神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

鎌倉河岸

2019-08-26 05:50:22 | 平川・外堀1

 神田橋の次は鎌倉橋です。当地に荷揚げ場、鎌倉河岸があり、隣接する町屋が鎌倉町と呼ばれたのが由来ですが、橋自体は関東大震災後の架橋で、錦橋などと同じいわゆる震災復興橋です。一方、鎌倉河岸、鎌倉町の歴史は古く、江戸城の天下普請の際、当地に建築資材の荷揚げ場ができ、取り仕切ったのが鎌倉の材木商だった、といわれています。江戸城本丸最寄りの荷揚げ場として、江戸期を通して利用されました。なお、鎌倉町にあった酒屋豊島屋は、白酒で有名ですが、酒の肴を提供し居酒屋の先駆けとなりました。

 

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    ・ 日本橋川  鎌倉橋から下流方向で、この先右カーブで常磐橋を目指します。なお、右岸の石垣および右カーブのところの水門に注目です。  

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    ・ 鎌倉河岸遺構(?)  鎌倉橋の下流の左岸を覗き込んでいます。石組みがここだけ切れ込みテラス状になっていて、荷揚げ場の遺構と思われます。

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    ・ 龍閑川跡  左手の水門は江戸時代の神田堀、明治に入り龍閑川と呼ばれた水路のもので、現在は埋め立てられ下水道馬喰町幹線に転用されています。 

 <龍閑川>  龍閑川は江戸時代、神田堀、神田八丁堀、白銀堀等と呼ばれました。「神田堀 鎌倉河岸龍閑橋の辺より御堀の枝流となり、東の方馬喰町に達し、それより南に折れ、浜町にかゝりて大川に合す。近き年馬喰町辺にて船入りを止めしゆへ、今の二流の入堀のごとくなれり。馬喰町辺より浜町辺迄を浜町堀といふ」(「御府内備考」) 八丁堀は8丁(900m弱)ほどの長さがあったための、白銀堀は右岸の本銀(ほんしろがね)町に由来する名前です。一方、龍閑川の名前は、分岐地点に架けられていた龍閑橋によっていて、付近に井上竜閑という幕府坊主の屋敷があり、そう名付けられたといいます。