戸山公園内の大泉水や蟹川の流路は失われました。明治に入り陸軍戸山学校、戸山公園と、大規模な造成を経ているため、地形も改変されています。そこで古い地図をあてにするしかありませんが、これまでお世話になった参謀本部陸軍部測量局の「1/5000実測図」は、残念ながら範囲外になっていて利用できません。そこで、参考にしたのは内務省地理局が明治20年(1887年)に発行した「東京実測図」(1/5000)と、陸地測量部の明治42年以降の「1/10000地形図」で、後者にはすでに大泉水はありません。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。薄いブルーが「実測図」、濃いブルーが「明治42年測図」です。(「下水道台帳」の戸山幹線のコース取りは後者と重なり、暗渠化して下水道に転用したのでしょう。)
大泉水の下流側(東半分)の大半は戸山公園内の広場になっています。一方、西半分の一部は都営戸山ハイツの敷地にかかっています。同ハイツは昭和24年(1949年)、米軍の提供した資材をもとに1052戸の木造住宅群が建設されたのがもとで、当時としては画期的な水洗トイレ付でした。昭和44年には鉄筋コンクリートの集合住宅に建て替えられ現在に至っています。なお、戸山公園の開園はやや遅れて昭和29年です。
- ・ 戸山公園 大泉水の東半分の大半を占める広場です。左手奥の高いところが多目的運動広場、そのさらに奥が箱根山です。
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