物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ハヤブサの展示

2011-10-14 12:02:26 | 科学・技術

松山市のコミセン(コミュニティセンター)でハヤブサのカプセルと持ち帰った砂粒を昨日から4日間展示しているのだと昨晩ドイツ語のクラスの後で、K夫人から聞いた。クラスのKさんとYさんとはコミセンでこの企画をプロモートしている人の一人である、的川泰宣さんの講演を聞いたという。

的川さんのサインの入ったネッカチーフをKさんは誇らしげに見せてくれた。もっとも講演を聞きに来ていた高校生はおとなしくはしていたそうだが、あまり関心がなさそうで日本の将来に一抹の不安を感じたらしい。

なお、ハヤブサの偉業を見ようとやって来た方々は年配の方が多かったという。ある程度の年の方には久しぶりの快挙でも若者には「それがどうした?」ということであろう。特に高校生くらいだと受験勉強に忙殺されているのであろうか。これが日本の現状であるから、しかたがあるまい。

このハヤブサの展示は全国を巡回するというので、これは国民の税金を使ったこのプロジェクトの成果を少しでも多くの方々の前に示し、かつまた次回以降のプロジェクトへの支持を集めることが目的となっているのであろう。こういうPRが科学研究にも必要な時代となっているのだ。

確かに、日本の国の経済事情は厳しく、それを国民に支持してもらうためにはこれくらいのハヤブサの展示をしなくては今後の支持を得ることは難しい。

電波望遠鏡のチリの高山への設置とかこれからの研究に向けて世界的な協力を得て、いろいろプロジェクトが進んでいる。

これはある意味で日々の生活にあくせくしている人にとってはそんなことにお金を支出しないで我々の生活を助けてくれたらいいのにと思う人も居られるであろう。

それはそれである意味では当然の反応だと思うが、やはり知的な好奇心満たすということは人間のもう一つの側面なのであろう。それも現在では国家の支援なくしてはそういう研究もできなくなっている。

「科学とは国家がお金を支出して、科学者の知的好奇心を満たすことだ」と科学の定義をしたのはイギリスの物理学者ブラケットだったが、そういう皮肉な定義が当てはまる時代が来ている。

さて、午後にはこのハヤブサの展示を見に行ってみようか。


新聞コラムのタネ

2011-10-13 12:53:58 | ニュース

新しいニュースではないが、今朝新聞に載っていたことについて述べてみたい。このコラムは朝日新聞の「天声人語」である。

この天声人語子はいう。書くネタがないときにはその日の歴史を調べて書くとか。いつだったかこのブログのタネがなくて困って、その書くネタがないことを話題にして一日の責めを逃れたことがあった。

新聞では今日は「話題なし」として白紙の新聞を出すことなどできないだろが、白紙の新聞を出すことができたら、どんなに気が楽だろうとか書いたような気がする。それでもときどき新聞は白紙で発行することがある。

これはもちろん日本などではあることでないが、発展途上国等で言論の自由が制限されたりしたときに、その抗議の意味で空白のある新聞を発行したりする。その場合には空白の部分は何か文章が書いてあるよりも雄弁に読者に語りかける。

それはともかくとして、毎日コラムを書いている天声人語子にして書くタネに困ることがあることはほとんど日曜日以外は何かを書くことを日課としている私には他人事とは思えない。

有能で感性あふれた、優れたジャーナリストの天声人語子にしてそういうことがあるのなら、凡庸な私などがパソコンの前でしばし何を書こうかとしばし立ち往生するなどは当然のことだと思える。

それに私は日曜日にはブログは休みである。その利点はフルに活かしたい。


Il faut cultiver notre jardan

2011-10-13 11:30:54 | インポート

今朝は朝起きるのが遅かったので、仕事場についてラジオにスイッチを入れたら、沢田直先生のフランス語講座の終わる時間だった。

Lattanzioさんの最後の言葉がこのフランス文であった。Il faut cultiver notre jardan(イル フォー キュルティヴェ ノートル ジャルダン)と聞こえた。「自分の庭を耕さなければならない」と訳せるこの文句はどういう意味合いで言われたのかは聞かなかったが、ある意味で深く心にしむ文句である。

私などはおよそ耕作には適しない人間で庭の草さえとらない。これは父が晩年まで庭とか畑をいじっていたのとはまったく異なる。もっとも私の兄弟姉妹は誰もそういう趣味がないみたいだから、私だけの問題ではない。

特に日本人の感覚では庭は耕したりするものではなかろう。畑は耕すとしても。それでももうずっと昔のことだが、実家の庭にボタンの植わった一角があり、春先に祖母がそこの土を耕していたような気がする。

それが意味のあったことかどうかはわからないが、祖母はボタン畑を耕すことがいいことだと信じていた。祖母は女学校の裁縫の元先生であり、嫁である私の母には結構厳しかったようだが、私たち孫には優しかった。

私が文章を書くことが好きなのは母の資質を受け継いでいる。母には特に学があったわけではないが、そういう資質は5人いた兄弟姉妹のうちで私が一番受け継いでいるのかもしれない。


同窓会の会費納入

2011-10-12 16:58:18 | 日記・エッセイ・コラム

一昨日まで連休だったので、同窓会の会費が納入が最後の数人滞っていたが、今日預金通帳の記帳に行ったら一人を除いて、すべて会費の納入済んでいた。やれやれ。これでリスク・フリーで同窓会が行える。

同窓会をするといったときにきちんと会費が納入されるかどうかは確かに大問題である。会に参加すると言った以上は会費を納めない人はいないのだろうが、当日会費をもってくる人もいるとか聞いていたので、ちょっと身構えてしまった。

当日来ると言っていながら、当日に同窓会があることを「ころっと忘れる」人があるかもしれない。参加を希望してくれた大多数の人は同窓会を楽しみにしているようだが、それでも私たちの年頃になると何があってもおかしくない。

そういうことで十人以上の方々が出席を取り止めた。直前までこういうことは起こることである。そのことを考えに常に入れておく必要があると思っている。

だから、欠席の申し出があると「またの機会を期待して下さい」ということにしている。もっとも当の本人がどう思うかはまったく別なのだ。自分の健康状態等を考慮に入れるとつぎの同窓会には参加が難しいと考えて居られる同期生もおられるのであろう。

昨夜も T 市から電話がかかってきた。自分たちの宿泊等の予約がきちんとできているのだろうかという心配をされていた。その心配には及びませんと返事をしたのだが、なんでも行き違い等は起こることである。それに経費節減のために「予約を確保した」という返事を省いているのでなおさら心配になったのであろう。そのご心配はもっともである。


車のCMが少ない?

2011-10-12 11:54:22 | 社会・経済

円高のせいなのかどうか。最近車のCMが少ないような気がする。もっとも私はあまり民放を見るほうではないので、それが事実なのか単に私がテレビで見ることが少ないだけなのか即断はできない。

見るとしてもマツダのdemioとかスズキのwagon Rとかの軽の車のCMが多いような気がする。

また、食品や調味料とかサプリメントの広告が多いような気がする。今朝の新聞によるとスーパーはここ半年増収であるらしい。これは震災効果だと思う。もっとも一時どのスーパーにもあまりなかったミネラル・ウオーターは在庫の山だという。

そういえば、私たちのところでもミネラル・ウオーターを一人当たりワンボトルと決めたスーパーがあったので、電話で妻から呼び出されてそのスーパーに行ったことがあった。これは東京在住の子どもからミネラル・ウオーターを送って欲しいとの要請があったために買いに行ったときのことである。

それが様変わりで売れると思って増産したミネラル・ウオーターの在庫の山だとか。もっとも一時はほくほく顔だったメーカーである。結構このときに儲けたはずである。

震災で国の予算は天井がないのかと思われるような様子らしい。それにつけ込んで大企業が利益をあてこんでいよう。震災からの復興には資材が必要なのでどうしても資材の供給が必要であるから。

経済の対策としては金利を下げるだけ下げているので、もうやりようがない。日銀のやれることは手が尽きたとまで思われる。

それで増税である。税金を上げないともう日本の国家財政としてはパンクしていることは明らかだが、そうはいっても消費税を上げるしか方策を持たないとは情けない。「相続税を上げろ」と言われているが、はたしてどうなるであろうか。

また、宗教法人に課税をするのはどうだろうか。もちろんその収入の高に応じてである。


無料塾始まる

2011-10-11 13:01:49 | 日記・エッセイ・コラム

事務局長Tさんの尽力で10月8日(土)から北持田町の教育会館(松山東警察署の近所)でタダ塾北持田(無料塾)が始まった。もっとも来た生徒はたった一人で、その一人もどうも「さくら」まがいである。

実際に無料塾が必要なところには無料塾開催の情報は届いていない。担当者の準備会で松山市の広報に出したらと言ったのだが、そういうことをしたら大勢の生徒が集まったりしたら困ると思ったのか、準備会でその提案は取り上げられなかった。

世の中には多くの受験塾があり、授業料をとって生徒に教えている。その営業の邪魔になることを危惧したからであろうか。理由ははっきりしないが、そういうことかもしれないと推測する。

塾にお金を払ってでもいいから、子どものために塾に生かせたいとは思いながら、それだけの経済的な余裕のない保護者はきっと居られるのであろうが、そういう保護者のところへは情報は届いていない。

市内の松山市の中心部にある4校の中学校の校長先生に会ってそういう生徒を紹介して欲しいとお願いはしたのだが、中学校での先生にはこういう情報は取り扱いがかなり難しいらしい。

「君のところは経済的に困っているだろう?」とか、生徒に直に聞くことは憚られるであろう。たとえ事実としてそうであったとしても。たとえば、ある中学校でも学力の低い生徒さん等が居られて先生もその対策に苦慮されておられるようだが、先生自身がとても忙しくてなかなかこの情報を当該の生徒さんたちに回すことができないらしい。

これは中学校の先生方を批判するという意図で書いているわけではない。そうではなくて、なかなか事情が難しいという実状を率直に述べているだけである。でもブログでこういうことを書くと批判をされたという風にとられる恐れは十分ある。

もし、当該の教育関係者でこのブログを読む方があれば、あまり気にしないでほしい。教育は単に学力の問題だけではなく、生徒の感情を「逆なで」しないことも大切なのだから。


ようやく6年後に

2011-10-10 13:38:13 | 日記・エッセイ・コラム

2005年3月に大学を退職したのだが、学校から持ち帰った書類とかの処置ができていなかった。それの処置の目途がようやくつきそうである。友人から妻が書棚をもらって持ち帰って来たが、その書棚は縦の高さが低いので、私用にはならないと思っていたら、妻が自分のつくった人形等をこの書棚に展示するのに使った。

そのときに前から使っていた小さな戸棚を空けて使わなくなった。それでそれをもらって、昨日少し片づけをした。

これだけではなく、義父が使っていたタンスの引き出しのいくつかが空いていたので、昔のフロッピーディスクとかスライドをここにしまった。それでいくつのダンボール箱を空けられた。

まだ数箱ダンボール箱が残っているので、全部が片付いたと言う訳ではないが、退職6年目にしてようやく目途がつきそうになってきたのは嬉しい。

フロッピーディスクはそれを読み取ることが自分のところではできないので、先日もE大学にもっていってUSBのメモリに落としてもらった。

だが、まだいくつか問題がある。写真の整理をどうしたら、いいかの見当がついていない。あまり写真に写るほうではないのだが、それでも入学式の後のガイダンスとか卒業のときの写真がそれでも結構たまっている。これらをどうするのか。頭が痛い。

大きなアルバムに張るという方法もあるが、どうもこのアルバムの量がかさむので、もっと場所をとらない整理と収納法が欲しい。何とか名案はないものか。


Stay hungry, stay foolish

2011-10-08 12:19:40 | 日記・エッセイ・コラム

表題はスティーブ・ジョッブズがスタンフォード大学の卒業式に招待されての卒業生に送るスピーチの一文だという。

私のように幼少期の空腹の経験のある者にとっては、これが文字通りの空腹であれば、なかなか耐えられない気がする。その上にstay foolish(馬鹿であれ)だとするとどうも救われようがない。

もちろん、これは知的な意味で言われたのだろうと思う。確かに知的にはいつも空腹であり、また、いつでも自分が馬鹿であるとの自覚は必要であろう。これは本当に「その人が馬鹿であれ」と言うのではあるまい。多分、自分は経験も知識もさらに見識もまだ少なく、学ぶことがたくさんあるという自覚をStay foolishという語に集約しているのであろうか。

この言葉を新聞でもテレビでも紹介はしていたが、それの意味することの説明はされていなかった。スティーブ・ジョッブズは56歳で亡くなったので、さらに彼の存在は伝説的になる可能性がある。

一方、マイクロソフトのビル・ゲイツはマイクロソフトの経営からは引退したが、それでもまだ生きている。そこら辺が違うし、また、ジョッブズ氏ほど新製品を通じてのカリスマ性は感じられない。

現在ではビル・ゲイツは彼の創立した財団によって、慈善事業を展開しているらしい。アメリカン・ドリームを実現した後の典型的な人生を歩んでいるのだろうか。

(2011.10.10付記) 昨日英語の辞書でfoolishを引いてみたら、もちろん馬鹿なという訳が載っていたが、日本語で「馬鹿な」という意味のいくつかの英語についてニュアンスを書いてあったが、foolishには「頭が悪い」という意味はないと出ていた。「非常識な」というような意味があるのだという。英語を訳語で覚えている私たちの限界であろうか。

これは別の言葉であるが、playという語には「(勝負事に)賭ける」という意味があると朝日新聞に出ていた。辞書をそれを読んだ後で見ると確かにそういう意味があるようである。「遊ぶ」「ゲーム、試合をする」「役を演ずる」等のたくさんの意味をもつplayであるが、「(勝負事に)賭ける」という意味を内包しているとはついぞ知らなかった。


スティーブ・ジョッブズ氏の死

2011-10-07 13:23:25 | デジタル・インターネット

アプッル創業者のスティーブ・ジョッブズ氏が亡くなったと新聞に出ていた。これは昨夜のドイツ語のクラスで講師のR氏から知らされたことであったが、どうも私は流行遅れだから、そのことがピンと来ない。

情報産業ではスティーブ・ジョッブズ氏の寄与はとても大きなものがあるらしいが、それが他人事にしか感じられない。妻によれば、私たちが時代に遅れていることを示しているのだろうという。常にup-to-dateであることに努力を惜しまないはずの妻にしてもそのことは心配らしかった。

妻はあまり時代に後れないようにと携帯ぐらいはもっているが、私はipodだとかiphoneとかipadとか言われてもピンと来ない。ということで時代遅れがもうすでに始まっている訳である。

その辺の感覚がR氏などは敏感なのであろう。R氏と私には年齢の差が12歳くらいあるので、仕方がないとも言えるが、時代に敏感であることは大切なのであろう。


祭り

2011-10-07 13:00:18 | 日記・エッセイ・コラム

松山地方では祭りの季節である。子どもたちが法被を着て神輿を担いで歩いている。このごろは平和な時代であるので、子どもにいい思い出をという親心であろうか。子ども会の世話役の親御さんが二人三人とついて歩いている。

いま太鼓の音が下の方から聞こえている。「どん、どん、どん・・・」それに「たん、たん・・・」とか音が混ざっている。多分神輿もでているのだろう。

私の出身地である I 市では最近は商店街が商売の振興を意図してつくった秋祭りもあるが、基本的には春祭りであり、それは5月10日ころであった。

このころは来島海峡辺りの海で取れた鯛とかの刺身が祭りの食卓に出るのが慣例であった。来島海峡の速い潮流にもまれた鯛は身が引き締まっているが、私はこの鯛の刺身があまり好きではなかった。それはいまでも変らない。知り合いの物理学者のHさんなどからは「なんとぜいたくなことをいうか」と叱られたことがあるが、仕方がない。

これも瀬戸内海に面したH市でなんだったか忘れたが、大学卒業後だったと思うが、物理屋の小さな集まりがあって、Sさんがその席上でお前たちは「こんな美味なものをいつも食べているのか」と東京からたまたやってきた物理屋に非難がましく、うらやましがられてとかもらしていた。

もちろん、地元の人でもそういう、うまいものを毎日食べている訳ではないが、それでもその気になればいつでも食べることができるというのはやっかまれても仕方がないのかもしれない。

今朝仕事場にやってきたときに見たら、駐車場のところに子ども神輿が来たときに子どもたちに渡す飲物やお菓子とか食物とかが準備してあった。子ども神輿が来たときに、ふるまうのであろう。

道後では神輿同士の鉢合わせが今日か明日にでもあるようだが、道後温泉までここから電車で10分とはかからないのに一度も見にいったことはない。いつもテレビのニュースで見るだけである。

5月5日の子どもの日に行われる、南予の内子町五十崎の凧合戦なんかもいつもテレビでしか見たことがなかったが、こちらの方は数年前に五十崎町の方から招待を受けてテレビではなく、現場で見る機会があった。そのうちに道後の神輿の鉢合わせも現場で見る機会があるかもしれない。


心の波は?

2011-10-06 13:14:09 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜、高校の同窓会が迫って来たのだが、昨日の期限までに会費を納入しなかった同期生に電話をかけた。

大多数の方々は忘れてしまっていたのだが、一人だけすでに会費を納めたという方が居られた。私の記憶では納められたという記憶がなかったのだが、それでも会費を預けている預金通帳を手元にもっていなかったので、そのことに対しては断固としておかしいとまでは主張できなかった。それで「預金通帳を調べてみる」ということで電話を切った。

それにしても参加者の表の会費の納入者と預金通帳の人数だけは数えていたので、何か勘違いをされているのではないかと思った。だが、はっきりしないので、それを調べるために仕事場に来て調べたが、どうも私が間違っているとは思えなかった。

納めたという人の口調がかなりきつかったので、心が暗くなったが、他にもあった用事を済ませて12時少し前に自宅に帰ってきたら、妻が「理由がわかったよ」という。大きな勘違いを、この方がされているとわかって謝りの電話があったらしい。

理由はこうである。私たちの出た高校が夏の甲子園出場したので、野球部の後援会から寄付のお願いが卒業生に送られてきたのだが、それに同封された振替用紙を使って2万円なにがしかの寄付をしたらしい。

ところが、秋には同窓会をするということを知っている、その方はその振替の用紙を同窓会の会費請求の用紙と間違えて後援会の方に寄付をしたのだが、ご本人は同窓会の会費を納めたと思っていたらしい。

私の電話をおかしいと思った、その方は友だちに自分の憤懣やるかたなさを電話したらしい。友人は私たちの同窓会には領収書も何も発行されないのだということを知っていたから、その振替の用紙のあて先をこの方に尋ねたらしい。そうするとそこには「野球部後援会」とあって、ようやく同窓会の会費を納入したのではないことがわかった。

それで、あわてて私の家に電話をかけてきて、妻が話を聞き、ようやく事情が判明した。妻も同じ高校の出身であるので、話は容易に通じたのだが、帰宅してそのことを聞いた私はそれでもすっきりしなかった。

ものごとは解決したのだから、心の波はおさまってもいいはずなのになかなかおさまらなかった。それでも1時間ぐらいたって、12時半ころにようやく就寝したが、寝付くまでなんだかすっきりしなかった。さすがに今朝起きたときには心の波はおさまっていたが。

心に起きた波は自分に責任がなくてもそう簡単ではないことを知らされた。


ニュートリノは3世代

2011-10-05 13:00:48 | 物理学

最近、ニュートリノが真空中の光速よりも速いのではないかという実験結果が出たので、世間の一般人にもニュートリノに関心が寄せられている。

ニュートリノは3世代(たとえば、人間で言えば祖母、母、娘)だというので、先日元牧師のOさんから、-trinoは3を意味するのかと聞かれた。ニュートリノは英語ではneutrinoと書くので、-trinoは3を意味する前綴りのtri-とこの方は思われたらしい。

詳しいいきさつは私は知らないが、ニュートリノという名は、別に3種類のニュートリノがあるということなど想像もできなかったころにつけられた名前である。

このニュートリノという電気的に中性の粒子を始めに考えたのは、パウリ(Pauli)だと言われており、それは原子核のベータ崩壊で出てくるベータ線(電子)のエネルギーが一定でないために原子核に関した現象ではエネルギーの保存がされないのではないかといわれていたが、その困難を救うという意図から考えられた。

その当時の原子物理学の権威ボーアですら、ベータ崩壊ではエネルギー保存が統計的にしか成り立たないのではないかと主張していたころである。

それを未知の中性粒子ニュートリノがそのベータ崩壊のときのエネルギーを一部を持ち去るとすれば、エネルギーが保存則が成立していると考えた。

その後、フェルミ(Fermi)が自分のベータ崩壊の理論で、ベータ崩壊では中性子からニュートリノと電子が同時に放出されるとした。このときは電子と一緒に放出されるニュートリノであるから、今では電子ニュートリノといわれている。

その後、ミュオンと呼ばれる電子によく似た性質をもつが、電子の約200倍の質量の粒子に付随したミュオンニュートリノがあることが発見された。

その後、タウ粒子が発見されて、それに付随したタウニュートリノが考えられている。物理では「ニュートリノは3世代」という言い方をする。クォークなども3世代なので、3世代であるのはニュートリノだけではないが、ともかくニュートリノには3種類があるということがわかって頂ければ良い。

物理では電子と電子ニュートリノが双子だとされている。同様にミュオンとミュオンニュトリノ、タウとタウニュートリノとがそれぞれ双子(doublet)とされている。

話が思わぬ方向にずれたが、ニュートリノは中性子(neutron)(これは陽子の姉妹)の発見後に考えられた質量が微小の電気的に中性の粒子であり、イタリア語の微小を意味する-inoを語尾につけて、neutrinoと呼ばれるようになった。

これで思い出すのは小さなミカンのことをイタリア語ではmandarinoと言うことである。マンダリンはミカンの一種である。


「惜櫟荘だより」から

2011-10-04 12:52:16 | 日記・エッセイ・コラム

岩波書店のPR誌「図書」に連載の佐伯泰英さんの「惜櫟荘だより」18に漢詩の話が出ていた。

李群玉の七言絶句である。

白鶴高飛不逐群 嵆康琴酒鮑昭文

此身未有棲帰処 天下人間一片雲

(漢字を現在の日本で普通に使われているものに置き換えてある:physicomath)

佐伯さんは漢文には詳しくないので前田伸人氏に尋ねたのだという。

前田氏の読み下し文だと

白鶴は高く飛ぶも群れを逐ず 嵆康は琴酒し、鮑昭は文をす

この身まだ棲みて帰する処をもたず 天下人間一片の雲

と読むという。解釈は

白鶴は高く飛ぶが、群れを追わず一羽で飛ぶ

あの嵆康は琴を弾いて酒を嗜み、鮑昭は文を綴る

我が身は安住すべき地をまだ持たない

天の下にある人の住む社会にあっては、我は漂う一片の雲のようなものだ

だという。注釈があったと佐伯さんは書いているがそれは省略しよう。詳しいことを知りたい方はこの「図書」10月号を読んでほしい。

話はこの一連の文句が好きだった岩波茂雄に敬意を表して書にしたいと思った、佐伯さんのいろいろな行動を書いているのだが、それはここではどうでもよい。

白鶴高飛不逐群

が好きだったという岩波茂雄という人のことを知りたくなった。

佐伯さんはインターネットで調べてみると私よりも2,3歳年下のようであり、(テレビの時代劇のドラマは別として)彼の小説は読んだことがないが、なかなか好ましい人である。

(2011.10.8付記) 惜櫟荘は岩波書店の社主、岩波茂雄の熱海の別荘であった。ここが最近売りに出されて、そのごく近くに仕事場を構えていた時代小説作家の佐伯泰英さんが購入することになった。

その際に惜櫟荘を建て替えることになった。そのいきさつを佐伯さんのスペイン滞在中のエピソードを交えながら、書いているのがこの「惜櫟荘だより」である。

なぜこの名前がついたかと言えば、一本の櫟の木がこの邸内に昔からあり、その木を切ることを岩波茂雄が惜しんだことから、この惜櫟荘の名があると昔何かで読んだ。

(2012.8.13付記) 「惜櫟荘だより」の書評が昨日の朝日新聞に載った。ということで何かをつけ加えたいところである。

逢坂剛さんの書評のなかで佐伯さんのスペイン滞在時代の思い出が、通奏低音のように書かれているとあった。確かに私自身は惜櫟荘(せきれいそうと読むらしい)の再建の物語もいいが、この回想部分がとてもいいと感じていた。

ところで、この通奏低音という語はNHKの阪本龍一「音楽のスコラ」でいつだったか阪本龍一が説明をしていたが、音楽のことをあまり知らないので、よくわからなかった。

それでこの機会と思って辞書をひいてみたが、新明解国語辞典にはこの語は採用されていなかった。それで仕方なく、広辞苑を引いてみたら、載っていた。音楽の基盤となるような低音部の音らしい。この上に普通のメロディーが書かれているとか。

ピアノで言えば、左手で弾く部分になるのだろうか。こちらは和音から成り立っているのが普通である。


衣替え

2011-10-03 12:53:31 | 日記・エッセイ・コラム

日本では衣替えの季節になった。こういう風習は多分日本に特有の風習で他の国ではないのではないかと思う。私は俳句を詠むなどという風流なことをしない朴念仁であるが、多分衣替えというのは季語になっているのではあるまいか。

と、ここまで書いて歳時記を調べに行ったところ衣替えは更衣という字でこれは初夏の季語になっていた。だが、その説明によれば、旧暦の4月1日と10月1日に宮中等で衣更えかあったと書いてあった。そうするとこれは秋の季節の季語ではなかったようである。

もっとも私などはまだ半袖のシャツであり、まだ1週間ぐらいはこのまま過ごすであろう。さすがに夜に寝るときは布団を出してきて、それをかぶって寝るようになった。そうしないと毛布だけでは寒く感じるようになったからである。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる。これはまことに至言であると思っている。いまでは春の彼岸の中日は春分といい、秋の彼岸の中日は秋分という。そしてそれぞれ国の祝日になっている。

ちなみに、この春分とか秋分のことをdie Tagundnachtgleiche(ターク・ウント・ナハト・グライフェ)といい、これは昼と夜の長さが同じということを意味するドイツ語であり、そのものずばりの意味である。長いつづりだがこれで一語である。Tag(昼)und(と)Nacht(夜)がgleich(等しい)の4つの語から成り立っている。英語ならequinoxというらしい。

それはともかく、私は少し時差をもって更衣するのが普通である。


picture環境かemathか

2011-10-01 12:47:34 | デジタル・インターネット

図を描くのに最近はlatexのpicture環境で描くことが多かったが、やはりemathで描くべきなのかと悩んでいる。

以前にemathをダウンロードした。emathで式に斜線を入れることはできるようになったが、どうしてか図を描くことができなかった。

どこが悪いのかわからないのとその困ったことをインターネット上で質問できるところがあるのではないかと思っているが、うまく行き当たらず、また、そういうサイトがあってもどういう風に質問したらいいのかが分からない。

それで、ここしばらくはpicture環境を使って図を描いてきた。picture環境でもかなりの図が描けるのだが、それにしてもpicture環境で図を描くのは手間がかかる。そこが難点である。

最近は特にpicture環境でベジェ曲線をうまく使えば、いろいろな曲線も描ける。だが、やはり手間の問題はある。(もし使えれば)より簡便に図が描けそうだというのがemathが魅力的な理由である。

latexがなかなか使えるようにならなかったのは、式の入力等ができても結局はエラーメッセージが出たときにエラーをなくすように、自分でその訂正がなかなかできなかったからである。

はじめは共同研究者のEさんにエラーを直してもらい、国際会議のプロシーディングス用の論文をつくったときから、すこしづつlatexになじんでくるようになった。

はじめは入力したところを見てもなかなかエラーの原因がわからないことが続いて何日もそのエラーの原因を探しのに費やしたこともあった。だからlatexが使えるようになるというのは、このエラーメッセージに対応ができるようになることであると思っている。

いまでもどうしてか分からないが、思った通りに表示ができないことがある。が、あまりそのことが気にならなくなってきた。

さらにこのごろではエラーメッセージに対して対策を述べたサイトもあるので、それをプリントして困ったときにはそこに書いてあることを参考に読むことにしている。それでもわからないこともあるが、なんとか対応ができるようになった。それで、現在は図を何を使って描くのかが私にとっての問題点である。

(2017.11.09付記) このブログが読まれたようなので、現在の私の見解を書く。それはlatexで図を描くなら、いまではtikzを使うのがいいだろうということである。簡単にTikzをインスト-ルできるので、これがいいと思う。

立体的な図を描く必要があるときにどうしたらいいのか、私にはわかっていないが、それでも多分これが使いやすいと思う。emathで図を描いたことがなかったのは、どうしても使い方がわからなかったからである。もっともemathで数式入力である特殊な使い方が簡単にできるところがあったので、これはこれでメリットがあったと思う。

emathをもっと使いやすくしてほしいものだと思う。小著『四元数の発見』(海鳴社)のすべての図はまだTikzを知らなかったから、picture環境で試行錯誤で描いた。だからとても時間がかかった。