神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

鍛冶橋

2019-09-02 06:50:05 | 平川・外堀1

 呉服橋、呉服橋門の次は鍛冶橋、鍛冶橋門ですが、明治10年代になって、間の現在の東京駅八重洲口前に八重洲橋が架けられました。大正3年(1914年)に東京駅が出来た際、いったん撤去され、大正末には再架橋されています。次の鍛冶橋に関しては、 → 「慶長十三年江戸図」に描かれているものがそうかは不明ですが、「武州豊島郡江戸庄図」(寛永9年 1632年)では、「かぢ橋」と付記されています。「鍛冶橋御門 鍛冶町へ出る御門なればかくいへりと」(「御府内備考」) 「江戸庄図」には橋の前に「かぢ丁」の書き込みがあり、のちに神田鍛冶町に対し、南鍛冶町となったところです。

 

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    ・ 外堀通り  八重洲通りとの八重洲中央口前交差点で、ここに八重洲橋が架かっていました。右手は東京駅八重洲口です。  

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    ・ 外堀通り  鍛冶橋通りとの鍛冶橋交差点です。正面奥に見える高架は、京橋川上に敷設された東京高速道路のものです。 

 京橋川は鍛冶橋下流で外堀から分岐、東(左手)に向かう600mほどの堀川で、白魚橋先で楓川・三十間堀とクロスし、八丁堀(桜川)に連続していました。江戸前島の中央を横断する人工のものですが、開削時期は特定されてはいず、慶長8年(1603年)の豊島洲崎の埋立て、造成の際ともいわれています。江戸前島の背にあたる現中央通りにある京橋から、京橋川と呼ばれています。外濠川と同じく戦後埋立てられましたが、その跡地に建てられたビルの上を利用して、東京高速道路(民間会社運営の無料自動車道路)が営業しています。

 

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    ・ 東京高速道路  高架下の分岐点に比丘尼橋が架かっていました。比丘尼は尼僧のことですが、ここではその恰好をした私娼の宿(比丘尼宿)があったためといわれています。