聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2022/1/30 Ⅰ列王記18章「火のテスト」こども聖書㊺

2022-01-29 11:17:50 | こども聖書
2022/1/30 Ⅰ列王記18章「火のテスト」こども聖書㊺

 今日の箇所、まことの神である主の預言者エリヤと、偶像の神バアルの預言者たちの対決です。イスラエルの民は、主なる神様に導かれてここまで来たのに、その神を捨てて、偶像の神様、強そうなバアルの神に心を向けてしまっていました。

十八22そこで、エリヤは民に向かって行った。「私一人が主の預言者として残っている。バアルの預言者は四百五十人だ。23私たちのために、彼らに二頭の雄牛を用意させよ。彼らに、自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂いて薪の上に載せるようにさせよ。火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにし、薪の上に載せて、火をつけずにおく。

 どちらが本当の神か、証明しよう。どちらも、生贄の祭壇に火をつけずに置き、それぞれの神に祈って、火をつけてくれる方が本物だ、という挑戦でした。

24おまえたちは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぶ。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。

 バアルの預言者が先に始めました。朝から晩まで、四百五十人の預言者が叫びました。

26…「バアルよ、私たちに答えてください。」しかし何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちが造った祭壇のあたりで踊り回った。



 それでも何も起きません。エリヤは彼らを嘲って、馬鹿にします。しかし、

28彼らはますます大声で叫び、彼らの慣わしによって、剣や槍で、血を流すまで自分たちの身を傷つけた。29このようにして、昼も過ぎ、ささげ物を献げる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注目する者もなかった。



 そこで、今度はエリヤの番です。エリヤは、主のための祭壇を築きます。それは久しぶりの主のための祭壇でした。イスラエルの十二部族の数をとって、十二の石の小さな祭壇を築きました。そして、なんと彼はここに水をかけます。



32…祭壇の周りに、二セアの種が入るほどの溝を掘った。…34「四つのかめに水を満たし、この全焼のささげ物と薪の上に注げ」と命じた。…「もう一度それをせよ」…「三度目をせよ」と言ったので、彼らは三度目をした。35水は祭壇の周りに流れ出した。彼は溝にも水を満たした。

 四つの瓶に満たした水を三度、さあ、瓶に何杯分の水ですか?









 そう、十二杯です。イスラエルの十二部族の数の石と、同じ数だけの水です。勿論、水を掛けたのだから、インチキではありませんよ、むしろ絶対に火が付くなんて無理なような状態ですよ、という事でもあったでしょう。そのビショビショの小さな祭壇の前でエリヤは祈ります。

36…「アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのおことばによって私がこれらすべてのことを行ったということが、今日、明らかになりますように。37私に答えてください。主よ、私に答えてください。そうすればこの民は、主よ、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださったことを知るでしょう。


 一度こう祈っただけです。大声でずっと叫んだり、踊ったり、自分の身を傷つけて血を流したりはしませんでした。エリヤがこう一度祈ると、主は答えられました。すると、

38…主の火が降り全焼の捧げ物と薪と石と土を焼き尽くし溝の水もなめ尽くした。39民はみなこれを見てひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です」と言った。



 すごいですね。主は本当の神です。人間が考えたバアルと違って、生きておられ、そして、水でビショ濡れの祭壇に天から火を下して、生贄を焼き尽くすことの出来る神。こうして、バアルの預言者たちは負けて、エリヤの神こそ本物だと分かりました。

 では、バアルは壊されて、イスラエルの民は主への信仰に立ち帰ったと思いますか?いいえ、そうではありませんでした。この後、アハブ王の妻イゼベルがこれを聞くと、

十九2すると、イゼベルは使者をエリヤのところに遣わして言った。「もし私が、明日の今ごろまでに、おまえのいのちをあの者たちの一人のいのちのようにしなかったなら、神々がこの私を幾重にも罰せられるように。」



 これを聞いたエリヤは怯えて、荒野に逃げてしまうのです。そうです。こんなものすごい奇蹟も、民の心をほんの僅かな間、動かしただけでした。
「主こそ神です。主こそ神です」
と熱狂した民の心は、冷めるのも早く、すぐに元に戻ってしまいました。天から火を下すような奇蹟は、主の力を確かに証明しました。しかし、それ以上に、そんな奇蹟では民の心を深く変えることは出来ない、という人間の姿を証明したのです。

 後に、イエスも多くの奇蹟をなさいましたが、それは人の深い変化を殆どもたらしませんでした。イエスの弟子たちは、エリヤの出来事を思い出して、自分たちを受け入れないサマリヤの人たちのために、天から火を下すよう祈ろうと考えました。

ルカの福音書九54…「主よ。私たちが天から火を下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」55しかし、イエスは振り向いて二人を叱られた。

 イエスはこのような考えを叱られます。なぜなら人の変化は、奇蹟とか人かそんな脅しでは起きないとご存じだからです。それは上辺の一時的な変化しかもたらしません。イエスは私たちを変えるため、大きな奇蹟より、ご自分のいのちを与えることを選ばれました。エリヤも、この出来事を通して、人の心を変えようとする虚しさを手放して、自分が主に信頼して、出来る事をして、人を育てるよう、変えられていきます。

 天から火が下った、聖書でも最も目覚ましい奇蹟の一つが教えています。人の考えは大きな奇蹟を見ても変わらない。華々しい力を見せられたら、私たちの信仰を知ってもらったり、クリスチャンも増えるだなんて思うのは妄想に過ぎない。その事を、この「火のテスト」は明らかにしました。ただ主の恵みが人の心を変えるのです。イスラエル十二部族を象徴する祭壇に、主が天から火を下してくださいました。ただ主の深い恵みによって、主ご自身の忍耐と犠牲によって、長い時間を掛けて、私たちの生き方が取り扱われていくのです。主は私たちの心も、どんな人の心も、燃やしてくださいます。


「主よ、目覚ましい奇蹟を期待し、憎らしい人をあざ笑ってやりたい愚かな誘惑から、私たちをお救いください。そんな見えるしるしより、私たち自身の冷えた心を燃やして、私たちをあなたの証しとしてください。あなたこそ神です。奇蹟よりも十字架をもって自らを与えたもうイエス様こそ、本当に力ある神。あなたに私たちも従わせてください」
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