相模原障害者施設殺傷事件から三ヶ月経ちましたが、
流れゆくそれぞれの時間の中でこの事件もご多分に漏れず「風化」しつつある。
犯人は「精神鑑定」に回されるそうである。
確かに「常軌を逸している行為」ではあるが、殺人の手口から言って
「周到な準備」が成されている。
これは「精神鑑定に回す案件ではない」と私は思っている。
世論の根底にある考えは、「居なくなって欲しい」というのが本音であろう。
「身体障害者、知的障害者、精神障害者、発達障害者」には生きる権利が無いのか?
おそらく、表面上は「一緒に生きなければ倫理上にも問題である」というような
『表看板』はそうであるが、前にも述べたように、
内心は「一緒に居たくない」でしょう。
だから、私に勤める精神科の大病院で働く障害者でも
直属の上司とさらに上の管理職までにしか伝えていない「クローズ職員」も
大勢居るのも現実です。
なぜか?それは「精神科の病院」でさえ、「職員間障害者差別」があるからです。
これは誠に情けないし、そのような職員には
「猛省」または言い過ぎかもしれないが「その職にふさわしくない」と言うわけです。
私は「障害者職員」として働いていますが、この場合「オープンの職員」というわけです。
例えば、ある職場に用事があって、その部屋に入ると「空気が変わる」と言うことは
私にとって、「日常茶飯事」なので、もう「柳に風」と言った具合で流してますが、
少しでも「ストレス」は、溜まりますよ、いくらバカな私でも(笑)
世の中に争い事が無くならないのと同じで、おそらくこの世から差別も無くならないでしょう。