聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2022/1/2 Ⅱサムエル記1~7章「王となったダビデ」こども聖書㊶

2022-01-01 12:50:27 | こども聖書
2022/1/2 Ⅱサムエル記1~7章「王となったダビデ」こども聖書㊶
 少年ダビデは、巨人ゴリヤテを倒し、やがて王になりました。王になるまで、そして、王になってから死ぬまでのことも、聖書にはたっぷり書かれています。この『こども聖書』では、とても簡単に、ダビデの生涯をまとめています。詳しく話せば切りが無いほどの事が、聖書には書かれています。そして、多くの人に愛されている聖書の人物です。

 1つ、ダビデはとても感情の豊かな人です。
 先ほど、ダビデが神の箱を持ち帰ったとき、通りで喜んで踊ったと書かれていました。神が私たちとともにいることを、現す箱でした。神がモーセに命じて造らせた箱です。今のように聖書もない、イエスが来て下さるよりもずっと前、この箱が、神がともにおられることをよく現していたのでしょう。その箱が、長い間、大切にされなかったのを、ダビデは思いきって運び上げて、エルサレムの都に移動させたのです。その時、ダビデは躍り上がって喜び、居合わせた人たちにも大盤振る舞いをして、一緒にお祝いしました。踊るだけで無く「力の限り跳ね回った」とあります。それは、妻のミカルが見ていて、恥ずかしくなり、蔑むほどでした。それほど、ダビデは嬉しい時には、子どものように喜び、はしゃいで、楽しむ人でした。



 そのダビデは、沢山の詩を書きました。聖書の詩篇は、旧約聖書の真ん中で、長いページ数を占める大きな書です。その中の150篇のうち、73篇がダビデによるとされています。
 その中には、神への賛美、信仰告白、偽りのない信頼を寄せる詩も沢山あります。羊飼いと羊に譬えて、私たちを養ってくださる主をほめたたえます。
 また、自分が苦しい時に、主に助けを求めて祈る、嘆きの詩篇もいっぱいあります。

「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか。」

と叫んだりします。
 そして、不当な目にあわされたつらさを吐き出す、呪いの詩篇もあります。敵を滅ぼして下さい、と、心にある憎しみや毒をぶちまけていて、私たちは戸惑うほどです。聖書に、こんな激しい悪口があっていいんだろうかと思いそうになります。でも、それほどに、ダビデは感情の豊かな人でした。
 詩篇は「感情の解剖図」だと言われます。詩篇には、言い表されていない感情はないからです。つまり、私やあなたの心にある、喜び、憎しみ、妬み、悲しみ、寂しさ、孤独、恐れ、憧れ、辛さ、麻痺、幸せ…そうしたすべてを、ダビデは包み隠さずに歌ってくれています。だから、私たちはダビデに親近感を覚え、ダビデを通して、慰められるのです。私たちも、こんなふうに赤裸々に祈っていいんだ。神を賛美するとき、踊ったり跳ね回ったりしてもいいんだ、それぐらい嬉しい事なのだ、と知るのです。



 その詩篇の中で、大切なものの1つが、51篇です。その表題には

「指揮者のために。ダビデの賛歌。ダビデがバテ・シェバと通じた後、預言者ナタンが彼のもとに来たときに」

とあります。バテ・シェバはダビデの部下ウリヤの妻でした。ダビデの妻はもう既に何人もいたのです。それでも問題なのに、ダビデは更に飽き足らず、部下の妻を自分の所に呼び寄せて、犯してしまいます。その上、それを隠そうとして、家来のウリヤを殺すことにして、更に他の兵士たちも巻き添えにして、殺してしまうのです。それは酷い行為です。こんな酷い罪をダビデは犯した人でもあります

詩篇五一篇
1神よ、私を憐れんでください。あなたの恵みにしたがって。
私の背きを拭い去ってください。あなたの豊かな憐れみによって。
2私の咎を私からすっかり洗い去り、
私の罪から私をきよめてください。…
4私はあなたにただあなたの前に罪ある者です。
私はあなたの目に悪であることを行いました。
5ご覧ください。
私は咎ある者として生まれ
罪ある者として母は私を身籠もりました。

 ダビデのしたことは、決して正当化できることではありません。しかし、その言い訳できない罪を犯して、大きな後悔と、消せない過去を持つダビデが、聖書に大きく登場していることが、慰めでもあるのです。今も、大きな過ちを犯した人、後悔してもしきれない間違いで立ち上がれない人、心に悲しみと傷を抱えた人が自分を重ねるのです。

16まことに私が供えても
あなたはいけにえを喜ばれず
全焼のささげ物を望まれません。
17神へのいけにえは砕かれた霊。
打たれ砕かれた心。
神よあなたはそれをさげすまれません。

 こう祈るダビデの言葉が、今も私を慰めてくれます。多くの人を慰めています。

 最後に、ダビデ王は、主のために家を建てよう、神殿を建てようとしましたが、それを神は許可しません。代わりに、主は、わたしがダビデの家を末代まで祝福して、ダビデの子孫から、永遠の王を立てる、という契約(ダビデ契約)を立ててくださいました。

Ⅱサムエル七12あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。13彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。…16あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。」

 こうして、ダビデ王は、やがて世界を正しく治めて下さる王の家系に加えられたのです。新約聖書の一頁には、長い系図がありますが、その始まりは

「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」

とあり、ダビデがとても大事な役割を果たした事が強調されています。そして、イエス・キリストは「ダビデの子」と何度も呼ばれています。ダビデは、やがておいでになるイエス様とも重なるのです。

 ダビデはとても人間らしい、私やあなたと同じ、感情の豊かな人でした。王となってから沢山の間違いもし、最悪な姦淫と殺人という罪さえ犯した人です。でも、そのダビデを神は愛し、王にし、祝福なさいました。罪には厳しく迫りながら、回復も惜しまれませんでした。だから、ダビデも自分の気持ちを開いて、神を心から信頼し、苦しい時には絶望や刺々しい言葉さえ、飾らずに祈れたのです。私たちもそうです。神は私たちの心をすべてご存じです。どんな大きな間違いをしてもそれでも愛し、私たちの躍りを喜んで受け入れてくださいます。その事を現したのは、ダビデの子イエスです。ダビデを通してイエスを知り、ダビデのように、いいえ私らしく主を信頼して歩みましょう。



「主よ、新しい年の最初に、ダビデ王の生涯を思い巡らさせてくださり、感謝します。私たちの心の喜びも、棘も、闇も憧れも、すべて知っておられる主よ。私たちにも、あなたが祈りを与えてください。心からの歌を歌わせてください。涙を流させてください。躍り上がるほどの喜びも与えてください。そうして、主イエスが、私たちのとこしえの王でいてくださる事を味わい知り、あなたの善き御支配を見る年としてください」

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