2016/01/03 ウェストミンスター小教理問答101「とにかく御名があがめられ」詩67篇
主の祈りにはいくつの願いがあるか、分かりますか。6つです。では、あなたが6つの願いを願うとしたら、どんなことを願うでしょうか。3つでもよいですが、どんな願いを考えるでしょうか。イエスは私たちに、6つの願いを祈るように教えてくださいましたが、それは、私たちが考える願い事とは、どれほど違うかを考えてみてください。でも、イエスはそれこそが、私たちの願いとして挙げられることなのだよ、と教えてくださったのですね。今日は、最初の願いについてお話しします。
問101 第一の祈願で私たちは何を祈り求めるのですか。
答 第一の祈願、すなわち「御名があがめられますように」で私たちは、神が、ご自身を知らせるのにお用いになるすべてのことにおいて、私たちと他の人々が、神に栄光を帰すことができるようにしてくださるように、また、神が万事をご自身の栄光のために整えてくださるように、と祈ります。
「御名があがめられますように」。
御名とは「天にいます私たちの父・あなたのお名前」です。あなたのお名前が「あがめられますように」。これは
「聖とするHallowed」
という意味です。聖holinessとは、神の本質的な属性です。完全であること、一切の汚れや私利私欲がない、正しさと恵みに純粋に満ちておられるご性質です。それは、何によっても傷つけられず、強く、タフな真実さです。それは、神の本質を言い表しているもので、神は「聖なる神」と呼ばれ、神の御使いたちは「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と神を永遠に誉め称えていると描かれている通りです。
そして、神の「御名」とは、神ご自身を現すものです。ただのニックネームとか呼び名ではなくて、神そのものを現しますし、「神」と言うのが恐れ多いために、代わりに「神の御名」と言うこともあるような尊いものなのです。確かに、「神よ、あなたが崇められますように」というよりも「御名があがめられますように」の方が、気持ち的に言いやすいかもしれません。いずれにしても、神の御名もまた、聖なる御名です。
ではなぜ「御名があがめられますように(聖とされますように)」などと言うのでしょうか。最初から御名はもう聖なのではないのでしょうか。そうです。問題は、それなのに、その御名が聖とされていないことにあります。大いなる素晴らしい神、恵みと誠に満ちておられる、無限に聖なる神がおられ、この世界はその神によって、神の栄光を現すために造られたのに、どうでしょうか? 人間は、神なんか知らないと思っています。神を小さく、弱くしたり、勝手で人間と同じようにいい加減だったりケチであるかのように考えています。何よりも、人間が、六つの願いを挙げてご覧と言われても、健康だ美味しいものだお金だ今度一番になれますように、色々な願いはあるかも知れませんが、「神の御名があがめられますように」だなんて願いは思い浮かばないでしょうし、そう言われても、ピンと来ないぐらい、神の御名に、ふさわしい賛美や尊敬を持っていないではありませんか。
だから私たちは、第一に
「御名があがめられますように」
と祈るのです。宇宙を造られた神が貶められているのに、私たちが自分のちっぽけな願望に取り憑かれているとしたら、乗っている船が沈みかねない事故に遭いそうなのに、クイズの答で悩んでいるようなものです。まずは、事故の回避に努めるべきでしょう。まずは、神の御名があがめられることを祈り、願う時、そこから、世界の歯車が噛み合いだして、やがては、自分の立ち位置もちゃんと収まってくる、というものです。
私たちは神のことよりも、自分の事が気になるものです。自分の名誉とか、有名になるとか、名誉毀損だとか、汚名返上したいとか。私も数年前、そんな事で頭がいっぱいになっていました。誤解されたくない、言い訳したい、抗議したい、自分のことが一番でした。でも、この「主の祈り」を繰り返すうちに、自分の思いが、スーッと落ち着きました。
「主よ、私の名前ではなく、あなたのお名前が崇められますように。あなたのお名前さえあがめられれば、私の名前が今どんなに誤解されたり卑しめられたりしても、何でもありません。あなたは大いなるお方です。私にとって、あなたは、本当に恵み深く真実で、正しく、真実でいてくださいます。私も、あなたの御名をあがめます。そして、みんなもあなたの御名をあがめるようにしてください。あなたの偉大さに気づき、あなたの聖なる御名を賛美しますように。」
そのように祈るようになります。でも、いつのまにかまた、自分のことや、目に見えること、周りのことに、心が奪われてしまうのですけれども、その度に、「主の祈り」を通して、軌道修正をしてもらっています。
他の祈りを祈るにしてもそうです。誰かが病気や事故に遭って、入院したら、その回復を祈ります。不登校や引きこもりになった、事業が難しくなった、そう聴けば、その問題が回復するようにと祈ります。けれども、もう少し長い時間をかけると、病気になったことがその人の進路を決めることもありますね。心が苦しかった時を通して、本当に大切なものに気づくことは沢山あります。事業が潰れて、新しい、もっと大切な仕事を始めるようになることもあります。そういうことを考えると、ただ病気になりませんように、奇蹟が起きて、問題が解決しますように、という願いが叶えばいいとも思えません。長いスパンで、本当に何が最善なのかは、私たちには分からないのです。病気の癒やしを真剣に祈りつつも、でも、最後の死は誰も避けることは出来ません。どう祈れば良いのか、分からなくなってしまいます。でもそういうときも、この祈りは祈れます。
「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように」。
今の苦しい状況が、どうなることが最善なのかは私たちには分かりませんが、しかし、いずれにしても、とにかく、この状況を通して、あなたの御名が崇められますように。ここに、あなたが聖なる方であることを現してくださいますように。みんなが、「本当にイエスは真実なお方だ」と、何らかの意味で、心から称えるようになりますように。この事を通して、このことの中に、とにかく御名があがめられるように、お願いします。こういう祈りに最終的には落ち着くのです。そんな祈りをよくします。そして、神は本当に聖なる、あがめられるべきお方です。私たちの生きる現実のただ中に働いて、御名の聖さを必ず現してくださる。イエスの御霊が私たちの心に働いて、私たちに御名を崇める心をも下さると信じて、祈りでも生活でも、これを第一の願いとして行きましょう。
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