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神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

笹塚田圃

2018-06-23 05:58:38 | 幡ヶ谷支流

 庚申橋及び左岸流に架かる三俣橋から、1kmほど西にある旧和田村境にかけて、相変わらず南北二流が並行し、その間の笹塚田圃と通称される細長い田圃を灌漑していました。→ 「幡ヶ谷村絵図」の描く和田村境に接する三日月状の区画にあたります。その笹塚田圃の南北を行き来しながら、二本の水路をさかのぼります。うち北側のものは大半が一般の道路の一部となっていて、かっての水路を想像させるものはほとんどありません。これに対し南側の本流と目されるほうは、水路単独がそのまま路地となっているのが大半で、橋の遺構も随所に見ることができます。

 

Sasaduka1

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)  

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    1. 庚申橋から再開します。左カーブの先の右手に路地が顔をのぞかせています。  

0320c

    2. 水路単独の路地を西に向うと、ワンブロックで中野通りに突き当たります。

0320e 0320d

    3. 中野通りの先です。右写真は左岸流との連絡水路に見えますが、確証はなく青点線は書き込んでいません。  

0530g 0530f

    4. ワンブロック先の車止めです。ここからしばらく、水路単独と思われる狭い路地が続きます。   

 <幡ヶ谷村の堰>  「幡ヶ谷郷土誌」(昭和53年 堀切森之助編)によると、幡ヶ谷村では毎年4月中旬に川に堰を設け、下流の川を涸らして川浚いが行われました。川下に水田を持つ農家から、一軒あたり男子一人が出て作業にあたったとあります。堰のもうけられたのは三ヶ所で、「一は笹塚の上、一は笹塚と原の境界中幡ヶ谷の庚申塚附近、今一個所は本村地蔵尊の附近」でした。最初の笹塚の上はよくわかりませんが、おそらく「村絵図」の村境で二流が分岐するあたりでしょう。二番目は庚申橋のこの付近、三番目の本村地蔵尊は酒呑地蔵のことですから、地蔵橋のあたりで、それぞれ笹塚、中幡ヶ谷、本村の各田圃の灌漑用ということです。