神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

平井水車2

2015-03-19 06:44:28 | 千川用水1

 昨日UPした千川橋前後の左岸には、ほぼ400mにわたって水車用水が並行していました。平井家所有の水車のうちの、二台目にかかわるもので、所在地から字坂上の水車といわれています。「千川家文書」中、明治38年(1905年)の「千川水路水車取調書」は、一台目と同様、針金製造用としていますが、こちらは、昭和15年(1940年)、武蔵高等学校の生徒による調査当時も稼働していて、以下はその「千川上水」の引用です。

 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和12年測図) / 吉祥寺」  中央やや下に架かるのが、(当時の橋名は不明ですが)千川橋です。

 「川はこれから(五日市街道を過ぎてから)雑木林に入り、小徑がこれに沿って通じてゐる。約三百米の下で流は半ば堰止められ、左へ小徑を横切って、この堰から四百米下流の水車小屋に送られ、製粉に用ひられてゐる。因に千川の流を利用した水車小屋は、昭和四年頃に於てすら六ヶ所を數へ得るのであるが、、現在は僅かにこゝを加へて三ヶ所しか残ってゐない。」 一方、「ねりまの文化財(千川上水特集号)」の聞き取りでは、「柳沢三-2、現在岩崎家の有料駐車場があるところに、中島飛行機の部品を作っている小さな工場があった」とあり、戦時中は軍需工場に転用されたのでしょう。なお、当時水車のあった三ヶ所は、今井水車のほか、筋違橋の田中水車、八成橋の斎藤水車ですが、各々該当個所で改めて扱うつもりです。

 

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    ・ 平井水車跡付近  千川橋から200m下った、こいこい橋やや下流の左岸で、住所は「ねりまの文化財」のいう「柳沢三-2」です。

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    ・ 千川上水  上掲写真に写る小橋から上流方向です。ここからはほぼ直線なので、200m先にある関前橋がチラッと見えています。