今日は夫の命日です。
12月を迎えると・・・。
Yさんがが亡くなる前の、見るに忍びないような辛い闘病生活が思い出されてきますが・・・。
ブログ上にその事を書く気にはとてもなれません。
臨終前、夫の耳元にたくさんの「ありがとう」を言えたのが、何よりもの私の心の慰めになっています。
きっとその言葉を、Yさんは聴き取ってくれたに違いありません
今もYさんには、溢れるような感謝の気持ちしかない私です。
Yさんが抱いている孫は、いま米国に留学中の桜ちゃんです。
花束は娘達からのものです。
寡黙で、私に優しい言葉など掛けてくれたことは一度もなかったけれど、行動で表してくれる人でした。
私は子育て家事、家計まで一切任されましたが、それを大らかな寛容さで、見守るだけの人でした。
その信頼に応えられたとは、とても思えない私。
失敗も色々ありましたけれど、私の一生懸命さは理解してくれていたのかもしれません。
結婚して以来、文句、不平不満は、一言も吐かなかったYさんでした。
長い結婚生活で、私が入退院を数度繰り返した時も、毎日多忙な職務を犠牲にしてまでも、お見舞いに来てくれた夫。
顔を見せ何もほとんど語らず、帰っていくYさんでしたが。
その真心が、私はとても嬉しかったものです。
私は余りに寡黙な夫に物足りなさを感じ、時々、不平や愚痴を吐いたこともありましたが。
今更ながら、言うべきことではなかったと後悔しています。
Yさんの本当の優しさに、もっと早くから気が付き、それに応えてあげるべきだったと。
今更後悔してもどうにもならないけれど、反省することが、私には一杯あります。
一年近くお世話になった訪問看護師とケアーマネージャーさんから、
「私達の夫婦関係は稀に見る美しい光景だった」
と、おっしゃってくださったり・・・
「ご主人はあなたにとても感謝しておられましたよ」とも。
悲しみに明け暮れていた私を慰め元気づけるための、単なる励ましの言葉に過ぎなかったのでしょうが、一瞬でも心が救われました。
仏様に失礼なことかもしれないけれど、私はお位牌は仏壇から出して自分の傍に置き、
よく語りかけています。
今でも、もっともっとやるべきことがあったのでは、といつも思ってしまう私。
「ありがとう、ごめんなさい」をこれからもお位牌の前で言い続けることになりそうです。
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拙いブログをお読み下さいまして、本当にありがとうございました。