聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2022/2/13 Ⅱ列王記5章「ナアマンを助けたエリシャ」こども聖書㊼

2022-02-12 12:23:40 | こども聖書
2022/2/13 Ⅱ列王記5章「ナアマンを助けたエリシャ」こども聖書㊼

 預言者エリシャは、旧約聖書で最も多くの奇蹟を行った人です。今日の「ナアマンの癒やし」はそのエリシャの預言でも真ん中に、一番詳しく描かれているエピソードです。

1アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。それは、主が以前に、彼を通してアラムに勝利を与えられたからであった。この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた。

 アラムはエリシャの国、イスラエルの民にとっては当時、敵対関係にありました。そのアラムの将軍がナアマンです。彼は地位も、将軍としての実績もありました。しかし、彼の体はツァラアトという重い皮膚病にかかっていました。この病気は、直ぐに死ぬとか苦しむとか、人に感染するというような恐ろしい病気ではありません。しかし、見るからに病気と分かるので、とても恥ずかしく、嫌われるような病気だったのです。

 この人の家に、イスラエル人の少女がいました。彼女は、ナアマンが最近、イスラエルの地からさらわれてきたのです。とても悲しく寂しく、ナアマンを恨んでいたとしても不思議ではありません。でも、彼女はナアマンの病気を見ても「いい気味だ」と喜んだりはしませんでした。その反対に、ナアマンの奥さんにこう言ったのです。

3…「もしご主人様がサマリアにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう。」

 この少女の言葉は、どんなに勇気と恵みの満ちた言葉でしょうか。

 この言葉を聞いたナアマンは早速、王の所に行き、イスラエルに行くことにしました。アラムの王も手紙を書いてくれて、ナアマンは銀340kg、金70kg、晴れ着十着、沢山の贈り物を持ってイスラエルに行きました。



 しかし、彼がまず行ったのは王の宮殿でした。そこにエリシャはいませんでした。ナアマンはエリシャの所に行きました。しかし、エリシャは、

10…彼に使者を遣わして言った。「ヨルダン川へ行って七回あなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだは元どおりになって、きよくなります。」



 こう言っただけで、家から出ても来ませんでした。ナアマン将軍は激怒して去ります。

11…言った。「何ということだ。私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で身を洗って、私がきよくなれないというのか。」こうして、彼は憤って帰途についた。

 エリシャの対応は、将軍ナアマンにとってはプライドが許さないことでした。顔を見せもせず、汚いヨルダン川で体を7回洗え、それだけ? もっと神々しく、自分も敬われて、奇蹟を見せてくれていると思っていたのに! でも私たちもそんなことを思いがちです。神のなさることは派手な事ではありません。何より大事なのは、私たちがプライドを捨てて、謙って、神を神として受け入れることです。その時、彼の僕たちが、

13…近づいて彼に言った。「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」



 そうだ、難しいことを言われたら、それをしただろうに、簡単だからと怒るなんておかしな話です。プライドで腹を立てて拒むなんて、損で愚かな話です。こう部下たちが言ってくれたことでナアマンは思い止まり、近くのヨルダン川に降りていきます。彼は、

14…神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。



 主の力によって、ナアマンのツァラアトは完全に良くなりました。彼は引き返します。

15…「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」



 しかしエリシャはこれを受け取りません。エリシャはナアマンに、自分が癒やされた事が神様からの一方的な贈り物だと知って欲しかったのです。エリシャが贈り物を受け取ってしまったら、そこで終わってしまいます。敵同士の関係だったはずのアラムの将軍ナアマンを、イスラエルの神、主が癒やしてくださったことへの驚きが見えなくなってしまいます。だから、受け取りませんでした。しかし横にいた僕ゲハジは違いました。随分遠くに行ったナアマンを追いかけていって、贈り物をもらってしまったのです。そのゲハジに対して、エリシャは言います。

26…今は金を受け、衣服を受け、オリーブ油やぶどう畑、羊や牛、男女の奴隷を受ける時だろうか。

 主の民イスラエルが、神を侮って混乱していました。アラムに連れ去られた少女の方が優しさを見せ、そこからやってきたナアマンのほうがイスラエルの王よりもずっと信仰的でした。そのナアマンの行動を助けたのは、ナアマンの部下たち。この異邦人たちの行動は、本家本元のイスラエルを恥じさせ、主への信仰に立ち戻らせるはずでした。銀や金や晴れ着をくすねようとする、そんな小さながめつさより、イスラエルの人々の心を主が清めてくださって、病んだ心を癒やしてくださるよう求めるべき時でした。

 預言者エリシャはエリヤよりも目立ちません。しかし、そのエリシャこそ最も多く奇蹟を行った預言者です。また、エリシャ(わが神は救い)の名はイエス(主は救い)にも通じます。エリヤに続いたエリシャは、エリヤの再来でもあったバプテスマのヨハネに続いたイエス様と重なります。そして、イエスもヨルダン川に降り、川に入りました。ナアマンと同じように、イエスもヨルダン川で、洗礼を授かり、弟子たちにも洗礼を授けたのです。

 もっと綺麗な川もあるのに、イエスはヨルダン川に下りました。将軍よりも尊い神の右に座する方が、謙ってくださいました。その名誉を守る、もっとましな選択も出来たのに、汚れる道に踏み入りました。それは、私たちをきよめてくださるためでした。ヨルダン川は綺麗ではなくても、イエスはそこで弟子たちに洗礼を授け、ご自分も洗礼を受けられました。その恵みを映し出すゆえに、美しい川となりました。私たちの心を新しくし、思い上がったプライドから、自分ではどうしようもない恥から、救い出してくださり、喜びと感謝の道を行かせてくださる。私たちは洗礼を通して、キリストの謙りに与り、プライドや金銀よりも尊いもののために生きる歩みを生き始めているのです。



「主よ。エリシャとナアマンの話を有り難うございます。あのナアマンが身を浸したヨルダン川で、あなたも洗礼を授けられ、弟子たちに洗礼を授け、新しい生涯を始めさせました。来週の夕拝で洗礼式を行いますが、ここにナアマンと主の謙りを覚えて、私たちもともにあなたに与えられた新しい人生の道を確かめ、ともに祝う時としてください」
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