小林秀雄ではない、高島さんの本の続き、夕べは飲んだくれてたので本居の章で飛ばしてたとこがあった、これをちゃんと紹介しとかないとどうして「本居の思想がもてはやされるのがいい時代のわけはない」のかわからないから高島さんに対して公正じゃないのだ
本居宣長は「国学」を始めたヒトということになってるけど本人は「国学」なんて言わなかった、日本人なんだから日本のことを学ぶのがホントの「学問」、漢籍を学ぶのは漢学とか儒学とか言えばいいと言ったのだった、当時の日本で学問と言えばもちろん漢学のことで(たぶん蘭学もちょっとは入ってたハズ)日本の本なんか本のうちに入ってなかった、だから日本の古典を研究しようというのは別に悪いことではなかったのだが、宣長はいささか度を過ごしていた
いわく「古事記にあることは何でも正しい、アマテラスは太陽そのもので地球は太陽のおかげで生きている、つまり日本は世界で一番エライ国なのだ」(原文知らないからこと通りかどうかわからんけど)
またいわく「ホノニニギが日本へ来て(天孫降臨)から神武天皇の即位まで百七十九万二千四百五十余年と日本書紀にあるから日本の歴史は神武以後と合わせて百七十九万五千年」
アマテラスが太陽かどうかはともかく(天の岩戸は日食という説なくはないし)、百七十九万年という数字は日本書紀にしかない、古事記には確かニニギの次のホオリ(山幸彦)が在位五百何十年(これは飛びぬけて大きな数値)とあるだけだと思う、そも日本書紀というのがけっこう漢籍を引っ張って格好つけてる、宣長流に言うなら相当に「漢意」(カラゴコロと読む)なシロモノで、そんなこと漢籍も十分に読み込んでた宣長が知らんわけはない、「昔のヒトもいいかげんなこと書くよなあ、アッハッハ」と言って当然だった-のがどうも日本の史書のことになると合理主義者が正気をなくして神がかりになってしまったらしいのだ
そう、こんな思想がもてはやされる時代、いいわけはない、それはまことにその通りだった、考えてみれば(みなくても)津田左右吉ってのは本居宣長の対極にあったヒトで、そのどちらも評価される高島さんは公正な方なんだなあ-と浅学の読者は改めて感心するのであった、この項オワリ