特殊相対性理論のミンコフスキーによる論文が出てようやくアインシュタインの相対性理論が多くの人に認められたといういきさつがある。もちろん、特殊相対性理論はアインシュタインの提唱によるのだが、それを数学的にわかりやすくしたのにはミンコフスキーの論文が大いに寄与したことは事実であろう。
ところが普通の大学の基礎課程での物理テクストでもそういう風な記述はあまりない。私が特殊相対性理論の解説論文を書いていたのは、このミンコフスキー風の解説である。そしてそういう風な解説をした本はあまりない。それで改訂が頓挫しているという側面もある。いや、そういう風な解説が渡辺慧さんの『時間の歴史』(東京図書)にあって、それに依拠して以前の解説を書いた。
ところが普通はx系とx'系との二つの座標系があり、x'系の方を静止系のx系に対して一定速度で移動させる。ところが『時間の歴史』ではx'系の方を静止という系としてx系を一定速度で移動させていた。それを普通のように改訂しようとしている。
ところが困ったことが起こった。それをx^{2]-(ct)^{2}=x'^{2}-(ct')^{2}を不変にする座標変換にどうやって適合させるかということでちょっと疑点が出てきているのだ。そこがクリアできれば、あとはあまり問題はないだろうと思っている。
ここでエピソードを付け加えておけば、ミンコフスキーはETH(チュリッヒ工科大学と訳されている)時代のアインシュタインの数学の先生である。もっともアインシュタインは講義にはほとんど出席しなかったので、アインシュタインの相対性理論の論文がでたときに、「あのさぼりのアインシュタインが・・・」とミンコフスキーが言ったとか、言わなかったとか。
ちなみに試験はアインシュタインは学友のグロースマン(後年には数学者となる)に講義ノートを借りて勉強し、パスしたらしい。
これほど大掛かりではないが、私もあまり講義に出席しないで関数論の2単位(これは必修科目だった)を可で取得して大学を卒業したという経験をもっている(注1)。この認定をしてくれた関数論の先生は後年に東京大学教授になられた故及川広太郎先生であった。及川先生に「まだ関数論の単位が学務係に出ていないのですが」と申し出たときに「君はお情けの可だったかね」と聞かれたが、黙っていると「いや、君は堂々たる可だったね」とご自分の成績簿を見て言われた(注2)。
しかし、こういうことはするものではないとの経験を私の人生の大部分でしている。不勉強のつけは一生つきまとわるということだ。
(注1)関数論の講義全体では6単位が開講されていたと思う。そのうちの私の学年まで2単位は必修だった。この2単位がないと大学を卒業できない。私より1年下の学年からは物理学科の学生には関数論の必修の単位はなくなったと思う。
(注2)数学科の掲示板に関数論1の単位取得者名簿が及川先生の名で張り出されていた。私には可の評点がついていたが、その横に「お情けの可」という評価の一群の人たちの名が出ていた。物理学科の学生にもお情けの可をもらった人たちがいたかもしれないが、数学科とか教育学部の理系の学生たちの名前がほとんどであったと思う。
ところが普通の大学の基礎課程での物理テクストでもそういう風な記述はあまりない。私が特殊相対性理論の解説論文を書いていたのは、このミンコフスキー風の解説である。そしてそういう風な解説をした本はあまりない。それで改訂が頓挫しているという側面もある。いや、そういう風な解説が渡辺慧さんの『時間の歴史』(東京図書)にあって、それに依拠して以前の解説を書いた。
ところが普通はx系とx'系との二つの座標系があり、x'系の方を静止系のx系に対して一定速度で移動させる。ところが『時間の歴史』ではx'系の方を静止という系としてx系を一定速度で移動させていた。それを普通のように改訂しようとしている。
ところが困ったことが起こった。それをx^{2]-(ct)^{2}=x'^{2}-(ct')^{2}を不変にする座標変換にどうやって適合させるかということでちょっと疑点が出てきているのだ。そこがクリアできれば、あとはあまり問題はないだろうと思っている。
ここでエピソードを付け加えておけば、ミンコフスキーはETH(チュリッヒ工科大学と訳されている)時代のアインシュタインの数学の先生である。もっともアインシュタインは講義にはほとんど出席しなかったので、アインシュタインの相対性理論の論文がでたときに、「あのさぼりのアインシュタインが・・・」とミンコフスキーが言ったとか、言わなかったとか。
ちなみに試験はアインシュタインは学友のグロースマン(後年には数学者となる)に講義ノートを借りて勉強し、パスしたらしい。
これほど大掛かりではないが、私もあまり講義に出席しないで関数論の2単位(これは必修科目だった)を可で取得して大学を卒業したという経験をもっている(注1)。この認定をしてくれた関数論の先生は後年に東京大学教授になられた故及川広太郎先生であった。及川先生に「まだ関数論の単位が学務係に出ていないのですが」と申し出たときに「君はお情けの可だったかね」と聞かれたが、黙っていると「いや、君は堂々たる可だったね」とご自分の成績簿を見て言われた(注2)。
しかし、こういうことはするものではないとの経験を私の人生の大部分でしている。不勉強のつけは一生つきまとわるということだ。
(注1)関数論の講義全体では6単位が開講されていたと思う。そのうちの私の学年まで2単位は必修だった。この2単位がないと大学を卒業できない。私より1年下の学年からは物理学科の学生には関数論の必修の単位はなくなったと思う。
(注2)数学科の掲示板に関数論1の単位取得者名簿が及川先生の名で張り出されていた。私には可の評点がついていたが、その横に「お情けの可」という評価の一群の人たちの名が出ていた。物理学科の学生にもお情けの可をもらった人たちがいたかもしれないが、数学科とか教育学部の理系の学生たちの名前がほとんどであったと思う。
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