神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

数寄屋橋

2019-09-03 06:21:37 | 平川・外堀1

 鍛冶橋、鍛冶橋門の次は数寄屋橋、数寄屋橋門ですが、大正から昭和の初めにかけて、間に有楽橋、新有楽橋が架けられました。織田信長の弟で、茶人としても名高い有楽斎(うらくさい)が、慶長年間に当地に屋敷を拝領し、のち有楽原と呼ばれたことが、明治に入って成立した有楽町の名前の由来です。次の数寄屋橋、数寄屋橋門の名前も、御数寄屋坊主の屋敷地説とともに、有楽斎の作った茶室(数寄屋)が由来との説が併存しています。門は寛永6年(1629年)の築造で、橋の創架も同時期との説もあり、 「武州豊島郡江戸庄図」でその名と共に初めて登場します。同図には数寄屋橋町も描かれていますが、のち火除地となったため元数寄屋町と通称されるようになります。

 

Sukiyam19

    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の中部と南部を合成した一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。 

0426a

    ・ 外堀通り  東京高速道路の高架をくぐると、銀座柳通りとの有楽橋交差点です。その名の通りここに有楽橋が架かっていました。  

0426b

    ・ 外堀通り  数寄屋橋交差点手前で右カーブ、外堀通りからいったん離れます。右手でカーブする東京高速道路下が外濠川の流路です。

0426c

    ・ 数寄屋橋跡   東京高速道路下に数寄屋橋、その奥の有楽町マリオン前に数寄屋橋門という位置関係で、さらにその奥には南町奉行所がありました。