「うつせみ和尚」のお説教

『うつせみ和尚の日記』二件の事故が元で『(複雑性)PTSD/鬱』になって
闘病、障害当事者として活動している者です。

『相模原障害者施設殺傷事件』を受けて、支援者として、障害者として

2016年09月14日 23時58分50秒 | 「うつせみ和尚」のお説教

相模原障害者施設殺傷事件の検証委員会を設置 神奈川県

誠に「最悪な人間」よる「最悪の事態」が起きてしまった。

結局は「法の網」を抜け出せるように「明らかな殺意」の元、犯行に至った。

犯人は施設に勤めていた時から「障害者は生きる価値が無い」などと言っていたようだ。

この言葉を受けて、「俺も生きる価値が無いのか・・・」と思いますわね。

殺傷されたのは、自分で思うように体が動かせない方々です。

だから、生きる価値が無いのでしょうかね?

私の田舎の町のも(今は市町村合併で「市」ですが)

「知的障害・発達障害」の施設が今でもありますが、

当時からやはり「触れてはいけないもの」として、

「精神的な隔離」で、外部との接触は無かったように思います。

私も「違い障害」ですが、「障害を持ったものにしかわからぬ辛さ・苦しさ」が

ありますし、家族や親せきからも距離を置かれる「悲しさ」も私も味わいました。

「相模原障害者施設殺傷事件」では犯人の入院していた

病院の退院基準の「甘さ」も言われています。

そして、「退院後のフォロー」の問題もあります。

問題を持っていて、退院した患者には病院や訪問施設が

自宅を訪れることが必要です。

そこで、「在宅のチェック」や「服薬のチェック」、「カウンセリング」などは、

今や「常識」だと思います。

ここまで「重症患者」の場合では、「即退院」ではなく、

「退院訓練」を行います。まずは家に帰って数時間だけ滞在して帰院して、

その後は、「一泊外出」から徐々に長くして行って、

ようやく退院というやり方もあります。

今仕事では、様々な支援をやらせてもらってますが、

なにせ、「半病人・半職員」ですから、仕事量の限界があります。

ざんねんながら・・・。

「障害者の人権」と「退院させることの危険性」難しい問題です。

 

 

 

 

 


 


『私だけが・・・』論と『私じゃなく、みなさんが・・・』論、どっち?

2016年09月14日 21時33分00秒 | 日々是佛滅

東日本、熊本、最近は関東も揺れています。

さらには、「数十年後、必ず地震が起きる」という、

あまり良い予想でない情報がありますが、既に被災された方々には

お見舞い申し上げます。

被災直後には「急性ストレス障害(ASD)」で一ヶ月を過ぎても

まだ同じ症状が進む状態を「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」になります。

心が敏感な方は、以上のような障害になりがちで、

即、治療に入らなければ、私のように17年も引きずることになります。

よくあるのは、「私だけが、大変な目に遭っている」という思いです。

これは経験者の口から言いますと、

「泥沼状態」であがけばあがく程、沈んで行きます。

それから、「私はいいから、他の人を助けてください」という

自分が傷ついているのにも関わらず、他人を優先させる方です。

これも同じように早く治療に入らないと、傷は深まるばかりです。

心の復興は、「みんなが同じスタートライン」で行うべきで

誰も「置いてけぼり」をしてはいけません。

「物・心」両面で復興が待たれます。