神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

大曲

2018-12-13 06:49:58 | 江戸川・紅葉川

 中之橋を過ぎると、すぐに自動車専用の新白鳥橋です。そして、次の白鳥橋との間で神田川は大きく右カーブ、南に向きを変えます。いわゆる大曲です。「江戸川は神田上水の枝流なり、関口水道町の西にて分流し、大抵東流して中ノ橋、龍慶橋の中ほど、小名大曲りといふ処よりやゝ南流と成、船河原橋(俗にどんと橋といふ)を過て御堀に落入れり」(「御府内備考」) なお、白鳥橋の架橋は明治時代の後半で、その名前は付近にあったといわれる伝説の白鳥池によっています。 

 

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    ・ 神田川  小桜橋から下流方向で、次が中之橋、その奥が新白鳥橋です。中之橋は→ 「明暦図」にもある通り、隆慶橋と石切橋の間に位置することからの名前です。

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    ・ 大曲  新白鳥橋から白鳥橋にかけて、神田川はほぼ直角に折れ曲がります。なお、白鳥橋の左手には、神田川に四本ある分水路の一つ、水道橋分水路の呑口があります。

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    ・ 白鳥橋  左岸方向のショットです。奥の上りに差し掛かる手前を神田上水が横切り、さらにその奥を左折すると、春日通や伝通院に至る安藤坂です。

 <白鳥池>  「中の橋の下曲江の処はむかし大なる池にて、白鳥池と号す、後は次第にうつもれてそのなごり、池の南は久永氏の宅地にのこれりと」(「南向茶話」)「今も久永氏の庭の池はよほど広して常に水鳥などかひ、夏の頃は小舟に棹さして涼みとるにいと興あり」(「改選江戸志」) いずれも「御府内備考」からの引用です。三千二百石の旗本、久永氏の屋敷は中之橋と大曲の間の右岸にあり、明治になって同じ場所にあった川田男爵邸の庭にも池が描かれています。ちなみに、川田男爵は北海道の農業振興に貢献、かの男爵イモにその名を残している人物です。