神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

用水組合3

2015-03-06 08:33:55 | 千川用水1

 明治10年(1877年)、千川上水が青梅街道を越える竹下新田において、青梅街道沿いの分水を利用する多摩郡六ヶ村(上井草、下井草、下荻窪、天沼、阿佐ヶ谷、上鷺宮)と、下流の豊島郡に属する十一ヶ村(中村、中新井、下練馬、江古田、葛ヶ谷、長崎、池袋、中丸、金井窪、滝野川、巣鴨)、そして、王子分水にかかわる紙幣局抄紙部など三者間の協議がありました。結果、竹田新田水門で水門の幅を各々、1尺5寸6分、1尺3寸7分、1尺6寸7分とすることで合意、高さは7寸9分と共通なので、水量の比は幅の比がそのままとなり、水積はこの時点で六ヶ村123坪余、十一ヶ村108坪余、紙幣局その他131坪余となります。なお、水積(寸積)〇坪というのは、一寸立方=一坪を単位とした水量の測り方です。

 

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    ・ 「星野家文書-千川用水関係資料-」  杉並区教育委員会発行の文化財シリーズの一つで、星野家は当時上井草村総代を勤めていました。もう一冊は「下井草村編年史」、こちらは井口家の諸文書をベースにしています。

 星野家文書中の「千川用水組合村樋口伏替願」は、竹田新田での分配合意に基づくものですが、合わせて当時の分水口とその大きさをリストアップしています。以下は前回UPの元治元年のものとの対応表で、明治維新を間に挟んだ13年間の変化が一目瞭然です。なお、比較のためそうしましたが、左右に並ぶ分水口が場所的に同一かとうかは、個別の検討が必要です。

 

元治元年 明治10年
関村 4×4     
七ヶ村 17×11 六ヶ村 7.9×15.6
上石神井 4×4    
下石神井 4×4    
中村 4.2×4.2 中村 4.36×4.35
中荒井 6×6 中新井 4×4
竹樋 1.5×1.5
    2×2
下練馬 4×4 下練馬 2.59×2.5
江古田 4×4 江古田 2.59×2.6
葛ヶ谷 4×4 葛ヶ谷 3.05×3.2
四ヶ村 10×10 四ヶ村 6.31×6.5
滝野川 4×4 滝野川 1×1
4×4    
4×4    
巣鴨 4×4 巣鴨 1.45×1.4

*寸法は縦×横で単位は寸(≒3cm)です。