物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

2300回達成

2013-10-02 12:03:38 | 日記・エッセイ・コラム

昨日でブログの2300回を達成した。

たぶんこのブログもマンネリになっているとは思うが、それでも2300回をカウントできたことを幸せに思っている。

ブログで取り上げる話題として、いつも新しい視点をと思っているが、それでもある一人の個人が書いていることなので書く内容がマンネリになることは避けがたい。

そういう点で見ると、朝日新聞の天声人語のようなコラムを書く人の教養の素晴らしさは尋常ではない。

視野が広いとかものの見方が偏らないとか外国語にも堪能で、日本人としてのものの見方だけではなく、世界的な観点からもものごとを見られるというすばらしい人(記者)たちである。

これは天下の朝日新聞であるから、新聞社の中でも特に優れた方たちがそのコラムを担当していると思うが、最近では2人の方が交代で担当をしていると聞く。

このブログで天声人語からの引用が少ないかもしれないが、これは朝日新聞は多分にインテリの方が読んでいる新聞であるから、そのコラムからは重複してここでは取り上げないようにと意識をしている。

いずれにしても長年コラムを書き続けるということは大変な苦労でもあり、努力の要することである。

私は小学生のときは数行の文章を無理やり書くともう書くことはまったく思い浮かばなかった。それがつまらないことでも長々と書く習慣ができてしまった。

よく若い時に勉強したり、読書をしたりしてその蓄積で年を取ってからはその若い時の、知の貯蓄で文章を書く方もおられるであろう。

それはそれで、別に非難されるべきものでもないが、やはり常に新しい視点や事実を掘り起こしていけたらと願っている。


マッコリ

2013-10-01 14:10:45 | 日記・エッセイ・コラム

今年のはじめにはマッコリはまだ朝鮮・韓国料理のお店で飲まないと飲めなかったが、最近家の近くのスーパーでマッコリを売っているのを見かけたので一瓶を購入した。

まだ開けて飲んではいないが、そのうちに飲むだろう。韓国人の人がやっているお店で子どもたちとマッコリを飲んだのはまだ少し寒い3月のことだったろうか。

その前に近くの酒屋さんでマッコリはあるかと尋ねたが、そのときにはマッコリをおいてはいなかった。

それが半年もしないうちにスーパーでマッコリを650円で売っているのを見かけるようになったとは驚きである。この地方都市でも時代の風は吹いてきている。

そういえば、指揮者の小沢征爾さんが朝日新聞で中国の友人との間にすきま風など吹いてはいないと述べていたのが、印象的だった。

お前の政府と俺の政府の間には意志の疎通があるかもしれいないが、それは政府間同士のことで俺とお前の間にはそんなものはみじんもない。そう思っているし、そうだと決然と述べていた。たぶんそれは正しいだろう。

妻の高校の同級生で美術をやっている人があるが、彼は韓国人も中国人も分け隔てなく一緒にいつも展覧会をやっている。

それこそ、それはお前と俺の政府のわだかまりではあるかもしれないが、私たちの間のわだかまりではないというように。彼は長年フランスに住んでいたからそういうところがあるのだろうが、やはり国と国の争いには超越している。

そして、彼の教え子の女性は韓国の絵を描く男性と結婚したとか聞いている。そして、彼はときどき韓国の大学や美術界から呼ばれて韓国にも出かけている。

芸術の分野は音楽も含めてやはり普遍的なところがあるのだろう。これは科学だってそうだろうと思う。

昔、Pugwash会議が始まったのも政府が意見が合わなくても科学者は科学的な事実についてはお互いに認め合うことからはじまるので合意が得られだろうということから、その会議がはじまった。

姪の子が深圳のカナダ系の高校に通っている。日本のスーパーの襲撃等があったときにやはり中国の友人の保護者から傷害事件等が起こったらいけないので、そのときに通っていた剣道道場へ通うことを控えた方がいいのではとの助言をもらったという。中国人だって個人的にはそういう風なのである。

現在は世界はどこの国も単独で生きてい行くことなどできない時代である。相互依存が強くなっている。あなたが生きられないようだと私たちも生きられないのである。


鳴門金時

2013-10-01 11:58:53 | 日記・エッセイ・コラム

鳴門金時というおいしいサツマイモを妻が知人からもらった。

何でもその知人は徳島の出身だという。お蔭でここ数日おいしいサツマイモを食べている。

私の年代は戦後の食糧難の時代を知っているので、サツマイモと聞くとあまりいいイメージがない。だが、この鳴門金時はおいしい。

もっともジャガイモと違ってサツマイモは甘いだけにたくさんは食べられない。それで夕食後におやつ代わりに一つ二つをつまんで食べている。粉がふいており、蒸かしたのがおいしい。

昭和20年とか21年とかにはあまりうまくないサツマイモでもお腹を満たすことができればそれでよしではあったが、それでも時々はおいしいサツマイモに出会ったときは幸せだった。