カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

大乗経典は般若経と法華経に尽きる ー 仏教概論(7)学びあいの会

2022-12-02 08:12:47 | 神学


 今朝はW杯で日本を応援するために朝4時に起きた。2:1の逆転勝利にキーボード上の指が今でも震える。こういうことが起こりうるのだ。日本代表を讃えたい。


 今回も、報告内容の概要紹介は2018年2月のブログの繰り返しになるのであえてふれない。ここでは引き続きコメント風に私見を書き連ねてみたい。
 今回のポイントは、大乗仏教には無数の経典があるが、結局は般若経と法華経に尽きるという点だ。浄土教は別世界の話になる。

Ⅵ 大乗経典

 ここからは大乗経典の話だ。主な大乗経典である、般若経・法華経が紹介される。さらに、観音経、維摩経、華厳経、浄土三部経、涅槃経、大日経 が紹介される。このようにお経をずらずら紹介されてもおのおのがどう違うのか、どれが大事なのか、予備知識がないとさっぱり解らない。

 大乗経典は3000種類以上あると言われる。ところが実際に使われているのはぜいぜい20から30種くらいらしい。66巻の聖書(旧約39巻、新約27巻)、114章(スーラ)のクルアーンと較べても特に多いわけでもなさそうだ。仏典は律蔵・経蔵・論蔵の三蔵と呼ばれ、現在は大乗仏教の経典もその中に含まれるようだ(1)。

1 般若経

 般若経は大乗経典では最も古い経典だという。もともとはサンスクリット語だろうが、漢訳は42種類以上あるという。書かれたのは紀元47年以降らしいが、日本には聖徳太子の時代、7世紀頃入ってきたという。
 般若経は大乗仏教系の様々な宗派で唱えられているというが、特に重視しているのは密教系の宗派(天台・真言など)と禅宗(曹洞・臨済など)だという。浄土教系の浄土真宗や日蓮宗(創価学会も含む)はこのお経を唱えることはないという。

 教義的には、梶山雄一氏によると、「空の思想」と「実在論批判」だという(2)。世界は実体として存在しない、存在するのは縁起(関係とでも理解してみる)だけだという思想だ。釈迦は実在したという「五蘊」説すら般若経は受け入れていないようだ。梶山氏の説明は中観哲学の祖ナーガルジュ(龍樹)に依拠した説明で、わたしにはあまり良くは理解できなかった。氏は説明と言うよりは、お経の本文を逐一詳しく紹介するという手法をとっているので、基礎知識のないわたしはあまりついて行けなかった。
 わかったのは、般若経ではわれわれは既に前世でブッダに出合っており、菩薩(ブッダの弟子)になる資格があると言っているのだという。般若経の教義としては、「五蘊」説とか、「十二処」(6根と6境)説とか、「十八界」(十二処+六識)説とか、いろいろあるようだが、要は、実体は何も存在しない、空である、ということを説明するための議論らしい。

 

【五蘊・十二処・十八界】(出典佐々木閑「大乗仏教」61頁)

 


 般若心経はこの巨大な般若経をまとめた経典とのことだが、般若心経は要は呪文(じゅもん)なのだという。般若心経を唱えれば何でも実現される「万能の呪文」なのだという。つまり、呪術的な効果を狙ったお経のようだ。確かに最後の部分の「羯帝 羯帝 波羅羯帝・・・」(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい・・・)は何の意味もない呪文そのものなのだという(3)。般若心経は呪術なのかもしれない。

2 法華経(妙法蓮華経)

 法華経はよく「諸教の王」といわれる。つまり、すべての経典の中で一番偉いということらしい。全28章からなり、迹門(じゃくもん 14品)、本門(14品)からなる、ドラマ風のストーリーのあるお経だという。宗派によって迹門、本門のどちらを重視するか異なるという。

 法華経は大乗仏教のほぼすべての宗派で詠まれているという。何故これほど広い影響力があるかについては歴史的事情が大きいらしい。また、教義的には法華経にこそ釈迦の本当の教えが記されていると考えたからだともいう。とはいえ、大乗仏教は上座部仏教を批判して登場してきたわけだから、彼らの釈迦理解を批判したのだろう。自分たちの釈迦の理解(ブッダ論)こそ正しいと言いたかったのかもしれない。日本では、天台宗や日蓮宗でも詠まれるという。と言うより日蓮宗では法華経しか詠まないようだ。浄土教系では教義に法華経は入っていないという。

 法華経の教義上の特徴はいろいろあるらしい。基本は自分たちは般若経の教えとは異なることを強調したいらしい。たとえば、法華経の特徴とされる「衆生成仏」論は、誰でもブッダになれるという主張だ(一仏乗説)。般若経はなれる人となれない人の格差をつけている(三乗説)という。
 方便という考え方もおもしろい。「初転法輪は方便だ」という方便品第二(第二の転法輪が真理だ)の話は法華経の代表的な話らしい。要は難しい話の前に易しい話をすることが大事だということらしい。われわれが日常的に使っている「それは方便だ」という言葉遣いには深い意味があるようだ(4)。
 「三車火宅の譬え」も有名な物語らしい。これは先の「一仏乗」の考えをわかりやすく説明した譬え話だという。詳細はネットで検索してもらえればすぐに出てくる。イエスも譬え話を使って自分の教えを伝えようとしたが、法華経にも譬え話が多いという(「法華七喩」(ほっけしちゆ)というらしい)。法華経が広く受け入れられたのはこういう譬え話を使ったわかりやすい教えだったからのようだ。法華経はこのようにお経を唱えることでブッダになれると説いているようだ。もはや、「空」だの「無」だのという抽象的な観念はない。

 

【法華七喩】(出典佐々木閑「大乗仏教」92頁)

 

 


1 三蔵とは経蔵(説法)、律蔵(戒律)、論蔵(注釈)のことで、「西遊記」の三蔵法師(玄奘三蔵)はこの三蔵すべてに通じているという意味のようだ。
 大乗経典には釈迦の教えが入っておらず、ブッダの教えが中心だから、そもそも仏教の聖典とは呼べないという考えもあるようだ。釈迦からブッダへ、が大乗仏教の成立根拠だからだろう。キリスト教にも旧約聖書を認めないグループ、旧約の一部しか受け入れないグループ、新約の一部を認めないグループなどいろいろあるようだ。どうもイスラム教では、クルアーンの特定の章(スーラ)や節(アーヤ)を認めないということはないらしい。
2 梶山雄一『般若経ー空の世界』 講談社 2022 第4・5章
3 こういう説明の仕方は佐々木閑『大乗仏教』第2章による。サンスクリット語の読み(発音)を単に漢字に移しているため何のことか解らないのだという。つまりこれが「マントラ(真言)」であり、呪文そのものなのだという。真言とは宇宙の真理という意味ではない。真言とは呪文なのだ。
4 辞書での方便の定義は面白い。「広辞苑」だと「真理に誘い入れるために仮に設けた教え」とある。単に信仰に教え導くための手段という意味を超えた説明だ。

 

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