明治10年(1877年)、千川上水が青梅街道を越える竹下新田において、青梅街道沿いの分水を利用する多摩郡六ヶ村(上井草、下井草、下荻窪、天沼、阿佐ヶ谷、上鷺宮)と、下流の豊島郡に属する十一ヶ村(中村、中新井、下練馬、江古田、葛ヶ谷、長崎、池袋、中丸、金井窪、滝野川、巣鴨)、そして、王子分水にかかわる紙幣局抄紙部など三者間の協議がありました。結果、竹田新田水門で水門の幅を各々、1尺5寸6分、1尺3寸7分、1尺6寸7分とすることで合意、高さは7寸9分と共通なので、水量の比は幅の比がそのままとなり、水積はこの時点で六ヶ村123坪余、十一ヶ村108坪余、紙幣局その他131坪余となります。なお、水積(寸積)〇坪というのは、一寸立方=一坪を単位とした水量の測り方です。
- ・ 「星野家文書-千川用水関係資料-」 杉並区教育委員会発行の文化財シリーズの一つで、星野家は当時上井草村総代を勤めていました。もう一冊は「下井草村編年史」、こちらは井口家の諸文書をベースにしています。
星野家文書中の「千川用水組合村樋口伏替願」は、竹田新田での分配合意に基づくものですが、合わせて当時の分水口とその大きさをリストアップしています。以下は前回UPの元治元年のものとの対応表で、明治維新を間に挟んだ13年間の変化が一目瞭然です。なお、比較のためそうしましたが、左右に並ぶ分水口が場所的に同一かとうかは、個別の検討が必要です。
元治元年 | 明治10年 | ||
関村 | 4×4 | ||
七ヶ村 | 17×11 | 六ヶ村 | 7.9×15.6 |
上石神井 | 4×4 | ||
下石神井 | 4×4 | ||
中村 | 4.2×4.2 | 中村 | 4.36×4.35 |
中荒井 | 6×6 | 中新井 | 4×4 |
同 | 竹樋 | 同 | 1.5×1.5 |
同 | 2×2 | ||
下練馬 | 4×4 | 下練馬 | 2.59×2.5 |
江古田 | 4×4 | 江古田 | 2.59×2.6 |
葛ヶ谷 | 4×4 | 葛ヶ谷 | 3.05×3.2 |
四ヶ村 | 10×10 | 四ヶ村 | 6.31×6.5 |
滝野川 | 4×4 | 滝野川 | 1×1 |
同 | 4×4 | ||
同 | 4×4 | ||
巣鴨 | 4×4 | 巣鴨 | 1.45×1.4 |
*寸法は縦×横で単位は寸(≒3cm)です。