今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

続 私の子育て~中学受験の動機付け

2019-10-09 07:13:56 | 家族

今日はまだまだか可愛くて幼い所がいっぱいあった長女のMちゃんに、中学受験の動機付けに成功したお話です。

私が採ったのは、とんでもない奇策。

こんな事、だれも思いつかないのではないでしょうか。

 

海外生活をのびのびと過ごしていた、私達家族。

日本では受験生を持つ親御さん達が、塾選びに熱心になるほど、中学受験が過熱している事など、私は知る由もなく。

親子とも、受験のための予備知識は皆無でした。

 

ですから私も、娘にどのように説明すればいいのか分からなくて。

理屈っぽい話を聞かせても、Mちゃんはピンと来ないでしょう、

そう思った私が思い付いたことは、手元にあった、夫が持ち帰った週刊誌のあるページを見せることでした。

我が家の手元に、たまたま中学や大学の合格発表当日の光景写真が掲載された、日本の週刊誌がありました。

当時は、受験校まで足を運んで、我が子の合否を掲示板で見届けるのが当たり前だったと思います。

 

幾度も通ったデイズニーランドで買ったクマのプーさん。
抱きしめて帰路についた時の娘たちの顔が、今でも懐かしいです。

 

私は、その写真を小学校の六年生になったばかりのMちゃんに見せました。

「受験って、Mちゃんは何のことか分からないでしょうね。

入学したい学校を目指して一生懸命勉強して、その学校の試験を受けることなの。

そして合格すると、この写真のように、親子で抱き合って大喜びするのよ。

Mちゃんは、この写真を見てどう思う?

受験してみたい?」

 

その写真をじっと見つめた後、Mちゃんは、すぐ答えました。

その時、まだあどけなさが残る顔が結構真剣な表情になり、きっぱり言ったのを今でも覚えています。

「受けたい」と。

私が中学受験の動機づけに成功した一瞬でした。

  

でも、手元に、受験用の参考書も問題集もありません。

早速、母に連絡し、「応用自在」と「力の5000題」という受験向きの問題集を二冊送ってもらいました。

確か最初「力の5000題」から始め、途中から「応用自在」に切り替えたようにも。

問題集の名称はじめ、いろいろ間違っている所があるかもしれません。

何せ、遠い過去のお話ですから。

その点は、ご了解くださいね。

この分厚い問題集を半年間でやり遂げるなんて、とても無理と思いましたが、Mちゃんは結構真剣。

その日にやると決めたページに一生懸命取り組み始めました。

 

 ロスで購入した思い出の品
親友のKさんの案内で訪れたお店で。
私は娘たちのために求めましたが、大人向けのバスケットバッグのようです。

 

3月に辞令が出ましたが、帰国は6月の予定。

4月からは、通う学校は日本人学校だけにしましたから、日中は自由時間がたっぷりできたMちゃんです。

どの程度勉強したのか、今となっては記憶にありませんが、私は帰国の準備でてんやわんや。

その合間を縫って、教えた程度だと思います。

 

ある光景を今でもはっきり覚えています。

私が体調不良でベッドに横になっている時のことでした。

薄暗い部屋に置かれたベッドの枕もとに来て、勉強を始めたMちゃんの姿があったことを。

Mちゃんの中学受験をして合格したい、の気持ちは、本物だったのでしょう。

私は気楽に臨めばいいと、当初は思っていたのですが。

お勉強を自主的に頑張り始めたMちゃんを見て、この子の気持ちをできる事なら叶えてやりたい。

次第に、そう思うように私はなりました。

 

でも私は協力するどころではありません。

帰国は6月でしたから、時間的余裕は多少ありましたが、でも日々多忙を極めましたから。

 けれど、自習に取り組むMちゃんの健気な姿を見ると、私もほってはおけなくなり、

帰国の準備の合間を縫って、協力をするようになっていきました。

 

間違えた問題を、二人でおさらい。

その問題には、後で復習できるように印を必ず付けました。

信頼できる問題集が、全部解けるようになれば、実力が付いた証拠。

私は単純にそう思い込んでいましたから、反復学習を心がけていこうと。

この取り組み方は、受験の直前まで続きました。

帰国してからも、塾には通いませんでしたから、なお更、それを徹底しました。

 

Kさんのお陰で、米国滞在の日々が、どんなに充実し楽しいものになったことでしょう。
その上、娘たちの進路まで決めてくださるような言葉まで掛けて下さったのです。
いくら感謝しても感謝しきれない思いでいます。
今はラグビーのワールドカップで、ボランティア活動をなさっています。

 

今も、とても不思議でならないのは、私にどうしてMちゃんの勉強が指導できたのだろう、と言うことです。

今の私では考えられません。

小三の孫娘かれんちゃんの勉強だって、もう見る自信は全くありませんから。

でもその時は、算、国、社、理、すべての科目に、私は目を通し、それなりに理解できたのです。

若さゆえの意欲と柔らかな脳のお陰だったのでしょうか?

でたらめの説明だらけだったかもしれませんが。

Mちゃんが間違った問題のフォロウを私がし続け、二人で勉強する受験への取り組み方は、帰国後もずっと続きました。

 

でもいい加減な私の指導だけでは、たちまち壁にぶつかり、親子で手も足も出ない難問に出くわすようになりました。

やさしい問題は、割とすらすら溶けたMちゃんでしたけれど。

難しい問題は、どうすることもできません。

すると、そこに助け人が出現。

日本人学校の先生です。

親子で協力しても解けない算数の問題の指導を帰国直前まで、週に一回でしたか、してくださったのです。

 

そして、いよいよ帰国の日となりました。

続く

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ありがとうございました。

花のように泉のように

 

 

 


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