竜閑川の分岐点から100mほどで、日本橋川は高架のJR線をくぐり、その先すぐに新常盤橋、そして常盤橋門前にある旧常盤橋、現在の常盤橋と連続します。常盤橋は → 「慶長江戸図」の当時、浅草への道筋にあることから浅草口、浅草橋と呼ばれていました。7年のものには「さんやより千じゅへ出、奥州道」と添えられています。それが、「武州豊島郡江戸庄図」(寛永9年 1632年)では大橋となり、12年の「慶長江戸図」で大橋とされた大手門のところは、「もと大橋口」となっていて、江戸城の拡張に伴い、大橋の名称が移動したことがうかがえます。
- ・ 日本橋川 山手線などの走る高架のJR線をくぐります。その先に大正時代に路面電車開通に合わせて架けられた→ 新常盤橋があり、江戸通りが通っています。
いずれにしても、日本橋、日本橋通りができる以前の江戸市街は、常盤橋から浅草方面への道筋(本町通り)を中心に形成され、町支配を担った奈良屋など町年寄は本町通りに居を構えていました。なお、現在に至る名称、常盤橋については、三代家光の時代、「金葉集」の一首、「常盤のはしにかゝる藤なみ」から命名したとの伝承が、「御府内備考」に収録されています。(常盤橋、常盤門は先の震災で損傷を受け現在閉鎖して改修中のため、以下の写真はそれ以前のものを使用しています。)
- ・ 日本橋川 新常盤橋から下流方向で、左手奥のレトロな建物が日本銀行です。その前に架かるのが常盤橋、さらに右手には常盤橋門の枡形石垣があります。
- ・ 常盤橋 奥は常盤橋門の枡形石垣、なお、明治10年(1877年)改架の橋は、桝形の石材を利用した都内髄一の洋式石橋です。