白鳥橋の次が隆慶橋です。秀忠、家光の祐筆、大橋隆慶にちなんだ名前で、→ 「正保図」(1644年頃)には、同じ場所に橋が描かれ、「龍慶町」の書き込みもあります。また、大曲・船河原橋間に三本あった橋のうち、→ 「明暦図」(1658年頃)以降、唯一残った橋で、 → 「寛文図」(1672年)にははやくも、「りゅうけいばし」の書き込みが見られます。その隆慶橋やや下流の右岸に、小支流が合流しています。→ 「段彩陰影図」で大久保通りに沿う谷筋にかかわるもので、これから数回に分けてさかのぼります。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 早稲田」と「同 / 四谷」を合成したもので、上掲地図と同一場所、同一縮尺です。
- 1. 新隆慶橋の次が人道専門の隆慶橋で、右写真は隆慶橋から下流方向です。
- 2. 隆慶橋から70mほど下流の右岸です。ここで合流していた小支流をさかのぼります。
- 3. 風車のように道路が交差する三叉路を左折します。この三叉路は「正保図」にも描かれています。
- 4. すぐに右折したあと、最近新設され上掲「地図」には未記入の通りを越えます。