2014/10/05 ウェストミンスター小教理問答21 「神と人との間の、ただひとりの仲介者」 Ⅰテモテ2章5~6節
前回から、神様が私たちを救うために「恵みの契約」に入ってくださったことを見ています。今日もまた、その素晴らしい神様の救いをもう一つ教えられましょう。神様のご計画は、「ひとりの贖い主によって」と言われていましたが、その、贖い主とは誰ですか、と言うのが、今日の問21です。
問 神の選びの民の贖い主とは、だれですか。
答 神の選びの民の唯一の贖い主は、主イエス・キリストです。彼は、永遠の、神の御子でありながら、人間となられ、かくして、二つの別個の本性である、神と人間でありつつ、一人格であられましたし、永遠にそうあり続けられます。
「贖う」という言葉は、どういう意味でしょうか。貝偏(かいへん)が着いているように、この漢字は、お金を出すことに関係しています。(旁(つくり)は音の響きを表すもので意味とは関係ないそうです)。お金を出して、刑罰を免除してもらう。そこから、償う、という意味で使われます。教会で、「贖う」というのは、イエス様が私たちのために、御自分のいのちをもって、罪の莫大な借金を返済してくださった、ということです。返すなんて到底無理な借金を、イエス様が代わりに支払ってくださいました。そして、それで私たちが「自由の身」になった、のではないのですよ。神様から離れて自由に生きようなんてしたら、それ自体が神様に対する罪の上塗りになりますからね。イエス様が私たちの代金を支払ってくださったことによって、私たちが今、神様のものになった、というのが肝心なことです。ですから、「贖う」というのは、ただ救うとか、助ける、とかよりももっと積極的で、踏み込んだことです。イエス様は救い主とも呼ばれますが、それだけではなく、「贖い主」であられます。その贖いによって、イエス様は、私たちが罪の負債からキレイになるために完全な支払いをしてくださったことと、私たちは買い取られて神様のものになったのだ、ということを覚えるのです。
さて、そういう贖い主である「主イエス・キリスト」は、
…永遠の、神の御子でありながら、人間となられ、かくして、二つの別個の本性である、神と人間でありつつ、一人格であられましたし、永遠にそうあり続けられます。
と言われています。イエス様は、完全な神、永遠の神の御子であられつつ、完全な人間ともなってくださいました。半分神で、半分人間、ではないんです。また、神と人間が混ざった、何か中途半端な生物とか、別物になったのでもない。もちろん、神を止めて人間になられたのでもないし、だからといって、人間としても片足突っ込んだだけ、というのでもなくて、100%神でありつつ、100%人間ともなられた。それが、贖い主イエス・キリストというお方なのだ、そう確認しているのです。
どうしてそんなことが大事なのでしょうか。それは、私たち人間が、神様との関係を、罪によって壊してしまったからですね。正しく、聖なる神様と、罪を犯して汚れてしまった人間とは一緒になることが出来ません。もしそんなことをしようとしたら、人間はたちまち神様の聖なる愛に耐えられずに、焼き尽くされて何にも残らないでしょう。人間と神様との間には、罪という大きな隔たり(谷)が出来てしまいました。その断絶が解決されるには、間に橋を渡さなければなりません。でも、その橋は、神様の側と人間との間をつなぐ橋ですから、神様にも届いていなければなりません。こちら側の人間にも届かなければなりません。実は、神様と人間とは、距離が離れただけではなく、もともと永遠の見えないお方と、作られた形ある人間であるという、全く違う存在でもあります。だから、たとえ人間がいくら長い長い長い橋のようなものと作ったとしても、決して神様に届くことは出来ないのですね。宇宙のどこまで旅をしたとしても、そんなことで神様に近づくことは出来ないのです。神様と人間とは全然違うのです。
だから、神様と人間との間の橋渡しをするには、神様でもあり、同時に人間でもある、ということが絶対必要なのです。でも、永遠の神様に、人間がなることは出来ませんし、神様が作ることもあり得ません。神様が人間になるしかないのです。ですから、三位一体の、御子なる神様が人間になって、贖いの架け橋になることにしてくださったのです。神様の方から、完全な人間ともなったイエス様がおいでになって、私たち人間に届いてくださいました。それが起きたのが、今から二千年前のイエス様のお誕生、クリスマスです。羊飼いや博士達は、マリヤから生まれた、どこからどうみても人間の赤ちゃんを見ました。私たちと同じ、本当の人間でした。なぜならイエス様は、完全な神でありつつ、完全な人間になってくださった、唯一の贖い主だからです。
Ⅰテモテ二5神は唯一です。また、神と人との仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。
と言われる通りです。イエス様は、本当に私たちの中に、ひとりの人間となっておいでくださいました。こうも言われています。
ヘブル二14…子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
15一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。…
17そういうわけで、神のことについて、あわれみ深い、忠実な大祭司となるため、主はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがなされるためなのです。
18主は、御自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。
イエス様は、罪を別にして、全ての点で、私たちと同じようになってくださいました。私たちが弱いとき、疲れるとき、悩むとき、イエス様は、本当に私たちの苦しみや辛さを分かってくださいます。本当に私たちを助け、支えて、立ち上がらせてくださいます。イエス様は、まことの神であり、まことの人です。これは素晴らしいメッセージです。
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