goo blog サービス終了のお知らせ 

物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

腰が疲れる

2025-04-07 06:56:50 | 本と雑誌

腰が疲れる。すぐ眠くなる。これが手術後の私の感じている変化である。

これらが手術のせいかどうかはわからないが、こういうことはいままではあまりなかったような気がするので、やはり手術の後遺症なのかもしれない。

眠くなったら、それにさからわずに寝てまた目が覚めたら、、仕事したり、本を読んだりするすればよいではないかといわれれば、全くその通りである。別に自分のこういう感覚に逆らう必要はまったくないのだろう。

しかし、気力がちょっと落ちている気もする。強い意欲はやはり気力によるものでもあろう。

ということで12時より前に寝ることにしたので必然的に朝がいつもよりも早く目が覚めるようになった。普通なら8時すぎまで寝ているのだが、起きてもうブログを書いているという具合である。


自宅で生活したいということ

2025-04-06 12:53:48 | 本と雑誌

自宅で生活したいということは本能的にやはり人間のしたいことであろうか。妻の友人が今日だったか昨日だったか退院して自宅に帰ったとかで妻に電話してこられた。

遠くに住んでいる家族は施設に入ってほしいという希望をもっているようだが、なかなか本人はその気持ちを受け入れることができない。

電話では歩いていてよく転げるとかいう話をされていた。それでも病院でレントゲンで見てもらってもわるいところはなかったとか。歩いているときによく転げるのならば、すでに要注意ではある。ただ、妻は他人なので、施設に入った方がいいとは少なくともアドヴァイスはしてもきつくはいえないらしい。

ある施設の紹介をしてあげてはいるらしいが本人がそこに登録したどうかは知らない。実はある方の勧めで私もその施設に登録をしている。80歳半ばであるのだからいつどうなっても私も不思議ではないから。

もっとも介護認定等は全くもらっていないので、私がその施設に入ると全部自費ということになるので、実際は経済的に入ることはできない。

歩けないとか何らかの障害を持つようになれば、施設に入らざるをえないのだが。

まだ大学に現役で勤務していたころ同じ大学のほほ同い年くらいの心理学か教育学が専門の先生と帰りの電車で一緒になることがよくあった。そのWさんが言われるには私たちは親の面倒を見たほぼ最後の世代であり、子どもには自分たちの世話をしてもらわない最初の世代だろうということだった。その意見には私も同意したものだ。

世間の考え方がそれくらい変化しているということである。けしからんとかそういう気持ちはない。

もっとも私は三男なので実はあまり親の面倒を見たとは言えない。もっとも妻の父(義父)の晩年の数年を同居するということはあった。義母が図らずも心臓がわるくてぽっくり亡くなってしまったので、一人では放っておけなくなったからである。


生成AI

2025-04-02 06:58:42 | 本と雑誌

昨日子どもが東京から数日間の予定で帰ってきて、生成AIのすごさを見せてくれた。これはある要望文書を入れてそれを生成AIにかけるとその調査結果が帰ってくるというものらしい。

試しにということで子どもが、して見せてくれたのは私の本名とか他のいくつかの関心事の情報を入れて生成AIにかけると私に関するレポートができるという次第である。

その時間は10分かそこらである。それができたのを見たら別に私が自分について知っていること以外のことはもちろん出ていないが、それでもおおよその概要はつかんでいる。それも的確につかんでいる。情報収集能力とそれを的確に表現することができる。

それで感心をしてしまった。子どもによると大学の先生方が学生にレポートを書かせて評価する方式をとると、この結果をどう判定するのかが極めて難しい時代となったという。それである先生はレポートではなくて、ペーパーテストに限るという方もおられる。

だが、もう一方で統計学者などは学生を2つのグループに分けて一つのグループには生成AIを使ってレポートを書くなと指示をし、もう一方のグループには使っていいよと指示して成績に有為の差が出るのかを調べたりする研究をする人も出てきているらしい。

一般には生成AIを使って書いたグループの方が有為に成績がいいという結果が出ているとか。その差が大きいかどうかは聞き損ねた。


何とか生きて帰ってきました

2025-03-30 12:10:23 | 本と雑誌

何とか生きて帰ってきました。ちょっと大げさですか。

3泊四日の手術なんて帰ってくると、それが当然のような気がするから不思議である。今日は日曜日なので支払いもしないし、何もしないで帰ってきました。

「4月3日の外来にまた来なさい」という指示がありました。手術中に追加の措置もあったとか聞いています。それの説明が4月3日にあるでしょう。こういうことでしばらくは松山赤十字病院への通院が続きそうです。手術が少し時間延長になっているらしいことは麻酔から覚めた時に知りました。

手術室に入ったとき1時前であったのですが、麻酔から覚めたのは16時半ころだったからです。それでいわゆるアルコールに酔ったような感じで吐き気がしました。アルコールに酔ったようだと言ったら、看護師さんがそれはそうだねと言っていました。

その晩は腰に荷重がかかってあまりよくは眠ることができませんでした。2日目以降はそういうこともなく普通に眠ることができました。

帰還後の第一報です。


3月の数学・物理通信の発行

2025-03-25 10:32:22 | 本と雑誌

3月の数学・物理通信は20日に15巻1号を発行したが、2号の発行も目前にしている。ほぼ準備が整った。

ちょっと気がついたことがあったので、著者にどうするか問い合わせている。いずれにしても明日中に発行するつもりである。慌てすぎですか。今回は仕方がないのです。3月27日には入院をするので。そして月末まで入院です。

数学・物理通信は私個人が発行しているメールで無料配布のある種の雑誌である。印刷したものは全く発行してはいない。こういうことを思いついた時には我ながらその頭の良さに感心した覚えがある。もっともどなたからも「アイディアがよかったね」とかは褒められたことはない。だから大したアイディアではないのだろう。

ある印刷して出す小さな機関誌に投稿しても原稿が半年とか1年とか編集者のところに留め置かれ(機関誌に投稿してくれる原稿があまりに少ないので機関誌の編集・発行できないため)、また場合によっては原稿がどこかに紛失するのかどうか、掲載にならないことがまま起こったからの苦肉の策で考え出したことである。

そこまで悪意に思っていたわけではないが、編集者の意図で没になったかと思われる原稿もないわけではなかった。そこで自前の発行が保証されるサーキュラーを自分でつくったというわけである。「必要は発明の母」とはよく言ったものである。

いままでに発行した数学・物理通信の号数もすでに126号を超えているのではなかろうか。私の投稿していた機関誌よりもすでに発行の号数を重ねている。それにその機関誌では会員の会費を集めなければ、成り立って行かないが、私は会費をあつめたり、会員を募集したりする必要がない。

もっとも私も所属している徳島科学史会は徳島科学史雑誌を1年に1回だが、発行しており、これはすごい達成である。何せ立派な雑誌を年1回だが、40年にわたって出版しているのだから。この雑誌などとは私にはまったく競争するつもりなどない。関係者のご苦労は想像もできない。


今日も書くことがあったのに

2025-03-23 11:05:52 | 本と雑誌

今日も書くことがあったのにアクセス解析で昔のブログを読者の方が見てくださった跡の自分のブログを読み返しているうちに何を書くつもりだったか忘れてしまった。

こういうことなら、先に書きたいことを書いてからアクセス解析を見るべきだった。そうそう思い出した。

昔テニスをしていた頃のことである。若いお嬢さんたちに妻がテニスの初歩を教えていた後で、ある若い女性が妻に「今度はスキーを教えてください」と言ったのでおかしかった。

若い女性はテニスをすることは若い男性と知り合う機会も持てて、憧れの趣味の一つであり、もう一つのあこがれの趣味というかスポーツがスキーなんだろうなということであった。

妻に関していえば、彼女は絵も描くし、書道で字も書くし、合唱で歌も歌うことをかなり長い間してきたし、目を悪くする前はテニスも30代のはじめに学んでかなり長い間テニス同好会の世話役をしていたこともあった。

しかし、スキーはまったくできない。それどころか近所のこどもクラブがバスを出して松山市福音寺の伊予鉄アレーナにスケートに行くときにもこどもについては行くが、アレーナの観客席から手を振って応援しているだけで一緒にスケートを滑ることなどまったくできない(注)。

ちょっとスケートを滑ることができる私がいつもついて行って、リンクに降りて子どもの面倒をいつも見なければならなかった。いや、不服を言っているのではない。上手に滑ることはできないにしても、それなりにスケートを滑ることのできる私には中年になって久しぶりにスケートを滑る貴重な機会ではあった。

義理の娘はちょっと数学ができて、学校で数学を教えていたりする。それで妻のお決まりのジョークが「私は数学ができないので、嫁に頭が上がりません」である。

そういうと世の中の多くの方々にはとても受けがいいユーモアらしい。世の中には数学嫌いな方々はごまんといるのだから。

(注)子どもが小さい時に一緒にスケートを滑った、このアイスアレーナも来年の3月だったかに閉鎖されると聞いている。さみしいが時の流れでしかたがないのだろう。


午前中は検診に

2025-03-19 13:35:05 | 本と雑誌

午前中は病院に定期的な検診のために行っていた。歩いて3分ほどの近さである。ところがいつも診察をしてくださる先生が定年かどうなのかわからないが、代わられるとのことである。

「病院、近いのがいい」(注)と妻が言うので、妻と私の二人とも他の病院に行くのを止めて、この病院に来るようになった。他の病院には悪かったが、妻の希望で仕方がなかった。

たまたま持って行っていた、自著の本を先生に帰りがけに思ついて差し上げた。これは待ち時間が長いだろうと思ってその合間に読むつもりで持っていた本である。薄い本であるから定価にして2000円ちょっとくらいの薄い本である。「名刺代わりに」と近くの郵便局でいつも親切にしてくれる非常勤の郵便局員さんにも1冊差し上げたことがある。

そのときは数冊その本を郵便局から書店に送る機会だったので、ある程度そのつもりであったが、今回は全くの偶然である。こういうことで別に私の人生が変わるわけではないが、そういうこともあるということだ。

(注)「病院、近いのがいい」とかいうとどこかで聞いたような節回しだねと思う方もおられようか。妻などは友だちや知人と連れ立って方々で集まったり、自宅で麻雀をしたりして楽しんでいる。そして「女房、元気で留守がいいだよね」とかしばしば妻自身が口にしている。これはもちろん、「亭主、元気で留守がいい」のパロディーである。


修正をしても修正をしても

2025-03-18 10:20:50 | 本と雑誌

修正をしても修正をしてもミスが見つかる。これは私の原稿である。昨夜「数学・物理通信」15巻1号の最終原稿を最終点検のため送った後で、細かなことだが私の原稿に修正したいことが見つかった。ほっておいてもどうもないのだろうが、やはり修正しておきたいと思ってしまうから悩みは尽きない。

私はせっかちだからどうもきちんと自分の書いた文章を読むことができない。それであとからあとからと修正箇所が見つかるという次第である。

もっとも昨夜は15巻2号の編集もして投稿者に点検のために送ったのである。素早いですか。これは投稿者の素早い処置のおかげである。私が素早いわけではない。投稿者さまさまである。


このブログの読者数は

2025-03-17 10:17:55 | 本と雑誌

このブログの読者数は数人である。もっとも私の言っているのは定期的な読者のことである。臨時にインターネット検索でひっかかって、このブログを見た人は指さない。

確実には3人か4人である。その中に T 市の方が2人おられる。S さんは面識のない方であるが、インターネット上ではお互いにかなり交流がある。もう一人の方は名前のイニシャルも控えさえてもらうが、ずっと以前からの知り合いである。

最近では電話もあまりしないが、以前には頻繁に連絡を取り合っていた。でもときどきだが、電話すると「ブログ見てますよ」と言われる。このブログも単に自己満足で書いているだけだが、それでも誰かに勇気とか希望を与えるものでありたいと思う。

残りの読者で確実なのは岐阜の S さんと東京の M さんくらいであろう。それでも別に落胆などしない。ブログの一番の読者は私自身であるから。

というのも、どういうブログが検索等で読まれたかが分かる仕組みにこのブログではなっているので、その読まれたブログを再度というか再三再四にわたって私も読むことになるからである。ということは最低私も含めて4人(または5人?)の読者がいることになる。そして自分自身が以前に自分が書いたブログで発見があったりするからである。

読者が少なすぎるですか。果たしてどうなんでしょう。


朝食前にコンビニに

2025-03-16 11:18:51 | 本と雑誌

朝食前に近所のコンビニに牛乳を買いに出かけた。「コンビニに歩いて200歩」とは妻の決まり文句だが、大体それくらいである。「牛乳がない」との妻の声に動かされての買物である。牛乳の値段は215円である。

シリアルというのだろうか、フルグラ(商品名)と私たちがよんでいるものに牛乳をかけて朝食の最初にスプーンで食べる。それが私たちの夫婦の朝食の始まりである。

それから私がつくった野菜と肉の油いためと、これは妻がつくってくれる食パンにジャムを塗って温めたものとを交互に食べる。そういう朝食である。勤めがあったころはパン食ではなく、お米のご飯を食べていたのだが、いつのまにかこういう風に変わってきた。

もっとも私が味噌汁嫌いなので、米食の朝食のころでもあまり味噌汁を食べたことは少なかったような気がする。少なくともいまは全く味噌汁とは縁が切れた。

食パンにジャムを塗った、そのジャムの少しの甘みを毎朝楽しんでいる。


ラジオで「校長先生は宇宙人」

2025-03-14 11:26:03 | 本と雑誌

ラジオで「校長先生は宇宙人」という歌が流れている。

歌の文句はあまり聞き取れないだが、人を愛せる人になりなさいとか言っているようだ。

それで思い出したのだが、私の実兄のTのことである。彼は60前後で交通事故で亡くなったのだが、最後は中学校の校長先生であった。

彼は荒れた中学校を鎮めるという手腕を持った人材と思われて荒れているといわれる中学校に指導主事として派遣されたという。いつか彼の口から聞いたところでは講堂の裏とかでその中学校一のワルとかの話を聞いてやるのだという。

そうしてワルだと言われている中学生の言い分を十分聞いてやるとだんだんその学校の荒れたところが収まってくるのだという。なんのことは要するに大人が中学生本人の言い分をきちんと聞いてやることが大切だったということだ。

毛嫌いせず、心を開いてある意味で受け入れることが必要だったということだった。


日本の将来は

2025-03-12 13:06:39 | 本と雑誌

日本の将来は今の自民党政府に任せられるか。一般に言うことはできないのだが、原発政策に関してはいまの政府に任しておくことはできない。

数年後に電力の需要が見込まれるとかで原発を増やすことを計画している。電力需要が逼迫するのならやはりリサイクルできる、風力とか太陽光だとか地熱だとの利用を最大限開発すべきであって、原発に頼るべきではない。

これは原子力廃棄物の処理の仕方がやはりきちんとした方法が確立していないからである。原発を建設して稼働すれば、放射性廃棄物が必然的に出る。それを日本国内で処理できるか。いまのところできない。これはもう50年以上前からほとんど変わっていない。

放射性廃棄物を濃縮して焼結させて、それでも放射性はもちろんなくならないのだが、地下数百メートルの地下水等にさらされないところに最低でも2万年くらい監視しながら保管しなければならない。

そういうことが果たして可能かといえば、多分不可能と言っていい。財政的にも技術的にもである。そういう費用は電力会社が持つなら、たぶん会社は破産であろう

そういう未来のことまで考えなくても、現在の福島第一原発の原子炉の安全な解体にしても十分な見通しがなかなか立たないという現在の事態である。

私の存じ上げている弁護士さんが伊方原発反対の裁判を繰り広げている。裁判に勝つかどうかはわからないが、勝つ勝たないにかかわらず、この弁護士さんとそのグループの見通しの方が正しいのは言うまでもない。

裁判でどういう判決を裁判官が下すにしても、人間の未来を左右する判決になるのだと思う。そんな自分の生きていない未来のことまで知るかというのは一理はある。だが、そういう方は深い洞察のある人ではない。


ブログを書くタネを

2025-03-10 08:33:46 | 本と雑誌

ブログを書くタネをつい先ほど思いついていたのに、今は思い出せない。こういうことが私にしばしば起こる。だから、このブログを書くテーマが数日前にいくつも思いついていたからと言って、今日それについて書こうと思っても、それについて全く思い出せないなどということは日常茶飯事である。

要するに「ブログを書くタネを貯金する」みたいなことがほとんどできないのだ。老齢になってくるとこれはどんなに頭のいい方でも誰でもそういう経験をするのだろう。

優れた学者でも場合によっては認知症になる方もおられると聞く。名前は伏せるが、統計物理で世界的に有名だったある物理学者も認知症になられたとも聞くし、これは数学者の中にもそういう方がおられるとも聞く。

これはある程度生まれつきであるから今のところ仕方がない。この著名な数学者の方もお弟子さんもたくさんおられる方であるし、彼の著書は優れたテクストだと言われているが、しかたがない。このようなことを書いている私だっていつ認知症が発生するかもしれないのだ。こればかりは認知症の予防策があるのかないのか知らないが、いまのところ防ぎようがない。

身内にも認知症になった私とほぼ同年の者がいる。認知症は最近ではその進行を遅らす薬も出ているとか聞くが、それを治すということまで医学はまだ進歩していない。もっとも治るのがいいのかどうかはちょっと個人的には疑問に思わないでもないが。

ただ、認知症だからといって記憶はなくなっても感情等がなくなるわけではないらしいので、そういう人を邪険に扱わないでほしいというのが私の現在の心境である。

 

 


東京嫌い

2025-03-09 09:31:54 | 本と雑誌

「東京嫌い」というか「東京に対する対抗心」を持ち続けている。もっともいまでは子どもたちが東京で生活し、仕事をさせてもらっている現在ではその対抗心もすこし薄らいでいるという状況ではある。

東京は人口も多いし、働く仕事もある。だからそこに住み着く人が多いのはうなずける。そして私の子どもたちもその大勢の中の一人、二人にしか過ぎない。彼らを悪く言う筋合いはない。

一方、妻などは東京が好きな部類に属する。これは子どもたちが現在東京に住んでいるということもあろうが、自分が若いころに数年ではあるが、東京の丸の内で昔の言葉でいう花のOLであったからだ。

縁あって私と結婚したので松山に住むことになったが、東京はあこがれの地であり、いまもそうらしい。少なくとも私のように東京にライヴァル心などこれぽっちももっていない。そこが私とは違うところである。

私の死後は子どもたちの住む東京に引っ越すかもしれない。それはそれで仕方がないことであるのだろう。

こういう感情をもっていたことを昨日の朝食時に妻と話をしていて思い出した。自分でも「東京に対する対抗心」を若い時に持ち続けてきたということを私は忘れていたらしい。年を取るとはそういうことだろう。

 

 


今月の子規の俳句

2025-03-06 13:39:44 | 本と雑誌

3月になったので、今月の子規の俳句を紹介しておこう。

  牛馬の遊ぶ野広し春かすみ    子規

  spring haze

       cows and horses frocking

       in the wide field                                      Shiki 1893

カレンダーの写真には高知県のひょうたん桜の写真が載っている。もっともここは山の中らしく広々とした野原は見えないようである。山の上の公園らしく下方には霧がかかっている。さくらの花はとてもきれいに咲いている。

hazeとは「もや、かすみ」という訳が辞書にある。mistやfogよりも湿度が低いと辞書の説明にある。