聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

使徒の働き14章8-22節「苦しみを経る意味」

2018-01-14 16:17:07 | 使徒の働き

2018/1/14 使徒の働き14章8-22節「苦しみを経る意味」

1.パウロの第一回伝道旅行(後半)

 使徒の働き13章と14章には、使徒パウロの第一回伝道旅行が記されています。シリアのアンティオキアからキプロス島、そして現在のトルコ共和国中央まで幾つもの町を回りました。そして、来た道をまた逆に戻りながら14章最後で出発地のシリアに帰り報告をしたのです。途中、ユダヤ人の会堂でキリストを伝え、信じる人がユダヤ人にも異邦人にも大勢起こりました。反対するユダヤ人も大勢いて、パウロたちは次の町に移る、というパターンでした。

 パウロの伝道旅行はいつも順風満帆で向かう所敵なしの前進だったわけではありません。反対や危険があり、命辛々逃げたこともありました。それはパウロの伝道の仕方がマズかった、失敗だったのではありません。それも主の働きでした。そのことを印象深く物語る出来事として、一つのエピソードが伝えられます。それが8節から20節のリステラでの大騒ぎでした。

 リステラでパウロが説教をしていますと、生まれつき足が動かない人が熱心に耳を傾けていました。それが

…癒やされるに(救われるに)ふさわしい信仰」

と見たパウロは彼に

「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」

と言います。すると彼は躍り上がって歩き出す。それを見た群衆は

「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」

と大興奮して、パウロとバルナバに雄牛を数頭と花輪を献げて崇めようとしたのです。このやり取りがパウロとバルナバには理解できないリカオニア語だったのため、何をしているか二人は気づけませんでした。最後に慌てて止めさせて、辛うじて、自分たちが祭り上げられることは止めさせました。ところが、19節以下。先に訪れたアンティオキアとイコニオンのユダヤ人たちがパウロを追いかけてやって来て、群衆を抱き込んで、パウロを石打ちにしてしまう[1]。石打ちとは小さな石ではなく、大きな岩を胸めがけて投げ落とす処刑方法です。それでパウロの息の根を止めようとしたのです。もう死んだろうと思うほどの石で打って、ゴミのように町の外に引きずり出して捨てていきます。ところがパウロはまだ死んでおらず、弟子たちが見ている中で起き上がり、また町に入って行き、翌日には次のデルベへと伝道旅行を続けたというのです。

 福音を力強く裏付けるはずの癒やしが、自分たちが神々だと祭り上げられるというとんでもない展開になりかけました。言葉が通じないこと、神理解の違いから生じるミスコミュニケーションの体験でした。また、そうして祭り上げた群衆が一転して、殺意に燃える暴徒と化して、石を投げてくる。大挙して盛り上がっても喜べない、当てに出来ない体験でもありました。[2]

2.生ける神に立ち返る

 そういう難しい体験をしながらもパウロの内にあった願いは15から17節に吐露されています。ここにはイエスのことや十字架と復活、罪の赦しは触れられていません。パウロは語ったとしても、ルカはそれ以上に肝心な点に絞っています。それは十字架の福音の土台・大枠ともいえる

「生ける神への立ち返り」

です。これこそ福音です。人間が

「自分の道」

から

「生ける神」

に立ち返って欲しい。そうパウロは願って伝道し、石に打たれても立ち上がったのです。

 ここでリカオニアの群衆が大興奮して二人をゼウスとヘルメスと呼んだ背景には、この地方にあった言い伝えが紹介されます。〈昔、ゼウスとヘルメスの神々がこの地を人間の姿を訪れたが誰も受け入れなかった。最後に貧しい老夫婦だけが家に招き入れてもてなした。そこでゼウスは正体を現して、二人の願いを叶えて、それ以外の人々は洪水で滅ぼした〉[3]。そうだとすれば、この時の群衆は悪ければ「自分たちが滅ぼされないよう」、よければ「自分たちの願いを叶えてもらおう」。そう考えてパウロたちに生贄を献げようとしたのかも知れません。

 パウロたちはそうした行為を

「空しいこと」

と呼びます。神はご機嫌取りや腹立ち紛れに人間を滅ぼすような方ではありません。まず神は

「天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神」

です。また、これまでの時代

「あらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩む」

のも無礼だ冒涜だと激怒することなく、その

「ままにしておられました。」

でもそれは冷たく無関心な放置ではありません。

17それでも、ご自分を証ししないでおられたのではありません。あなたがたに天からの雨と実りの季節を与え、食物と喜びであなたがたの心を満たすなど、恵みを施しておられたのです。」

 あなたがたに降った天からの雨、収穫の季節、美味しい食物、様々の喜び…そうして心を満たされてきたことすべては、生ける神の証しでした。彼らは奇跡を見て神だと考えても、祟りや御利益の神々しか考えつけず、慌ててご機嫌取りのようなことをしている。生ける神はそんな小さな神ではないし、だからといって怒るでなく、あなたがたを支え、生かしてくださった惜しみない恵みの神です。

 そして何よりもイエス御自身が今この時代に人となって、世界に本当に来られました。人々は奇跡を見ては歓迎し、しかし最終的には石打ちならぬ十字架に殺してしまいました。それは私たちを神に立ち帰らせ、生ける愛の神御自身が犠牲を払い、恵みを与え、本当に空しくない生き方を下さるためでした。その神に立ち返って、恵みに感謝した歩みを始めてほしいと、パウロは声を張り上げて語り、石打ちにされても立ち上がって、一人でも信じるためならばと願って、伝え続けたのです[4]

3.多くの苦しみを経て、神の国へ

 パウロはデルベから直接アンティオキアに帰った方が近いのに、もう一度リステラやイコニオンを訪問しながら、

22弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」と語った。」

のです。パウロや宣教師だけでなく、全てのキリスト者は多くの苦しみを経験します。だからパウロはそれで信仰から外れないようこう勧めたのでしょう。これは苦しみを選べとか、苦しめるのが神の御心だという意味ではありませんし、マゾヒスティックで自己陶酔的な考えであってもなりません。これは

「多くの苦しみを通って、私たちは神の国に入らなければならない」

という文章です[5]

「多くの苦しみがあろうとも神の国に入らなければならない」

とも言えます。あるいは

「多くの苦しみを通りながら、私たちは神の国に入るように定められている」

という含みもあります。そもそも

「神の国に入る」

とは将来のことではありません[6]。今ここで

「自分の道」

から踏み出して

「神の国」

に入り、神の民として生きるのです。それは苦しみや災いがなくなることではありません。病気や意地悪や、悲しい別れ、災害、自己嫌悪したくなる問題にもぶつかるでしょう。パウロは自分自身が石打ちやあらゆる苦しみを味わっている者として、心を強め、励ましてくれます。更には、多くの苦しみが神の国へと私たちを入れてくれる道になると言えます。苦しみは神がいない証拠でも、私たちの不信仰や罪の罰でもありません。苦しみの中でも私たちはもっと大きな神の恵みの中にあることを信じてよいのです。苦しみをさえ用いて、慰めや喜びや気づきを与えてくださる神をますます信頼してよいのです。

 その上でパウロは教会ごとに長老たちを立てました。どこの教会にも二人以上の長老たちを選びました。弟子たちの心を強めるため、信仰に留まるよう励ますため、多くの苦しみで迷う心を受け止め、支えるためです。ヘンリ・ナウエンは

「恐らく牧師の主たる課題は、誤った理由で苦しむことがないように人々を護ることであろう」

と言います[7]。苦しみがあることでまた苦しむ必要はありません。キリストが人に罰として苦しみを与える神々ではなく、人に必要も喜びも、意味があって苦しみをも与える方。そして御自身が十字架に架かり、私たちとともに苦しみを受け止めてくださるお方です。キリストは苦しみも喜びも、日常や自分の心の動きをも見る目を変えてくださいました。そしてそれは独りではなく、私たちもともに支え合ってなされることなのです。主の恵みに感謝しつつ、心を主に向けてともに歩みたいと願います[8]

「天地を造り、私たちに命と心を満たしたもう主よ。惜しみないあなたの恵みと御業を感謝します。あなたの忍耐と御子イエスを与えた愛、十字架の御業、そして多くの兄弟姉妹の祈りと涙と証しに支えられて、今私たちがあります。どうぞあなたと出会いあなたのものとされる福音が伝えられていきますように。私たちのそれぞれのドタバタとした歩みをも用いてください」



[1] アンティオキアからリステラ、190~200km。リステラからデルベ、97kmの道のりです。

[2] ブルームハルトの言葉を思い出します。「罪のためには、僅かな人々しか、救い主のもとに駆けつけない。しかし、罪が困窮や死というその果をもたらすと、彼らは、救い主のもとに駆けつける。それを思うと、恥ずかしい思いになる。そのような私たちの貧しさを思うと、涙があふれる。」『神の国の証人ブルームハルト父子』244ページ。

[3] 大田原キリスト教会のHPより引用します。「実は、その昔、このルステラ地方には、ゼウスとヘルメスという二人の神が、人の姿に変装してフルギヤ山地を訪ねたという伝説がありました。彼らは正体を明かさずに旅をしたので、家に泊めてもらおうとしても、誰も泊めてくれる人がいませんでしたが、葦ぶきのみすぼらしい小屋に住んでいた老夫婦が彼らを泊めてくれました。彼らは貧しくとも、初めて会う客をもてなしたということで、ゼウスとヘルメスは自分たちの正体を明かし、この夫婦だけを残し自分たちを侮辱したこの町を洪水で流してしまった、という言い伝えがあったので(ローマの詩人オウィディウス「メタモルフェーシス」8:611-724)、これは大変だとパウロとバルナバにいけにえをささげたのです。」

[4] パウロはこの後、石打ちで死んだかと思われるほどの体験をしました。その他にもここに述べられていない多くの苦労や危険を経て、福音を証しし続けました。その詳細は、Ⅱコリント11章23-28節のリストに挙げられています。

[5] 榊原康夫『使徒言行録講解 2』192ページ

[6] いずれにせよ、私たちは自分の苦しみや犠牲で神の国に入るのではありません。生ける神がキリストによって私たちを神の国に生かしてくださるのです。

[7] 「恐らく牧師の主たる課題は、誤った理由で苦しむことがないように人々を護ることであろう。多くの人は誤った前提の上に人生の基礎を置いて苦しんでいる。その前提によれば、恐れや孤独、混乱や懐疑はあってはならないのである。しかしこれらの苦しみは、私たち人間の状態に不可欠な傷と理解することによってのみ、創造的に取り扱うことができるのである。それだから牧師のミニストリーは非常に対決的な奉仕である。それは人々が、不死と健全さの幻想を抱いて生きることを許さない。それは、人間は死すべきものであり、破れるものであることを絶えず想起させるとともに、その状態を承認すると、解放が始まることを告げるのである。」ヘンリ・ナウエン(邦題H.J.M.ヌーウェン)『傷ついた癒やし人』(西垣二一、岸本和世訳、日本基督教団出版局、1981年)131ページ。長老と牧師は、聖徒を整えて、心を強め、どんなことがあっても神の国にともに歩んで行く友となるのです。苦しみに対して、安っぽい口約束をしたり、根拠のない説明をしようとしたりしない。この苦しみも戦いも誘惑もある人生を、「成功か失敗か」と決めつけられない人生を、支えていくのです。信徒も、牧師や長老、教会の交わりに支えてもらうことを求めて欲しい。苦しみがないことを願ったり、自分の思うような信仰生活を求めたりして、それがないと一人で傷ついて去るのではなく、苦しみがあっても神の国に私は入らなければならないのだ、と弁え、支えを求めて欲しいのです。

[8] 異邦人に信仰の門を開いてくださった。それは困難を経る始まりでもあった。彼ら自身、逃れたり、石打ちにされたり、長老を選んだりする教会形成であった。決して、いけいけどんどんや祝福の約束や使命感に燃え上がる宣教ではなかった。もっと人を見ていた。苦しみを経なければならず、困難が待ち構えている教会。しかし、虚しい事から離れて、生ける神に立ち返る福音を宣べ伝えたのです。

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