物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ただフアィルしただけだが、

2024-05-09 11:29:15 | 本と雑誌
ただフアィルしただけだが、自分のやっていた仕事の一部の全貌が明らかになってきた。

昨夜、自分の机の上とかその近くにある書類を分けて、ファイルした。その後でそのファイルを眺めていると、一か月以前だったかにしていた仕事(とはいっても私の場合には、前に書いた数学エッセイの修正とか書きかけの原稿であるが)のことを思い出してきた。

仕事が完成していないうちに、あれこれ気が変わっていろいろ手を付けるという習性が私にある。そういう様子がただ書類をファイルしただけだが、わかってきた。

それに伴い、数学エッセイの書きかけの原稿の見つかった。なかなかこういう仕事は簡単には終わらないので、書きかけの途中の原稿もあっても自分でも忘れてしまうのだ。それが今回ファイルしたおかげでわかってきた。

ファイルするということに、こういう効用があるとはいままで知らなかった。大体、私自身はなんでも物持ちのいい方であるが、ここらあたりが何でもすっぱり捨ててしまうことを躊躇しない妻といつもぶつかるところである。

今回も、私の購読してきた雑誌を捨てると言ってきかない妻を納得させるためにもう半世紀以上のわたって取ってきた岩波の雑誌「図書」を資源ごみとして、リサイクルに出すことに同意した。

私のラジオとかのフランス語、ドイツ語のテキストを資源ごみとして、リサイクルに出されそうだったのでしかたがなかった。今住んでいるところではおよそ20年数年分だが、旧居にはその上にさらに20年以上のテキストがたまっている。

なにしろ、1977年にドイツから帰ってからの分だから、これくらいあっても当然ではあるのだが。

こういうことを書くと世の人は、妻に同情するのが当然であろうか。

私自身は自分の知的作業の一環を何とか後世に残したいという思いが底辺にはあるのだが、そういう思いは妻にはまったくわからない。