物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

アインシュタイン

2024-05-02 11:04:00 | 物理学
以前にアインシュタインについてはこのブログでも書いたことがある。これは昔の講義ノートに書いてあったことの再録である。

アインシュタイン(1879-1955)について少し述べておこう。アインシュタインはユダヤ系のドイツ人で南ドイツの都市ウルムで生まれた(その後、スイスの市民権を取り、死亡するまでそれを保持した)。私も1997年に、このウルムを訪れたことがある。

アインシュタインは小さい頃から数学と物理に興味をもっていた。ドイツのギムナジウムの軍隊的な規律を嫌い、ギムナジウムを中退してチューリッヒ工科大学を受験したが、試験に失敗してしまう。

しかし、数学や物理は抜群の成績であったので、もう一度ギムナジウムに入って勉強し直すことを大学の学長から薦められ、スイスのギムナジウムに入り直し、そこを卒業してチューリッヒ工科大学(ETH)に入学する。

大学の頃はあまり講義には出席せず、自分独自な勉強に精を出した。試験のときは学友のグロースマンからノートを借りて勉強して単位を取った。大学卒業後は大学での助手の職は得られず、ベルンの特許局で特許技師として働きながら、立派な業績をあげる(注)。

それが1905年の3つの論文で、光量子仮説、ブラウン運動、特殊相対性理論である。光量子仮説は光が粒子性をもつことを示した光電効果の説明を与えたものであり、ブラウン運動は分子の存在と分子の熱運動を実験的に証明可能とした。特殊相対性理論は時間と空間の概念の変革を行ったものであり、この理論から質量とエネルギーの相互転換が可能であることが示された。

1915年には特殊相対論を一般化した一般相対性理論を発表する。この一般相対性理論は重力を空間の性質として説明する理論である。その中の一つの予言である、重力場中での光の偏曲は第一次世界大戦後の皆既日食の際に観測され、一般相対性理論の実験的検証の一つが得られた。その他、量子論への貢献も大きい。

1932年以来アメリカに居住し、プリンストンの高級研究所で研究生活を送りながら、統一場理論を研究した。この理論は重力と電磁場を空間の性質として説明しようとするものであったが、成功していない。

一方、アインシュタインは原爆研究をルーズベルト大統領に始めることを進言した手紙を送ったが、第二次世界大戦終了直前に広島と長崎に原爆が投下されたことは、彼には思いもよらないことで、その責任を深く感じることとなった。

核戦争を避けるための努力を訴えたラッセルーアインシュタイン声明は世界各国の著名な科学者11名によって署名され、各国の科学者が一堂に集まって核戦争と核兵器の廃絶を議論するパグウォッシュ会議のきっかけとなった。

(注)アインシュタインがETHの学生だったころ数学の先生としてミンコフスキーが在職していた。特殊相対論を学んだことのある人は知っているが、アインシュタインの特殊相対論はミンコフスキーの4次元時空の論文で理解できるようになったという学者も当時多かった。

確かにアインシュタインの論文の内容の説明の後でミンコフスキーの説明を講義で聞いたとき、こちらの方が分かりやすいと感じたことは事実である。

また、アインシュタインの特殊相対論を読んで、『あの「さぼり」の学生のアインシュタインが!』とミンコフスキーが言ったとかとも言われている。その真偽のほどはわからないのだが。

ちなみにミンコフスキーが論文を発表したときにはミンコフスキーはもうETHの教授ではなく、ゲッチンゲン大学に帰っていたと思う。ゲッチンゲン大学のもう一人の数学の教授は有名なヒルベルトであった。

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