「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

日本の恥部を晒す『日本共産党研究の正体』-の研究

2017年02月11日 06時41分17秒 | 日本の「恥部」を晒す

最近、体調が思わしくなくて本もあまり読んでおりませんが、

立花隆 著「日本共産党の正体」は、ちょくちょく読んだり、

他の共産党関係資料を図書館に行ってはコピーして読んでいたりします。

最近もっとも強烈な印象をもったのが、『戦時共産党』の時の「リンチ死亡事件」だ。

共産党は常に「特高(特別高等警察)」のスパイが常にいる状況で

時に「頭打ち」のようにして「壊滅的状態」に及ぶ検挙がなされている。

9割くらいの中央幹部が検挙され、獄中に運ばれた共産党幹部は改心?

して共産党から離脱していった。

戦時共産党は、「天皇制の打破」、「資本主義から共産主義へ」と言うことを真剣に考えていた。

話しは戻るが、スパイがいる事が常態化していることが幹部の疑心暗鬼と混乱を招き

「査問」といわれる拷問が行われた。

裁判上では、「手違い」によって、特高からのスパイは殺された。

後に共産党内で絶対的地位を確立する「宮本顕治」は、この嫌疑で逮捕され刑についている。

日本が敗戦し、1945年(昭和20年)10月4日GHQの指令

「政治的市民的及び宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」が

出され、これを受けて10月5日に司法省は政治犯の釈放を命じる。

 政治犯釈放を翌日に控えた10月9日に出獄。

また日本共産党の再建に精を出すことになる。

その後、宮本は「参議院議員(2期)を務め、日本共産党書記長、同委員長同議長を歴任」

いくら恩赦としても「殺人犯及び共助」の過去は拭いきれない。

それは良いが、立花隆の「日本共産党の正体」では、生々しいまでの描写が描かれていて、

正直、読むに耐えなかった。

宮本自体、「査問、リンチ死亡事件」についてどのような考えを持ていたのか、

宮本亡き今、知る由も無い。

私は、ある程度まで日本共産党の調べを終えた後、「特高」、「日本社会党」の

文献を漁って、知識を深めようと思っている。

「日本共産党」と「旧日本社会党」との違いやイデオロギーの違いからの対立が

どこの齟齬から始まったのか調べていきたいと思っている。

共産党に関しては、「革マル(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)」や

「学生運動」などの動きから、「共産主義者同盟赤軍派(赤軍派)と

日本共産党(革命左派)神奈川県委員会(京浜安保共闘)」などの『総括』として

殺人事件が起きている。

「誇り高き主義・思想」が、大きくかけ離れた「査問・総括」の名の下に

「最初から、『黒』と決めてかかっての査問では、スパイであろうが、

そうでななからろうが、関係ないのだ。

今なお、バックボーンが変わらぬ「日本共産党」には

『脱・格差社会』の脱却の提示が必要であろう。

 

 

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