコ会訳だと、「ヨセフは彼女を知ることはなかった」。協会共同訳だと、「しかし、男の子が産まれるまで彼女を知ることはなかった」。
6 マリアがこのあとどのような運命を歩んだかは聖書からはよくわからないようだ。
7 ヨハネでは聖母はマリアという名前では呼ばれず、「イエスの母」という呼称で登場する。珍しい呼び方だがその神学的意味はわからない。
8  マリア論の歴史を語るとき、マリア論の核心、中心は何なのかが常に問われる。はたしてマリアの「神母性」が根本原理なのかが問われてきた。この論争に新たな視点を加えたのがK・ラーナーの講和集『マリア 主の母』だという。ラーナーは第二バチカン公会議に呼ばれたの公会議神学者で、その神学的影響の大きさははかりしれない。これを光延一郎師が日本語に訳して、詳細な注釈を加えられたのが、『主の母マリアーカール・ラーナーに学ぶカトリック・マリア神学』(教友社 2021)である。本の構成は、翻訳と注釈が一体になっているので複雑だ。おそらくは師の神学部での講義資料がもとになっているのであろう。内容としては、キリスト教の日本への土着化にはマリア信仰の深化が必要だという師の思いが伝わってくる。念のため目次だけ触れておきたい。

まえがきー聖母マリアの教義とは何か
第1章 マリアのついての信仰の概観 (『主の母 マリア』第1章の翻訳 以下同様)
第2章 神学におけるマリア
第3章 マリア論の根本理念
解説① 聖書におけるマリア
解説② 神学と典礼・霊性の歴史におけるマリア
第5章 神の母 マリア
解説③ 「神の母マリア」教義
第6章 乙女なるマリア
解説④ 処女母性
第4章 「無原罪の御やどり」
解説⑤ 「無原罪の御やどり」教義の展開
第7章 罪なき方マリア
解説⑥ 罪なき方マリア
第8章 被昇天
解説⑦ 「聖母被昇天」と人間の最終的希望
第9章 恵みの媒介者なるマリア
解説⑧ 信仰者の霊的母、教会の母、祈りのとりなし手であるマリア
解説⑨ 聖母マリアをめぐる現代の議論
第10章 マリアへの祈り

 著者によると、マリアをめぐる教義は個々バラバラに見れば現代人には荒唐無稽に聞こえるだろうが、第10章のラーナーによる聖母マリアへの祈りにはマリア信仰が端的に含まれているという。最後の部分だけ引用しておこう。
【苦難を真に耐え、真に復活なさった方、御父の子であり、またこの大地の子でもある方、その方の下で、私たちがあらゆる権力と暴力から真に解放されるあの方の力を私たちにお示しください。
この方なしには、荒れ狂う力は今の絶えず、地上の人間はいまだにそれに従わざるを得ません】


【『主の母マリア』】

 

 

 

 

 

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