私が理学博士の学位を取得したころは、私の親戚には医学博士にしろ工学博士にしろそういうものを持っている者は一人もいなくて、私は変わり者だと思われていた。
だから、別に尊敬もされなかったし、それでそんなものだと私も思っていたので、別に親戚に腹を立てたりすることももちろんなかった。
それから、ちょうど50年が経過して、甥とか子どもや義弟とかに学位取得者がでて、最近では親戚全体で私の知る限り(私も含めて)学位取得者は4人となった。
もしかして、姪の夫も学位取得者なら、5人となるのだが、そういう立ち入ったことは確かめたことがない。
しかし、時代は変わるものである。
一番最近に学位取得したのは義弟である。長年の会社勤めの退職後に、ある大学の博士課程に入学して普通なら3年間はかかるのに、2年間で学位取得したものである。彼は優秀な人材であり、長年の技術者としての経験を生かして学位を取得した。
最近、そういうケースが多くなっているとは思うが、やはり親戚にそういう人が出るとそれには大いに敬意を払いたい。生半可のことではやはり学位には届かないだろう。
大学と大学院での同級生などはとうとう学位を取らないまま、あの世に行ってしまった。彼が優秀でなかったとは思わないのだが、やはり執着心が学位をとるためには必要であるのだろう。
だから、別に尊敬もされなかったし、それでそんなものだと私も思っていたので、別に親戚に腹を立てたりすることももちろんなかった。
それから、ちょうど50年が経過して、甥とか子どもや義弟とかに学位取得者がでて、最近では親戚全体で私の知る限り(私も含めて)学位取得者は4人となった。
もしかして、姪の夫も学位取得者なら、5人となるのだが、そういう立ち入ったことは確かめたことがない。
しかし、時代は変わるものである。
一番最近に学位取得したのは義弟である。長年の会社勤めの退職後に、ある大学の博士課程に入学して普通なら3年間はかかるのに、2年間で学位取得したものである。彼は優秀な人材であり、長年の技術者としての経験を生かして学位を取得した。
最近、そういうケースが多くなっているとは思うが、やはり親戚にそういう人が出るとそれには大いに敬意を払いたい。生半可のことではやはり学位には届かないだろう。
大学と大学院での同級生などはとうとう学位を取らないまま、あの世に行ってしまった。彼が優秀でなかったとは思わないのだが、やはり執着心が学位をとるためには必要であるのだろう。